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あ、しかも「Divergent」シリーズも見かけていた。そういやマイルズ・テラー出てたなと思って。嫌なヤツっていうか裏切るヤツの役だ! 好きです、そういうの。

アマプラでおすすめに出てるやつを素直に見てるんだけど、それでカニバリズムとか自殺願望を伴う鬱とか終末期の病とかふつーに出てくるので、映画とかドラマって刺激が強いよなと改めて思うなどした。こないだ「イコライザー3」見てた時も「こんな暴力的なものを余暇に好んで見る我々とは…」と思ったけど。

週末ずっと家にいたのでアマプラでいろいろ見てた。
・「The Horror of Dolores Roach」人生やり直そうと思ったら人肉パイができてたブラックコメディ。30分x8話完走。
・「Sitting in Bars with Cake」ケーキ作りが得意な主人公と親友のあったか友情ものかと思いきや難病もの。
・「Meet Cute」一夜のデートを繰り返すタイムループもの、鬱病バージョン。
・「Polite Society」パキスタン系ブリティッシュ版ぶっとびコメディアクション。

「Creed 3」しかし全くの無名でも世界王者とカード組んでもらって勝てばいきなりチャンピオンになれるっていうプロボクシングの世界すごいな。結局は興行で観客が入ればいいわけだから、強い所属ジムのバックアップとか本人の強い個性やストーリーがあればいけるのか。エンタメだなあ。

「Creed 3」見てるけど予告から私が想像してたものとは違ったかも。いやすっかり成功してハングリーさを忘れたアドニスのもとに過去自分のせいで投獄された親友デミアンが現れ…っていう、つまりよくある物語の主人公・悪役を反転したやつ(今度はアドニスが倒されるべき役になる)かと思ってた。正解はデミアンちゃんと悪役なのでなんにも反転してません。

今月アマプラ入ったから色々見てる、という話を人にしたら「シックスヘッド・シャーク」をすすめられた。見るか〜。

今日は一日家にいたからじつはもう一本「The One I Love」も見てる。マーク・デュプラスとエリザベス・モスが離婚寸前の夫婦なんて面白そう!と思ってぽちっと再生した。愛とはその人の「could have been」を愛することであって「be」ではないんだろうか。的な所感メモ。

「Guy Ritchie's The Covenant」アマプラで。 

ガイ・リッチーが贈るテストステロン全開の”男の絆”映画(米軍プロパガンダ版)。アフガニスタンで作戦中に負傷したジョン(ジェイク・ジレンホール)を命がけで救った通訳のアフマド(ダール・サリム)。その恩に報いようとジョンはアフマドを亡命させるためアフガニスタンに舞い戻る。

命がけの約束を果たしあう男と男、みたいなことなのでそりゃガイ・リッチー監督の得意分野です。私は人生の前半でマッチョだったりホモソーシャルだったりなものをたくさん摂取したため後半生はずっとお腹いっぱいで生きていく予定なんですけど、でもこういう「原液」みたいなのはすごいなって思う。男の絆って熱い!みたいなふんわりマッチョ作品は世にたくさんあれど、ここまで”純”な原液として具現化できる人やっぱりそうそういないので。”男と男”界の魔術師。

全体としては米軍と現地通訳の”友情”をそう美化されてもというのもあるし、ただメッセージとしては我々米国はもっと彼らへの義理を果たすべき(救出すべき)ということだろうから表面的なレベルで自己批判的といえなくもな…い…?という感じです。

しかしそういう監督の特定の作風への背景知識がなかったら普通に付き合ってたと思われると思うけどな、ああいうの。やはりあのイチャイチャ芸って「男同士ではどんなにイチャイチャしても付き合ってない」という前提の世界に住んでないと成立しないんだなって。ホモソーシャルとは何かを教科書レベルで体現していくガイ・リッチー映画。

ガイ・リッチーの戦争モノ「The Covenant」見てるんだけど、序盤で主人公のジョンが同僚のデクランとなんか妙にイチャイチャした会話をするシーンがあって、私は普通にふーんこの二人は付き合ってたのかなと思ったんだけど、あっガイ・リッチーの映画だからこれアレだわマッチョ&ストレートガイ特有のコミュニケーション方式だわ…と思い至った。久々に見るとさすがの一言、ガイ・リッチーのホモソーシャル伝統芸。

「イコライザー3」見てきた。 

名もなき市井の人々を助けるために殺戮を繰り返すやりすぎおじさんことロバート・マッコールさんの最新の活躍を見てきた。今回の舞台はイタリア! マッコールさんを美しいシシリアの町で撮りたい!というフークア監督の思いが感じられた。舞台以外はいつものです。

まあ一作目からそうなんだけど、三作目となる今回はマッコールさんも異国でちょっと気分がアガっていたのか殺し方がもはやスラッシュムービーのそれで爆笑(してる場合じゃない)。スタイリッシュとギャグとホラーが出会う境界、それがイコライザー。

しかし誰かを助けるためとはいえあんなエクストリーム・バイオレンスを実行できる人、やはり人間のコミュニティの一員として定着するの難しいと思うけどな…。ほとんど荒ぶる神みたいなもんじゃないですか。敬い奉ることはできるけど隣人にはなれない。触らぬマッコールに祟りなし。

