怒るべきときにはちゃんと怒るのが大人の責任や思うで。
まあそれをSNSでやるかどうかはさておき
教育が大事ということは全てにおいて実感するな。
自分が高校まで受けてきた日本の教育と、子供達が主に人格形成に大きく影響するであろう小中学校で受けたアメリカでの教育との違いはとても大きい。
何度もあちこちに投稿したことあるけど、ちゃんとnoteにでもまとめておこうかな。
(自分の投稿の検索機能が無かったり遡れる投稿に限りがあるとパッと思った時に探せない😮💨)
娘達があの頃に教育を受けていて良かったと思う事態に今フロリダ州は陥っているんですけどね。
あれだけ人権について(人権について学んでいるという意識が無くても)さまざまな方法で学んだあとに、焚書まがいの時代が来たり政治で自分の体についての権利を規制されたり政治が学ぶべき歴史を決めたりする時代がこの2020年代にやって来るとは思ってなかった。
本当に世の中は脆いですね。
脆いからひっくり返す事も可能なはずだけど。
関東大震災は100年前のおとといだったが、朝鮮人、中国人の殺戮、虐殺は100年前の今日あたりから猖獗を極めた点にご留意を。
発災から集団狂気へのタイムラグ、
未来の自戒、他山の石とせんことを。
常識的に考えて、大災害の被災後2日は衣食住も満足でなく、度重なる余震にも脅かされ、
心理的にも極度の不安緊張状態となる。
誰しもがファナティックな妄想に取り憑かれる環境下にある。
未来の南海トラフ、首都直下型地震で類似の事態は十分起こり得る。
@kiiroski
(横槍)リカちゃんは茶髪。今思えば白樺小学校は校則が緩かったですね。あれでいいのに。
髪を染めたらダメって、校則でも社則でも意味がわからない
誰がどう困るというのだ
なぜ私は普通の日本人より関東大震災の朝鮮人虐殺について知っているか、というと、私が通った朝鮮学校でも習うし、家族でもそのような知識を共有してたから、ですが。
なんつーかな、東京、横浜より被害が少なかった川崎区出身なのもあるのか、川崎の渡田で朝鮮人を保護した話や、鶴見警察の大川所長の話などを耳にする機会があったからか、そこまで酷くはなかった、という認識で留まってたんですけど。
そういう”美談”も、訳6千人を超える虐殺の事実をミュートさせてしまう効果があるよなと。
またさらには、子供ながらに空気のようにそこかしこに感じる差別が、数十年前からあるという事に受け入れ難さを感じていたであろうこと。
”それでも私の住んでいる地域はそこまで酷くなかった”というのは、なんというか。
そういう美談を信じていないとサバイブできなかった、というか。
フィクションではないけれど、起こったことの矮小化を被差別側が精神的な安寧の為にわざと受け入れた、という側面はあるのかな、という。
何を言っているのかよくわからないかもしれませんが。
”ホテルルワンダ”日本公開当時にMixiで知り合った帰国子女氏と共に映画を観て衝撃を受けたのですが。
今でも覚えているのは、一緒に観た人物が「いやー、あんな虐殺とか野蛮なの、アフリカは怖いねー」と他人事だったので「え、日本でも関東大震災の混乱で朝鮮人虐殺あったの知らないの?」と問うと「なにそれ知らない」となったこと。
今もYouTubeの広告、本当に酷いけどな(あれは政治広告とは言わないのか)。あんな風になるのかな。
From: @keezay
https://toot.blue/@keezay/110994805843289948 [参照]
X上の誤情報が44%増加。政治広告を復活させて大丈夫なのか
#Twitter終了
https://www.gizmodo.jp/2023/09/x-brings-back-political-ads-for-2024-election.html
これか。
カジノ反対の元参院議員サイトが「カジノ推奨」に 誰が何のため?:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASR916H9JR91UTIL003.html #
万博「簡易パビリオン」切り札だったが…5か国が関心示すのみ、暗雲晴れず
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230902-OYT1T50066/
10年の維新支配で公共部門を片っ端から切り捨てて大阪をどんどん地盤沈下させ、本当の危機であるコロナ禍には何の有効な策も打てずに雨ガッパ集めて遊んでて、マトモな行政の仕事ぜんぶそっちのけにして血道を上げたアホなおまつりでさえこのgdgdっぷり。
まさにオールマイティ無能のきわみで、ホンマにいったいなんやったんやおまえらは
いわゆる「トロッコ問題」にどう答えるか?
https://www.youtube.com/watch?v=eRUfbuvhxco&feature=youtu.be
もしレバーを操作することで多数を助け、少数を死なせたとしよう。この行為は犯罪か、緊急避難か? その判断のため「他の選択肢は本当になかったのか?」が問われるだろう。命の選別をする前に、全員助ける方法を探す——これは普通に、倫理的に正しい答ですよ。
なお、「トロッコ問題」の意図は倫理学上の立場の違いを説明するパラドックスだ。教科書的には、功利主義の立場を取るなら「多数を助けるため少数を死なせる」べきであり、義務論の立場を取るなら「レバーを引かない=目的のため人を死なせ尊厳を奪う決断を下さない」が正解となる。
だが現実世界の問題はそんなに単純ではない。私の意見では、義務論の立場でも功利主義の立場でも、設問を疑い全員を助ける方法を探すべきだ。
Anti-Racist, Anti-Fascist, Anti-Sexist, Feminist, Panic disorder, 野良の念仏者 / ⚠相互の負担軽減の為、フォローの御挨拶は御遠慮ください。
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