”ホテルルワンダ”日本公開当時にMixiで知り合った帰国子女氏と共に映画を観て衝撃を受けたのですが。
今でも覚えているのは、一緒に観た人物が「いやー、あんな虐殺とか野蛮なの、アフリカは怖いねー」と他人事だったので「え、日本でも関東大震災の混乱で朝鮮人虐殺あったの知らないの?」と問うと「なにそれ知らない」となったこと。

なぜ私は普通の日本人より関東大震災の朝鮮人虐殺について知っているか、というと、私が通った朝鮮学校でも習うし、家族でもそのような知識を共有してたから、ですが。

なんつーかな、東京、横浜より被害が少なかった川崎区出身なのもあるのか、川崎の渡田で朝鮮人を保護した話や、鶴見警察の大川所長の話などを耳にする機会があったからか、そこまで酷くはなかった、という認識で留まってたんですけど。
そういう”美談”も、訳6千人を超える虐殺の事実をミュートさせてしまう効果があるよなと。

またさらには、子供ながらに空気のようにそこかしこに感じる差別が、数十年前からあるという事に受け入れ難さを感じていたであろうこと。
”それでも私の住んでいる地域はそこまで酷くなかった”というのは、なんというか。
そういう美談を信じていないとサバイブできなかった、というか。
フィクションではないけれど、起こったことの矮小化を被差別側が精神的な安寧の為にわざと受け入れた、という側面はあるのかな、という。

何を言っているのかよくわからないかもしれませんが。

なんつーか、恐怖で支配しといて、こういう美談もありました!みたいのは、なんつーか、卑怯というか、卑劣というか、美談にしたいんだろうけど皮一枚挟んだグロテスクな事実の糊塗にもなってねぇんじゃねえの、というアレはあるよな、と。

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美談もありましたね、という話にしたいのであれば、まずは歴史的事実をきちんと受け止めた土壌があって、そのような悲惨な状況でもこのような人道的介入がなされたケースも少数ながらありました、と紹介されるのならば理解できるのですけれど。
日本政府や東京都が歴史と向き合わないどころか修正して無かった事にしようとしている現実の中で「いい事もあったんです!」と言われても、まあ、そりゃあったんだろうけどさあ、という。

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