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パーフェクトデイズに関する思弁はどんどん焦点が移動していった。

ヴェンダースもエリセも妖精とか精霊とか夢とかを入れることで、映画のメディウムスペシフィシティをリアリズム様式にとどめるのではなく、隙間を作ることの注力がけっこう一貫してるわけで、20世紀後半型の「アンリアルなものの導入」手法が、今世紀の政治的感度とうまく釣り合ってないってのがPDの問題なのかなというふうに考えるにいたった。

たとえば同じような欠点として今や浮上しているのがJホラーに今世紀の政治的イシューを絡ませられず停滞し、他方韓国や台湾のホラーの方がむしろ植民地後の記憶の政治学の導入が見られる状況が考えられる。

世俗の中に、道化や愚者から聖性を見出す手法一般について作品群を検討して考えることもできるんだろう、などなど。

白江幸司 さんがブースト

不況の中国で中国版100均が店舗数を急激に増やしているとか、ブランド品のディスカウント販売の売り上げが好調だというニュースを見て、これ90年代後半から2000年代の日本じゃんって思った。あの頃100均がめちゃくちゃ増えたし今は大分数を減らしているアウトレットモールも盛況だったんだよね。

このへんからつなげば、パーフェクトデイズちいかわ説はいくらでも整合的にやれそう。

news.yahoo.co.jp/articles/1098

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他方、おっさんとの心温まるエピソードをやると、昔ながらの人情ものに近づく。PD寅さん説が生まれるのはこのゾーン。
また、おっさんずラブは加害的か?といった争点も視野に入ってくるし、心温まるエピソードやりすぎると、役所が「貧しい日本に元気を与える妖精」っぽくみえるおそれもある。

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役所萌え萌えちいかわ説の感想ももちろんあるよ。twitter.com/sakumanju/status/1

この線で考えると、ねこじるからナガノへの露悪要素ハンドリングは「絵の世界ゆえの『現実にこういう奴がいたら』フェイズ導入とそのずらし」に相当する、となる。PDと違って「美化しすぎ」みたいな反応が絵本やファンシーでは起きない、だからこそ、作中で「現実」モチーフをもう一度入れるわけだろう。こういうメディウムごとの分岐と対比の方をやるべきかも?と思う。

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パーフェクトデイズの役所には、ちいかわを見出すのもわりと簡単だろうな。人から声をかけられたら、コクコク頷いて、ン、ン…!って反応してることがよくあるので。低階層便所掃除ちいかわの東京暮らしだという説が成り立つ。

で、PDちいかわとしてみると、「ナガノのジェンダー秩序が消えたような達成と比べると…。役所はおっさんやらおばあさんとも心温まるエピソードやれや」と即目につく。それが「女からの都合のいい承認や好意の配置はなんですかー?きもいー」のオピニオンの背景だな

タネールの『白い町で』は昔はVHSがレンタルされていた。レヴューみたら記憶にあるよりずっとクズっぽかったので笑ってしまった。そんな話だったっけ。
filmarks.com/movies/16462/revi

桐島とパーフェクトデイズを重ねる意見めちゃくちゃ散見されるので、2023年末から2024年初頭までの日付が刻み込まれたカップリングが形成されている。

あ、そうそう、忘れてた。私は最初「桐島聡の生活これでは?」と思ったんだよな。絶対結びつけるべきだろと確信しながら序盤を見た。

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タイトルはルーリードから取られているが、「音楽良ければ全てよし」の民なら、ここから別のアレゴリー操作を見てとって一気に名作扱いにする作品読解も構築できそう。

パーフェクトデイズってタイトルにできたのはヴェンダースブランドゆえだろうな。もっと無名なら「トーキョージブシー」とかになりかねん。

映画『PERFECT DAYS』劇中曲
note.com/mztkwf/n/n880e42aa527

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別に私にとっては入れ込んだ作品ではないんだが、「映画のリアリズム様式とその崩し方のパターン」については考えさせられる。

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で、役所演じる主人公は日々写真を撮り、夢の時間に日々の記憶を浄化してるふう(なんかヴェンダースの妻のドナータ・ヴェンダースが作る写真スライドみたいなのが挿入される)なので、そもそもリアリズム様式を部分的に崩してるわけで、田中泯投入と、カセットテープで音楽が流れるまどろみ感は、わりと全体の構成が要求してるなあとも。

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8-10個ぐらいトイレ出てくるんだけど、二つ目がすでに隈研吾トイレなんだよね、あれで「うさんくせー」となる人が出るんだろうな。

あとは、田中泯が「柴や薪を背負子で背負ったホームレス、しかも踊る」なのはひどいんだが、でもビクトル・エリセの精霊要素ってこれでは?と抗弁されたら、即座にカウンター応答できるか自信ないなあ。

あと、トイレおしゃれすぎと田中へのツッコミは「リアルではない」コメントだから、どっちもリアリズム様式から自動生成されるやつじゃん?と隙がある。

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ロマンスの気配は全くないわけではないし(同僚が口説く若い女、姪、行きつけのバーのママさんからの好意描写。しかし展開しないのがうまいんだが)、むしろロマンスがうまくいきそうな進行が生まれるたびに、主人公がニコニコするので、この匙加減がポイントだなーと笑った

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評者は「没入を表明すると、そいつのポジションを問われる」し、かつ、「下手に批判してもそいつのポジションを問われる」がある。

若い奴で作品に冷淡な人もそれはそれで「お前のポジショントークだよな?」とカウンターくらいそう。

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北村紗衣は「階層的に便所掃除マンに同一化できないからキレるが、その種のフラストレーションこそが欺瞞的」と位置付け可能だし(便所掃除の会社は不当な扱いをしてるわけでもないから、会社にキレさせるのはいかにも「ヘイトターゲットを都合よく配置した」だけにならないか?)、北村匡平は「便所掃除マン階層じゃない、どころかマンションのローン組んで妻子いるのに、「俺の心の中の自我はこれ」のノリで没入してるから欺瞞的」と位置付けされてしまう。

つまり作者/作品の主人公の落差に対して、今度は評者/作品の主人公の落差が待ち構えている。小説家、さらにはプロレタリア文学においては、この手の落差は封じ込めに成功していたんだな、と逆に気付かされた。

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