芸術は、どう解釈して自分の書棚に保管できるかが受け手の自由に任され、他の誰からも損壊されないのが良い。この曲は自分にとって、最後の明るい大音量の和音が、今の苦しみまで含めた長く辛い時間が終わった先にある希望と、それが自分の想像以上に叶う喜びなのではないかと(都合よく)思っている。
芸術と似たものに、「教養」があると思う。数年前、Twitterで内藤昌典さんが
「教養って、行き詰まっているときに、どこか思わぬ方角から、光が差し込んでくる、その光の源だと思う。」
と指摘されていたのは至極で、今の自分は、まさにこの現象を体験するさなかにいるのではないかとよく思う。
それならば、その光の源であるピアノに自分が親しむきっかけになったことに、まずは感謝しなければならない。よくある例で、就学前の学習の一つとして親が習わせたことが始まりで、芸術、技としての芸事、教養に少しでも触れて人生の興味の糸口になる可能性を与えようとしたのだろう。中学3年で教室通いは止め、演奏レベルは素人の域から出られはしなかったが、今となっては親の行動は正解のなかの正解だったのだと感じる。この点、親には大感謝である。
昨年から、自分はなぜこんな思いをしなければならないのか?と苦悩する時間が続いている。自分のせいなのか、または社会の変化がたまたま自分に降りただけの災厄なのか。暗く重い感覚が心身に常に絡みつき、恒例になった日曜の午後に始まるさらに深い憂鬱は、今日も変わらず存在している。
心は息も絶え絶えというに近い感じで日々生きているが、とても細いけれども何とかここまで正気を保ち続けられているのは何の助けによるのか少し考えてみると、音楽の存在があると思う。昨年から再び聴き始めたピアノ曲全般(クラシック)で、ショパンの「幻想ポロネーズ」を知った。暗く重いフレーズがゆらゆらと形を変え、時々少し明るい空気も纏いながら、これでもかと言わんばかりに何度も現れ、去っていく。苦しんでいるところに、また暗く悩ましいものが来ると余計に憂鬱になるのではないか……と思われそうだが、何度か聴くうちに最後のffの明るい和音の衝撃に魅せられのめり込むようになり、自分だけの世界で心の安定を持つことができている。
はるさんの比例代表全国集計の投稿によると
https://mstdn.jp/@miraisyakai/113381656721784172
社民党は93万4481票(1.71%)とのこと。
ということは、次の参議院選挙には政党としての存続がかかるということか……?
だとすると、今回「比例は日本共産党か社民党か」と迷ったひとがより迷うことになるのかな……今からもうきつい [参照]
「日本人がこんなに冷たくなったのはここ30年前後の経済の停滞や不況のため」という言説をたまに聞くけど、昭和の時台のドキュメンタリーや本に目を通すと加害者家族は言うに及ばず被害者家族の元にも嫌がらせの手紙や無言電話が相当数送られたという供述をよく見かけるので、「元々冷たかったが、経済的な理由から余裕が無くなりそれを隠すこともできなくなった」というのが実際のところなんじゃないのか。
大谷選手の契約金額は知ってるのに、この年末年始、新幹線「のぞみ」が全席指定なのを知らないような人は、ちょっとなぁ……。思わずイラっとして「ニュースとか、あまり見ないですか?」と言ってしまった。
福島第一原発については、もう利害関係がどう考えてもなさそうな第三者に入って貰って徹底的に検証して貰うしか「科学的根拠」とやらの信頼性を確保する方法はないと思うんだけどねぇ。早くやんなよ。長引けば長引くほど漁業者は疲弊するし、日本と日本人への心証も悪くなると思うよ。