選挙、行けるひとは行こう!
選挙権、最初はお金持ちにしかなかったから、お金持ち以外のひとのこともすべて、お金持ちが投票した結果にかかっていました。
男性にしかなかったときは、それ以外のひとのこともすべて、男性が投票した結果にかかっていました。
戦後、女性にも選挙権が認められるようになりました。
それでも。
今でも、選挙権を行使できないひとはたくさんいます。
日本国籍がない人、戸籍がない人、今いるところからは地方選に投票できない人(在外投票・洋上投票は国政のみ対象)、投票の年齢に満たない人、怪我や身心の不調で動けない人・・・。
社会はいろんな人によって構成されていて、構成員のなかには投票できない人もいます。
みんなでいっしょに生きる社会をつくるためにも、行けるひとは投票に行きましょう。
投票できるひとがおこなった投票の結果に、それ以外のひとのことがかかっているのです。
小川淳也は周囲の影響受けすぎなんじゃなくて、単に頭が悪くてお調子者にしか見えない。コロナについての国会答弁なんて、本当に酷いものでしたよ。何にも理解してないし、全くの勉強不足なくせに、如何にも分かった風を装って正義を主張しているかのように御託を並べているだけ。ちょっと聞くに堪えなかった。
マスクは自分が罹らないという以上に、自覚症状がない内に自分が他人にうつしてしまうリスクを下げるという利他的なものであって、特別な事情無くさっさと取ってしまう人というのは、要するに「そういう人」だという目で見ざるを得ない。
被差別側の数が多い女性差別は、社会で大きく認識されればいち早く消滅してしまいそうだが、本気で解消される気配もなく根強いのは、女性は男性側にとって自分の現在の立場を危機に晒す脅威の存在だからであろう。学力、仕事、家事、気の利き方……腕力ではないほとんどの部分で女性が優っていることを、男性が認識している証拠ではないか。
学歴への偏見も世の中にあってはならないとは思う。だけど、同じ職場で、同じ部署にいて業務での繋がりがそこそこ深いと、4大卒/短大卒/それ以下 で視野の持ち方や社会的な知識(常識の範囲)、考え方が少しずつ異なり、4大卒から見ると内心「あぁ……やっぱり高卒(専門卒)だったか」と感じる結果が多い。自分は、影響する範囲を広く認識した上で、ペースはゆっくりでも他者への影響を最小限にしながら全体をうまく進める方法を考えたり選ぼうとするほうだが、何事も自己利益のために短く浅く狭いスパンで結論を出して進めようとする、自分とは正反対を行こうとする人たちはほぼ短大卒未満で、その考え方を受け入れることは正直なところストレスである。彼らのやり方が功を奏する場合もあるとは思うので全否定はしないが、なかなかきつい。
違いの元は、学歴よりも、結局は育った家庭環境なのだろう。そこを同質化していくには、やはり分厚い中間層の回復が鍵ではないか。
産休・育休から復帰する和久田さんを早速、ニュース7に抜擢すると。他にアナウンサーはたくさんいるのに、なぜ、和久田さんなんだ?見た目の可愛さか?
看板番組を固定のアナウンサーで回すここ数年のNHKの配置も、上層部の好き嫌いで決まっているのではないかと思ってしまう。観ているほうには各アナのスキルの違いはほとんどわからないので、余計に。
最近こういう現実を知った若い人が多いんだろうが、左派側が風俗産業に篭絡されているのは今に始まった話ではなく、例えば数十年前に週刊金曜日誌上を中心にして起きた「売る売らないは私が決める」論争などがその典型で、自己決定権の尊重という美名のもとに、拒否権を持てない人や選択肢を奪われている人らの不可視化に左派側も一緒になって加担してきたのだが、その延長線上に今がある。
あのときの論争の仕掛けた方にいた中心人物は歳も重ねたせいか、今は全面には出てきていないが、彼の息がかかった子分格の連中が今日も元気にネット上を闊歩している。そんな彼らは保守の立場として反差別運動などにも参加していたので、左派側が判断誤らせて
吸い寄せられていった側面もあるんだろうが、流石にそろそろそうした構造に気がついてもいいだろう。事実、女性たちはそこに気が付き始めている。なのに反差別運動のおっかなさを左派側から指摘していた人ですら、女性の権利の話になると、あっけなく転げてしまう。この国の抱えている問題の多くは、結局は我々オッサンが引き起こしているんだなと認識するよりほかない。「結局最後に残るのは女性差別」、という先人の言葉が重く伸し掛かる。
地元の知り合いの何人かが、立憲民主党周辺の人らが今回のColabo叩きに加わっているのを知って驚き落胆していて、かつて選挙協力したことをかなり悔いておられるのだが、それを言ったら、地方とはいえ党幹部による盗撮事件を目の当たりにし、その対応として党関係者の信じられない発言の数々をネット等で見せつけられたた共産党支持の末端の人らの落胆は比ではなかろうと推測するが、彼女らへの攻撃のうらに反社や風俗業界関係者の思惑があるのは、火を見るよりも明らかであるにもかかわらず、無理筋なColabo叩きに勤しんでいる人らにはそこに加担している意識が全く見えない。
ここ最近、「セックスワーク イズ ワーク」ということをやたらと言い募るリベラル風の人たちが増えたなと思っていたら、そうい人が立憲だけでなく、共産党からも出てきて、権威勾配と階級の無色透明化を図り続けてきた連中の「成果」を見せつけられているようでもあり、なんともやるせなくなる。どう考えても業界の代理人にしか思えない人を国政選挙の候補者にしようとしたり、ミソジニー全開の「マイノリティ当事者」と歩調を合わせようとしたり、磁場の狂い方が度を超し始めている。