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こぼね さんがブースト

やはり構造の問題なので、経済力とか居住地とか同居者とかアレルギーとか良心とか権利感覚とかそういうもの全て関係なく、誰もが搾取に加担しない構造を作らなくちゃいけない。
俺は環境の都合で動物性はなるべく減らしてるけどVeganはできてない。でも動物搾取を減らすために行動はできる。

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こぼね さんがブースト

小売店で働いているのだが、クリスマスから年末年始、節分にかけて、食品の大量仕入、大量廃棄が苦しくてならない。大量に棄てても利益が出る。大量に売れればこの廃棄は微々たるものなんだろう。
いきものたちの犠牲が増えている。

こぼね さんがブースト

誰かの行いを批判するときに頭が悪いとか人でなしとか狂っているとか言う必要は無いですね、余計な暴力ですね

分かってくれる方もいる中で、つらいものもたくさん流れてくるな
体調わるいので今日はもう見ないでおこうな

例えばもっと福祉が発達して、誰もが明日の心配なく自由に祈ったり祈らなかったりできる社会がくれば、イベントというものはそれなりに廃れていくだろうし、現状のイベント消費過剰状態もその途上なのかもと思うこともあるけれど、イベントが無くなっても信仰が消えるわけではないのよね 単に好きな時に祈れるようになっただけで

と思ったりします 今日のところはこの辺で

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そんなん個々でやれよと思うかもだけれど、家事しない仕事もしないでも誰も生活が破綻しないようにするって、相応に支援が必要なことなので、コミュニティでやんなきゃってのがあるんですよね

だから余裕のある者が食べ物やお金をふるまったり「クリスマス休暇」等の有給休暇を用意したり、
宗教施設に寄進してプールしておいたものをイベントに合わせて放出したりする

誰もが明日の心配なく祈るために宗教的なイベントというのはあるんです、本来ならば

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twitter.com/nemuribi/status/17

こういうふうに書いたけれど、
普段から信仰の場にいる者からすると祈ること自体は普段とあまり変わらないことをやるだけなのでイベントって実はそんなに必要ないというか、

「イベント」というものは、そもそも日々の中でなかなかきちんと祈りの時間を持てない=信仰が保障されていない(特に心身の余裕のない)一般の方向けに、今日はお祈りだけしてていいんですよ、ご飯も一度にたくさん作ってしまって、仕事もお休みにして、思う存分祈りの時間持って下さいねと用意し準備する、一般の信仰者の方のためのものなんだよなと思う

(その祈りの時間の「準備」のほうにお金が絡んで華美になって、「うちのコミュニティではそうしよう」から「準備楽しいから祈りとか関係なく皆やろう」とか「お前もやれ」になったりでまあ色々あってウーンという感じだが)

要するに、たとえイベントやめても信仰の場にいる宗教者(牧師とか神職とか僧侶とかウラマーとか)は祈れるので、イベントがなくなったら祈りが制限される、一般の信仰者という一番弱い立場から私は考えられていないんじゃないか?という不安がある

今日明日と突然休みになって寝込める時間ができたのでありがたい 
部屋はマラカスの中に移転したのかくらいにシェイクされてるし洗濯物はそのうち塚として出土しそうなくらい堆積してるけど今日は寝る

こぼね さんがブースト

少子化ではなく人口減少と表してほしい。

こぼね さんがブースト

「なってしまいそう」というか、既にアイヌ民族や琉球民族に対して同じことをずっっとし続けているし、軍事力を使っていないだけで中国や北朝鮮に対してそうした振る舞いをしている。
QT: fedibird.com/@cutmr/1116223176
[参照]

しゆ🐾文フリI-29・C.U.tmr  
イスラエルのユダヤ人、8割が「ガザの人の苦しみ考慮する必要なし」:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASRDN419TRDNUHBI00M.html #イスラエル・パレスチナ問題 どうしてこうなっちゃうんだろう……。 日本も、中国や北朝鮮が相手...
こぼね さんがブースト

tulip-mountain-715.notion.site

めっちゃすごいものができたのでお知らせ📢

【だれも排除しない社会運動へ 〜バリアフリー編〜】

情報保障・バリアフリーの情報サイトをオープンしました!

