北村紗衣は「階層的に便所掃除マンに同一化できないからキレるが、その種のフラストレーションこそが欺瞞的」と位置付け可能だし(便所掃除の会社は不当な扱いをしてるわけでもないから、会社にキレさせるのはいかにも「ヘイトターゲットを都合よく配置した」だけにならないか?)、北村匡平は「便所掃除マン階層じゃない、どころかマンションのローン組んで妻子いるのに、「俺の心の中の自我はこれ」のノリで没入してるから欺瞞的」と位置付けされてしまう。
つまり作者/作品の主人公の落差に対して、今度は評者/作品の主人公の落差が待ち構えている。小説家、さらにはプロレタリア文学においては、この手の落差は封じ込めに成功していたんだな、と逆に気付かされた。
タイトルはルーリードから取られているが、「音楽良ければ全てよし」の民なら、ここから別のアレゴリー操作を見てとって一気に名作扱いにする作品読解も構築できそう。
パーフェクトデイズってタイトルにできたのはヴェンダースブランドゆえだろうな。もっと無名なら「トーキョージブシー」とかになりかねん。
映画『PERFECT DAYS』劇中曲
https://note.com/mztkwf/n/n880e42aa5277
やっぱり重ねてる人いた。役所の実年齢よりカルチャー古いよなと思った https://twitter.com/6aumiftsocqwpdy/status/1762616701022249365?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w
やはりルーリードからひっくり返す技が生まれたな。
"『Perfect Days』を非実在おじさんの上質ルーティン映画だと断じて考えをやめてしまう人には、デイブ・スチュワートがルー・リードの「Perfect Day」について語った次の言葉を捧げるのがいいだろう。
「この曲の怖いところは、実はおそろしい状況が謳われている、と次第にわかる点にある。きれいな曲なのに、背後ではディズニーランドと闇の国がとけあっているというわけだ」"
https://twitter.com/shibasakiyuji/status/1769901279864930731?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ
あ、そうそう、忘れてた。私は最初「桐島聡の生活これでは?」と思ったんだよな。絶対結びつけるべきだろと確信しながら序盤を見た。