なんか「モービウス」すごく面白かった人みたいになってるのですがそれは私の魂と「モービウス」という無機物が化学反応を起こしたからであり、「モービウス」自体は普通にすごく出来の悪い映画です。

いやー「モービウス」 

マイロの思い、完全にunrequited loveだったな…こんなにunrequitedなloveそうそう見ないってくらいに…。

こういう報われない愛を私は観客として巨大感情だ!って喜んでいいんだろうか?っていう迷いある。いや巨大感情っていうか普通に相手から返してもらえなかった愛なんですよ。むしろモービウス→マイロのほうが極小感情すぎるんよ。

巨大感情って本来べつにあるべきでないところに謎の大きさで存在するから巨大感情なんであって、マイロのやつはそこにあって当然というか普通や…そりゃ希少疾患という共通項あって小さい頃に出会ってたらそのくらいの思い入れあるじゃん。相手が人の心がないモービウスだから返してもらえなかったけど。

まだ言う「モービウス」 

そもそもモービウスはマイロのことなんだと思ってたの??

出会いからしてモービウスが与えたのは「マイロ」っていう彼の本名ルシアンにも全く関係ない、モービウスが誰にでも与えていた名前じゃないですか。何代目のマイロかも覚えてなかったくらいの。その名前を「君がくれた名前だ」ってずっと使ってきた(あとお金をたくさん貢いできた)マイロ=ルシアン、なんでモービウスなんかをそこまで……??? 劇中のすべての行動を総合するとあいつワンチャンあなたのことなんとも思ってなかった説あるけど…

「Red, White & Royal Blue」(すごくどうでもいい、ほめてない) 

米国大統領の息子と英国王子のラブロマンスだと聞いてたのでもっとヒリヒリしたやつかと勝手に思ってたらびっくりするほど罪がなくてびっくりした! クリスマス映画みたいだ。あまりに罪がなかったので二人の幸せを祈願して45分時点ぐらいでリタイヤ。ホリデー気分の時期になったら続き見ます(たぶん)。

「モービウス」いやーすごかった。単なる凡作には出せない味あった。でも怪作ってわけでもない。なんかこう…中に人が入ってない…? そうなんか人間の集団が作ったはずなのに中に人が入ってないような映画だった。

「モービウス」見終わった 

モービウスなんでまだ生きてるの?
いや別に生きててもいいけど…物語的にはすべてを失ったし特に使命とかもないし人の世に害なす怪物として生きる覚悟ができたわけでもないから、最後のシーンでマイロと一緒に死ぬべきじゃない? いや続編構想(当時)があるから生き残るのはわかるけどそれならせめて死のうとはする→なんらかの理由で失敗して生き残ってしまうべきでは? モービウスおまえ…生きる理由もないのに生きてるなんて真のアンデッドじゃん…

その点映画「ヴェノム」は 

見た目グロい怪物に変身して人の頭を食ってしまうという断然「呪い」度の高い超人パワーを持ちながら、エディはヴェノムの存在が喜びなんだってことを否定しないじゃないですか。二作目とかもはやこの世界で大事なものは俺たちの愛だけになってるし。あれはあれでもうちょい葛藤とかないの?!ってなるけど、ヒーロー映画文法としてはあれで合ってるし、登場人物の感情として整合性がある。異端だとしても整合性はある。モービウスおまえは異端である前に支離滅裂だから…

やっぱり「モービウス」 

超人的な力をワクワクするものとして描くスーパーヒーロー映画の文法から抜けられてない&モービウスとマイロの病気を(おそらく単に見た目のわかりやすさのために)身体的不自由として描いたから問題がややこしくなるんですよ。

生涯に渡って身体的自由がなかった人にとって、たとえどんな代償を払おうと「ヒーローみたいに超人的に動けるパワー」はまさに夢みたいなものじゃないですか。いくらモービウスがこれはcurse(呪い)だと言おうが、動ける!生きられる!ってことが喜びであることを認めないわけにはいかないでしょ。しかも映画自体がそこをエキサイティングな部分として描いてるわけだから。
ただそのための代償が大きすぎる…という倫理的葛藤はあるにしろ、まずは認めないとはじまらないし、その喜びを自分だけ享受してマイロには与えないことの倫理的葛藤だってあるはずですよ。

こういう心理を描く気がないなら、超人的な力をヒーロー的なものではなくもっとおどろおどろしくホラー的なもの=呪いそのものとして描くべきで、それだったら整合性はとれるんですよ。整合性?なにそれおいしいの?

いやその「モービウス」 

いやもしモービウスとマイロが親友でなかったらね??? 血清を狙う人物(=この映画におけるヴィラン)があんまりモービウスと親しくないとか全然知らんヤツだったら、「無辜の人を傷つけてしまうからお前にはこの血清は渡せん!」で主人公としては正しいと思うんですよ。

でもマイロは同じ病気で苦しみ励まし合ってきた唯一無二の親友(かつパトロン)なわけじゃないですか。だったら、「無辜の人の血を啜ってでも自分が生きたいかどうか」はマイロに決めさせてやるべきじゃないんですか。お前は親友として、マイロがその問いにノーと答えることを信じるか、たとえイエスと言ってしまうとしてもせめて問うことくらいはすべきじゃないんですか。なんでお前だけの倫理観でマイロは死んだほうが幸せって決めてまともに話もしないんですか。お前はそれでも友達なのか?????

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