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私はこういう反応の方にもかなりピンとこないものがあるな…。こういう意見の背景にあるのは、「男向けの絵柄、女向けの絵柄、普通の漫画、BLの漫画、といったバイナリーコードが明確に存在していて、男女の文化で振り分けられているはず」という漫画の様式と性差の対応関係への強固な確信だよね。
そういう絵柄や様式による拘束力の強さから「リアル」判定をしているという話をしている。そんな馬鹿なとか、絵柄のクロスオーバーぐらいあるし、受容者のクロスオーバーも今では全然珍しくないけどなあ、という認識の方が私は強く出てしまうが…。なんか30〜40年前の「男か女かは絵柄と線でわかる」といった認識と実質同じものが今でも暗黙に支持されているんだな…。

もっと「3年B組一八先生」みたいな青年誌絵柄ハックでないと機能しないんかな。

私はアフタヌーンとモーニングこそが「青年誌が女性漫画家をヘッドハンティングして起用する先駆」とみなしているんだが、それは同時に飼い殺しでもあったわけで、要検討な要素が多い。結局、男性読者の大半は女性作家を「有徴化された」存在として見てただけなんか?とか。

x.com/kyouji0716/status/183333

限界まで辞めずに粘るとどんなステージに突入するのかを競うRTAプレイみたいだな…(そんなことせんでほしい)

news.yahoo.co.jp/pickup/651319

けっこうバランスよく有名作品入ってるな。買おうかな。1320円の文庫かーうむーとはなるが、5000とか行かないわけだしノリで買える範囲。

『ドイツロマン派怪奇幻想傑作集』
遠山明子 編訳
創元推理文庫

tsogen.co.jp/np/isbn/978448858

収録作品:
ルートヴィヒ・ティーク「金髪のエックベルト 」
ルートヴィヒ・ティーク「ルーネンベルク」
K・W・ザリーツェ=コンテッサ「死の天使」
K・W・ザリーツェ=コンテッサ「宝探し」
フリードリヒ・ド・ラ・モット・フケー「絞首台の小男」
ヴィルヘルム・ハウフ「幽霊船の話」
アヒム・フォン・アルニム「世襲領主たち」
E・T・A・ホフマン「からくり人形」
E・T・A・ホフマン「砂男」

短編すごくても、食えるかっていうとまた別だし、短編の名手をたくさん生み出した少女漫画誌ですらいまや短編で食うというモデルは成立してない気がする…。アフタヌーンは、短編から連載までに発展させるスキルがどれほどあるのかちょっとわかんないんだよな(自分が検討しきれてない)

私はアフタヌーン感度が落ちてるからか、市川春子のあとで、四季賞作家ってそんなにうまく活躍してるかな…と疑問もあるかな…。短編すごい、はけっこう出る。しかしその後で軌道に乗せれたかというと…。

初期の四季賞受賞者はきわめて興味深く、新井英樹が1989年に受賞したがモーニングやスピリッツでうまく活躍できたといった、青年誌とオタク漫画誌のボーダーであったことなどが示唆される。まあもともとモーニング増刊だしな。

ja.wikipedia.org/wiki/アフタヌーン四季

どう即にかんしては数年前にざくっと把握完了してあるんだが(その後の追跡してないからちょっと変化してるかもしれない)、彼のダメなところは、「違和感なく読めるコラムやエッセイだけを読む・それ以外の書き物は“いけすかない専門的なもの”なので俺には関係ない」と選別と遮断をやることで、そうするのが「自然」であり、無垢な自分を守ることができる、という保守的なイデオロギーが貫かれていることにある。

そういう人間が「こいつは聞くに値する、こっちは戯言だ」とかソムリエ的言動をすること自体がものすごく傲慢で、「俺は大衆だ」を攻撃の道具に使ってる。

私はむしろああいうのを見て、読まれないように工夫をする側だな…。

保守性、かつ主観的には「いやいや公正の側ですから」と思ってそうな配分において、別饅頭とよく似てる。

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白江幸司 さんがブースト

「トー横」 都の施設でわいせつ行為か 子どもを守る場所で何が | NHK www3.nhk.or.jp/news/html/20240
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x.com/colabo_yumeno/status/183
仁藤夢乃さんのこの記事へのXでのコメント:

「… この事件が公表されることになったからなのか、9/3から『きみまも』利用には身分証が必要となり、性搾取の被害に遭っているような少女が利用できる場ではますますなくなりましたが、
これまでも、『きみまも』では少女に売春させることで生活している男たちが快適に過ごし、その間に少女たちに売春させ.『きみまも』が閉まってから、少女が体を売って確保した宿に向かうということが続いていました。
東京都はこれを放置してきました…」

関連YouTube:
youtube.com/watch?v=RQb5PtKqh4

#Colabo #東京都

吉野マトのめちゃくちゃ藤本タツキファンなことを考えると(作品だけではなく東北芸工大藤本タツキ特集で呼ばれて対談までしている…)、『六年目の浦島太郎』は『ルックバック』改造として読める。「もう小学校も卒業するのにいつまでマンガ描いてるの?」のあたりの要素を膨らませたんだろうなと。

初期2作も、チェンソーマン第一部中期に並行して描かれている気配があり、新鮮な思いでチェンソーマンを読み返すことができて、示唆が多かった

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寝転がってベネット『震える物質』読んでる。

怒りのツイートは「作者は運送の仕事をどうせ知らないしで描いてる」と予断を持ってるわけだが、「何人かインフォーマントがいた」「つか実際働いてた」「風俗に誘う場面見た」とか作者が言い出したらどうなるんだろう?とか思った。誰しも現場なんて個別的にしか知りようがないんだから、「そういう現場もあった」というまとめになるおそれもある。

「ファンタジー世界でホモソーシャル現場を批判する」みたいな技こそが暗黙に望まれてるんだろうなあ、と思う。「俺、そこで働いてるから。むかつく」を潰すならこれよ。でもそれってなあ…

荒いところはあるかもしれないが、そもそも異を唱える際にコンフリクトと不満が生じるのは避けられないよ。

で、じゃあ「ホモソーシャルな職場ってこういう所なのね〜」という要約の可能性をあらゆる手を使って除去するのが正解か?という問いが生じる。
たぶんそれをやると「具体的シチュエーションを無しにする」という荒技にならない? つまり言葉だけ、想像上の現場だけを言葉の上で語るような処理にして、あらゆる個別性を除去すると「ムカつく」はかなり回避できる。

読解を挟んでることをあたかも不動の真実みたいに語られると、この解釈者がまさに欺瞞吹聴してね?と思うんだが…

作品受容を作品がそこまでコントロールできる?

これ、受容へと作品を還元してるんだよ

「ホモソーシャルな職場ってこういう所なのね〜」という、要約がすでに「一面的」な読解では。

とはいえ違和感への疑問も強調の度合いを間違えると単なる抑圧になるという。

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