今日は新宿で井上ひさしさん原作の舞台『闇に咲く花』を観て、終わってから時計を確認したら16:10過ぎだったので、17:00からの芥川賞直木賞授賞式に間に合う!と思って割と駅を必死めに走って、大人の顔と首にはなかなか見ない量の滝汗と共にギリ間に合った。
『ハンチバック』の市川さんの受賞コメントを聞きたいので超走った。
すごくよくて大拍手したし、目尻に少し水が出た。
以下、わたしの曖昧な記憶のメモで不正確ですが…
SNS炎上の話
ナベツネ「悪名は無名に勝る」
読書バリアフリーを標榜しており、電子書籍を出さない作家(ピー)に手紙を書いたことがあるが、スルーされた。
20年も落選させ続けたライトノベル界への呪詛。
しかしこの場を借りて御礼申し上げたい(芥川賞という結果につながったからかな)。
『ハンチバック』で復讐するつもりだった。私に「怒り」を育ませてくれてどうもありがとう。
しかしいまここにいると復讐は虚しいとも感じる。私は愚かで浅はかだと。
愛の作家になれるようがんばりたい。
以上…
「怒り」というキーワードに強く反応した後、とつぜんの「愛」に驚いたし心に届いた。
B型事業所の見学をしたことがある。その事業所では結構立派なお弁当やパンを作っていた。
「健常者が作ったなら能力の高低に関わらず時給1000円はもらえるのに、同じ食べられるお弁当を作っているのに、どうして障害者が作ると時給100円になるんだろう」
そういうふうにしか思えなかった。
その事業所では交通費の支給もなかった。障害者が働けば働くほど赤字。
しかも働く場ではなくて障害者の訓練の場と言ってる割に、就労につながるスキルが身に着く作業はないんだよね。み〜んな嘘つき。
「ジェンダーの人」は私の知る範囲内だと2000年代後半にはフェミニズム系の主張をする人や組織に対する揶揄のニュアンスを込めて使われていて、なんとなくバックラッシュの影響かなと思っていました(その前からあったかもしれないですが)。
ただその時には「トランス」ではなくてあくまでもフェミ系を指す言葉で、それがトランスジェンダー自体を指す形でも使われるようになったのはすごく最近だという気がします。
出所がそこかどうかはわからないけれども、トランスを「ジェンダーの人」と表現するのを見聞きすると、トランス嫌悪を梃子にして感情的動員をかけた反ジェンダー運動の影響がここまで及んでいるのかと思えて、とても嫌な気持ちになります。
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「SF小説入門&偏愛ブックガイド」には寄稿者の愛、パワー、願いがたっぷり込められています。
前回の予告時点ではじつはまだ収録されていなかった「大学SF研座談会」(東北大学SF・推理小説研究会×京都大学SF・幻想文学研究会×大阪大学SF研究会)もばっちり記事になりました。
一方でエッセイ「若手によるSF活動」(岡野晋弥/紅坂紫/あわいゆき/岡本隼一)は、別にSF研究会ではないSF好きが、同人誌作りや翻訳やライティングやイベント運営を主体的にモリモリやっていったエッセイ集です。
ジョン・ヴァーリイの翻訳でも知られるSF評論家、書評家の大野万紀さん(1953年生まれ)には、日本SFブーム絶頂期のSFファンの活動を回顧した「SFファンたちはどう生きるか――SFじいさんの昔話」を寄稿していただきました。これもかなり面白いです。
出版社のツイートURLはこちら↓
https://twitter.com/Hayakawashobo/status/1689562304713826304?s=20
地方、それも多くの人が自分の過去を知っていて、現在を注視する地元で、マイノリティとして生きてゆくということはとても困難で、ほとんど追い出されるようにして地元を去り、人生をやり直さざるをえない方が多いのが現状だと思ってます。ただ、どうあがいても出ることができない/出ることを選択しない/戻ってくるしかなかった存在が「いない」ということではなくて、そういった存在って、生存のために声をひそめている、自分を押し殺し、自分と同じ属性を笑う周囲に合わせて笑うしかない状況にあるのかも……といつも思ってわたしは不安になってる。そういう存在って実存を宣言できない立場にあったり、強い言葉を使えなかったりするから……実際わたしも地元から出られなかったひとりだし、「地元」に向けて、この物語を書いたよって宣言するのはすごくこわい。「地元」からは少し離れた出版社からだから、この物語を出せたと思っている。
周囲と自分の凹凸を均しながら、「ここで生きてる」ひとの物語があればいいなあと思って作りました。
QT: https://fedibird.com/@azusa_inoue/110851574477753545 [参照]