唯一無二のこの肉体をツルツルスベスベピカピカキラリンにしてやるために風呂に入るか……肉体への愛を発動させるぞ。なにしろ今さっきトカゲに温浴をさせてやったわたしだ。自らの肉体にしないという手はない。 #お風呂ドン
なんとかなった! 腹はへるし顔一面ぶつぶつできてるって気づいてテン下げだけど、なんとかなってるよ! #用意ドン
うーっ、さっきの用意ドンから三時間経ってるのにまだ外出の目処が立っていない! ひとつずつやるんだ。まず服を選ぶんだ。 #用意ドン
エビフライを食べたい気持ちになって数ヶ月が経つが、食べられていないのでまだ引きずっている。手軽にそれなりにおいしいのが食べたいんだけど、どこ行けばいい? ロイヤルホストとか?
昔の写真を7割は捨てましたが、まだもうちょい捨てられそう。レザー風の表紙で見開きの、写真館で撮ってもらった記念写真はどれもこれもひどい顔です。
写真を真面目に整理しているうちに、まるで死にゆく者のような気持ちになってきました。子ども時代の黒歴史やしんどい記憶が次々と蘇ります。なにしろ自分をよく見せる嘘ばっかりついてた子どもだったので、恥ずかしいエピソードはたくさんあるんです。
いま振り返れば、そうするしか親にかわいがってもらえないと思いつめての行動で、それが家の外にも染み出しちゃったんだとわかりますが、恥ずかしいことは恥ずかしい。昔の知り合い・友人にはなるべく会いたくない。嘘つきってなかなか直らないから、いい大人になったいまも、話を盛りたい欲に抗うことが多いです。あるいは嘘をつかないように、でも本当のことも言わないように、黙ってしまったり。
死にゆく者みたいな気分、なんて言いましたがまだ予定はありません。120歳まで生きますよ。
会場内を何周もして少しイライラしながら新しいエリアへ行っては伏線を回収する感じが、昔のゲームをリアルでやってるみたいだった。バリアフリーどころかバリアしかないのはまあ良くないんだけど、すごくワクワクしたなぁ。迷宮やダンジョンを探索してる感覚。
そして何より目当てで行った公演が素晴らしかった。埼玉県在住のさまざまな職業の6人がパントマイムで働く様子を再現する。それぞれの実体験を誇張し戯画化つつも、働き手の心象風景が浮かび上がってくる。「先生はなんでこの仕事してるんですか?」と聞かれまくるWEBデザインスクール講師が特に良かった。
BT、これはほんとにその通りです。前回、2020年のさいたま国際芸術祭も、地下は暗いし、人の背の高さほどあるロッカーをつなげて真っ暗な迷路のようにした作品(作者名が出てきません。ごめん)もあり、楽しめるひとをかなり選ぶつくりでした。
昭和四十から五十年代に建てられた公共建築物を使っているので、バリアフリー一切なし!くらいの勢いですものね。
とくに今回は、旧市民会館内の部屋を透明なアクリルで斜めに区切り、いったん階を降りて出直しさないと向こうへは辿り着かなかったりして、今自分は何階にいるんだろ?とわからなくなることもしばしばでした。
たぶんわざとではあるんでしょう。現代美術を観るハードルを、わざわざ上げているようにすら感じられます。
昔の写真を見ていて不思議なのは、こどもの持ち物や服の「赤」がぜんぶ同じ赤に見えること。服、リュック、帽子、ヘアゴム、水筒に至るまでおなじ赤。ほんとうに同じだったのか、写真の色表現の限界みたいなもんなのか…