社会運動を含め、あらゆるアクションや場で誰かが排除されることが起こらないために、まず情報保障とバリアフリーを知って行動するための情報サイトを有志で作りました。
 ●主催者・呼びかけ者がやるべきこと
 ●参加者がやるべきこと
 ●聴覚障害者・視覚障害者に必要な合理的配慮
などをまとめています。
現在の社会運動などの動きを顧みて、6割程度の完成度での公開に至りました。
その点についてご了承いただくとともに、情報の不足・誤りなど含めた改善すべき点や、要望、質問がございましたら、サイト内にあるお問い合わせフォームよりお問い合わせください。

だれも排除しない社会運動へ 〜バリアフリー編〜 まとめチーム
ALTは次へ→

こぼね さんがブースト

この五十嵐太郎インタビューも「アートっていうより建築やデザインの問題だ」「敵対的建築といった海外での呼び方のほうが適切だ」って繰り返し言ってるのに「排除アート」って言葉にインタビュアーが固執しているように見えて厳しい。

巧妙化する「排除アート」 誰にもやさしくない都市が牙をむく時 withnews.jp/article/f021071200

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宗教関係者とそれ以外で、祈る/祝う/お祭りの定義と概念が違いすぎるなと思うことが多々ある

祝うとかお祭りとかは皆で集まってワイワイ騒いでパーティー🎉みたいなイメージのかたが多いけれど、
こちらとしては「祈念する対象のために思いを形や行動にすること」全般を指していることが多いですね
(この辺のきちんとした定義は宗教や個々でも違うけど)
(例えば神社神道なら食べ物をお供えするかどうかで呼び方が変わる)

参列者ゼロ、宗教関係者一人や数人でやるお祭りの方が、ワイワイ騒ぐようなやつより断然多いし信仰の中心です
後者は年間精々20〜30くらいと思うけれど、前者はほぼ毎日やるし

「祈る」が指す中身についても、まあ宗教や個によって様々であるとは思いますが、いずれにせよただの形式や挨拶や気休めであることはほぼないと思いますね
私が「祈る」という言葉を使う時は、「祈念対象にとって事態がよい方向へ動くよう呪術的なバフを発生させるために行動します」の意です

(されたくないひともいるので、大きな事態でなく個の誰かを対象にするのは十分に信頼関係があるか仕事として同意が成立している状態でないとやらないですが)(普通に疲れるし)

こぼね さんがブースト

「あらゆる宗教や背景を持つ人々が集まり、ろうそくに火を灯し、それを最も必要としている人々のために祈ることができる安全な場所を作りたいのです。どんな背景、人種、宗教、信条に関係なく、失われたすべての命は平等であり、私たちは団結し、思いやりを示し、苦しんでいる人々に愛を送らなければなりません。私たちは祈りと一体感の力を過小評価してはいけません、そして私たちの多くが無力感を感じるかもしれませんが、私たちはあきらめることはできません...並んで座り、目を閉じて、世界中で感じられる美しいエネルギーを送り出しましょう。」ジョセフ・タワドロス

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こぼね さんがブースト

もともと自分が加害者だということがベースにあるから、間違いを指摘されても省みられず激昂したり煙に巻いたりする態度を取る「反差別」とのズレを感じる。
誰だって加害者たりうる、からスタートしないと、「絶対間違えられない」で頑なになってしまわないか

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仕事が進まず気分転換にゆるい音ゲー始めてみたら、おすすめの一番上がThe CranberriesのZombieで選曲する手が止まってしまった

こぼね さんがブースト

SNSはマジョリティが楽しむツールだなと身にしみる。植民者に植民者と言えばブロックされ、逆にこっちは「ないちゃーは差別語だから使うな」「(民族は日本人を含まないから)県民といえ」と抵抗の言葉さえ奪われる。マジョリティは耳が痛い指摘から逃げても「平和」な世界を保てるのでしょう。人数的にも多いしね。

その点マイノリティは何一つとして権利を返してもらえず、あれするなそれ使うなこれも学べお前らも加害者だ!ととにかく責任ばかりが増えていく。

ヨシヨシしてくれる「優しい」ウチナーンチュとだけつるみポジショナリティを問う一部のウチナーンチュを過激派と避けていれば日本人としての加害性は問われず国家の「安全保障」も維持できて、更に沖縄のために(結果は何一つ出せずとも)やりたい活動だけをして「救世主」としてキャリアアップできて羨ましいわ。

それなりにリスペクトしてきた反差別を謳う移住者でさえ日本の最初の一手には全く触れない。ある程度までは連帯できても自分の加害性を突きつけられたら逃げ、時にはウチナーンチュの加害性をあげつらう。それが殆どのヤマトリベラルの姿。

辺野古は琉球・沖縄の問題から派生した一つの点でしかない。
よくできた目くらましだよ。

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