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私は「違和感」を掲げる批判そのものにかなり疑念がある。それは「自然さ」の維持の推奨と表裏だから。違和感?他人が書き、他人の認識を通すものに違和感がなくなるわけないだろう。怒りと異議申し立ては大事ではあるんだが、違和感の提示には疑問を持つことの方が多い。

キレてる連中が公平かというと、かなり疑いをもつ。

あと、この手の批判する連中はどうせ「青年誌で描かれる現場は美化されてますなあ」とかの批判はしないんでしょ。美化と不都合なものの除去がデフォルトみたいな傾向には見て見ぬふりですか?となる。

『見えないばけもの』にかんしては「ラジオと運送に対して偏見で描いてそう」が起きるわけだが、偏見なしで全部調査しろもわりとどうなの?と思うかなー。
たぶんこの筋を強調すると、原則的には「男所帯の現場といえど、いろいろです!無礼だ!」で批判的操作をかなり潰せるようになる。青年誌の基盤である男所帯秩序への批判を丸っと封じる手口になるなあと。

私は「ルポルタージュじゃないんだしその程度のズレはどうしても起きるのでは?」とみなすかな。

どう即は、「勉強しない俺が最強」のナタで攻撃したがる典型だから、癖の発展系としての自生的セオリーに振り回される人の権化だよ。ああいうのが「セオリー嫌いの擬似セオリスト」。

他方、セオリーと人文とアカデミシャン関心秩序が作り出す「英米系オピニオン論壇」もあって、ジジェクもアガンベンもフェミニズムもそこで受けてる勝利言説だよな、というはある。で、これらに対する反感もしばしば「論壇オピニオンとジャーナリズムへの反感」のヴァリアントになる。私はそれらを必ずしも舐めはしないが、同時に「もっと〜 Studiesエリアの方も掘る」を作業に入れる状態か。

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あと、論壇とジャーナリズム話法やだ〜と拒否しているうちにナラティブの模索が止まるのもあり、その種のリジェクトを繰り返していると、自分の自己形成期とその歴史に拘束されたユースカルチャー(やそれに基づくちょい年長世代への攻撃性)を延々振り翳すイキりに収斂することもよくある。そして、言説の歴史や系譜、それを強いる秩序という次元の不可視化。セオリーやオピニオン形成自体を嫌がるなら、それを代替できるフレーム作らんとだめだなと。

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いまでは、ウェブのアテンションやウェブでの受容を、「作品読解の代わりとしてのフィルタリング装置」として運用し、そのフィルタリング装置を使えば論点を縮減できて便利だから大賞を還元するために振り回す人も大量にいて、これもまた「擬似セオリーとしての言説生成装置によって無自覚に振り回される」ケースになっている。

そうすることでSNS環境への隷属に対するメタコメンタリをする(というかたちでの隷属)をやるくらいなら、私は作家論・作品論をやることで別の余白を広げたほうがよっぽどいいなと思いつつある。

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セオリーに関する学習をした方がいいというのは、セオリーを使うためというよりも、「自分の見解を型にしていって、擬似セオリーとして延々振り回す」のを抑止するためにハンドリングの知という次元を考えられるようにするためだとか、「ジャーナリズムや論壇というこれまたセオリーの亜種みたいなナラティブに曖昧に適応して、それに振り回される」のを抑止し解析できるようになるため、っていうのが大きいな、とつくづく思うようになった。

鉤括弧つきの「セオリー」と登録されていないだけで、それの劣化体、前駆体のようなものに足を取られている人は山ほどいるし、Critical Theoryの履修課程が乏しい日本ではむしろそっっちが多数いる。

ギャンブル把握が2周ぐらい進むとこうなるんかという驚きのあるツリー

“ポーカーの世界大会に出てる女性の話が面白かった。
「ポーカーは他のギャンブルと違って勉強すればするほど勝率が上がるのが面白い。運と実力の要素は50:50くらい。確率論だけじゃなくて、見えているカードによって確率が次々と変わっていくので記憶力も重要。勉強が好きな人は向いてると思う」”

x.com/paddy_joy/status/1832775

「ミーシア」まではアクションシーンを描くとチェンソーマンに似てしまう、ゆえにアクション要素を(機械破壊以外)迂回した、とか、コマのリズムを全面的に作り直したのが今作ってあたりかな。

なるほど。「ただ、〜」こそがポイントっぽいが。

“「なんで1世紀以上前の贈与論をいまさら新発見のように…」と思いかけるけど、
・贈与論は、文化人類学が射程としていた部族社会だけでなく、近世の王国成立まで範囲拡張できることを証明した
・分業社会の成立は、余剰生産力だけでなく、贈与によって成立する「安定的な王国(統治)」も並行作用あたりが刷新的なのか。

ただ、まだ近代国家・経済を射程に含めていないので(そこにはめっちゃ高いハードルがありそう)、「贈与が数理化されたので、これでこんにちの経済学が塗り替えられる」とか騒ぐのは激しく拙速な気がする”

x.com/ganko_na_yogore/status/1

六目年の浦島太郎は、「案外、ルックバック改造じゃね」と思った。もはや原型を簡単に辿れないレベルにまでいじることに成功してる。
漫画家修行で明け暮れて5〜6年経過したというモチーフを、思い切り見せ方を変えたんだろうなと。

いろいろ読んだが、短編は何かしらのオープンエンドを要求するんだなあと示唆される。そういうふうに開かない、開きたくないという衝動もしばしば制作では生まれ、新井英樹が言及してる感覚は「作品の終わりとともに俺もお前も死ぬ」のドライブだろう。 x.com/arai_h_official/status/1

自分の生き死に、作品の生気的活動の有無を、作品の開閉を一致させたくなるという志向。しかし実際には作者は主人公や作品と一緒に死ぬと、失うポテンシャルが多い。

天使と悪魔、フリーレン連載前にフリーレン魔族モチーフをとっとと攻略してるような作品やんけと思ってしまった。絵と技法は、審査員の藤本タツキ狙い撃ちにする作戦でまとめたってところか。

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16歳時点でこれでデビューかあ。 shonenjumpplus.com/episode/108

デビューから約五年経過って、六年目の浦島太郎って「漫画に費やした年数」っぽいな。

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「六年目の浦島太郎」、7月公開の時点でバズらなかったが、9月になってやっと注目されたという時間差なんかー。こっちの一覧からだとすでに埋もれてるのやばい。入賞しただけでは全然注目されず、ウェブのアテンションがないと何も読まれないのが痛烈に示唆されてる。 comic-days.com/newcomer

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