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雨が上がった 毎日山ばかり見ている(出張中)

こぼね さんがブースト

今日は南京大虐殺から86年目の日です。

こぼね さんがブースト

暑すぎる。
12月なのに暑いねぇ、という日は昔から多かった。にしても今年は連日暑い。

ホームページ上にクリスマスの雰囲気を出すため雪を降らせようとしたとある業者に「沖縄は雪が降らないので余計なことはしないでください」と突っぱねた先輩に、何もそこまで・・・と思った過去の記憶。今ならその意味が少しわかる。

今年に限らず沖縄のショッピングセンターは冬だろうとクーラーが付いていることが多い。それなのに服屋のマネキンはダウンを着ている。半そでで店内をふらつきながら違和感だらけの沖縄にため息をつく。

日本は単一民族で、全国多少のズレはあろうと同じように四季があり桜は4月に咲く。言語は「標準語」を基準とし他は方言として認識される。

日本にしか無いといわれる「国語」という科目は、多種多様な言葉やイントネーションを「標準」より劣っているような印象操作と、琉球諸語を琉球ルーツから根こそぎ剥ぎ取るための同化政策として今も機能している。

五感で感じる沖縄と、こっそり忍び込んだ日本化現象によって作られた「沖縄」との乖離が、心の不安定さを加速させる。

同化政策ゆえの「同じ」への憧れをさっさと捨てて、違いを大切にできる沖縄になってほしい。違いこそがかけがえのない財産なのだから。

こぼね さんがブースト

朝は霧が出てたけど晴れてきた まだあまり雪なさげな鈴鹿山脈

訂正 
いかに信仰がただ国を纏めるための道具としてしか見られていなかったか

いかに信仰が「国のために有用か、害悪か」という点でしか見られていなかったか

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補足

このコンプレックスから、逆に
「「宗教」という迷信を持たないからこそ、我々は国家を進歩させることができたのだ、宗教は国家(皇室)と教育勅語に背くものだ」と考えられて(所謂日本的な)無宗教を肯定する流れに繋がりもしています(特に日清日露後から顕著)

この二つの考え方は、明治維新からの百余年で忙しなく優劣を入れ替えながら

・宗教は文明の敵であり国家に混乱を招く迷信である
・かといって、完全なる無宗教は野蛮で野暮で厄介である
・我々は無宗教であるが、代わりに〇〇(教育勅語/道徳/忠君愛国/科学/その他)という独自的価値基準がある
・その価値基準を持たない者は、我々によって教育されるべきである

と変わっていき、
ww1ドイツ敗戦(ニーチェとマルクスの国が負けた!やっぱり宗教は必要だ!)で

「帝国化と国力増強のため、宗教として非力な神道、腐敗した仏教、数の少ないキリスト教等を排して我が国固有の一種の宗教を立てるべき」

という結論に達し、「国力としての宗教」という考えがww2に向けて主流になっていきます

いかに信仰がただ国を纏めるための道具としてしか見られていなかったか、そして「信仰がある/ない」どちらが(国家にとって)尊ばれていてもいずれにせよ差別と支配に利用されました、という話

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琉球民族の方々の信仰については私でなく恩師の専門なのでなんとも口をききにくいところなんだけれど、
昨日読んでいた本にも「帝国主義化の過程で、植民地である琉球や朝鮮を無宗教とする説が生まれた」という一文があったな、とふと思い出した

実際にはユタ信仰、聞得大君、中山世譜の天地開闢神話とかあってそれらは現代まで存続しているんだけれど

(なお当時に大和民族側には宗教があったと思われていたのか、というと実はそんなことはなく、当時の認識は「宗教≒キリスト教(プロテスタント)」であり、宗教がある=文明国、宗教(キリスト教)は国家主義の道具として有用、みたいな位置付けで、「自分たちには宗教がない」という強烈な白人社会へのコンプレックスと、「そんな俺たちに統治されている奴らに宗教=文明があるはずがない」みたいな入れ子の差別意識からそういう説が広められている)

こぼね さんがブースト

中国と琉球の間で重要な働きを見せてくれる「日本国籍を持つ琉球人」をアイデンティティとする泉川友樹氏の素晴らしい記事。

文中にはイタリア人宣教師マテオ・リッチが「中国札記」の中で、日本人と琉球人を明確に分けて表記していたとある。

琉球で生まれた先祖たちは当然琉球人であり、沖縄とされた後に生まれた私達は沖縄人と名乗る事が多い。
この理論からわかるように、本来なら「沖縄人」も「琉球人」も同じ意味なのだ。

「民族」のネガティヴキャンペーンに余念がない日本政府に騙されないよう正しい知識を得てアイデンティティを取り戻す。

「沖縄問題」の解決はアイデンティティの覚醒にかかっている。

〈引用〉国が滅ぼされ、国籍と民族が一致しなくなっても、それがすぐさま民族の滅亡を意味するわけではない。これからも民族の存在すらも否定する動きには徹底的にあらがいつつ、琉球人であることを出発点として故郷やアジア、世界のことを考えていきたい。

ryukyushimpo.jp/news/entry-254

反差別界隈でさえ誰も賛同してくれなさそうなことばかり感じてしまってしんどい
自分が合っているのかも分からなくなってしんどい

でも言えば良かったと後々思うのは嫌だから何度でも言うが、

PUMAやマクドナルドや伊藤忠をボイコットすべきという意見には賛同するが、
イスラエル産の農作物を扱うなというのは違う。

PUMA等の大企業と違って、イスラエルの農家はその個々の事業主の思想も政治姿勢もこちらから見えない。農場の名前も分からない。

PUMAはPUMAという企業がイスラエル政府支援をやめればボイコットから外れることが可能だが、イスラエルの農家はその農業従事者が戦争に反対していても、イスラエル政府が虐殺を止めるか、農地を捨てて他国へ行くまでボイコット対象から出ることが出来ない。

虐殺が終わるまで農業従事者の離農が続けば、政府の意向など関係なく飢餓が進む。

我々の身の内にある植民地主義がこの事態を招いている。
それを忘れて、あたかも正義の代行者のように「イスラエル」で括って名指せない相手に制裁を与えようとするな。
インフラを脅かすな。命を助けるために命を人質に取るな。

こぼね さんがブースト

案の定沖縄のトランスヘイターの一部が出版を止められるなんて権力すごい!とまぁ多分沖縄ヘイト本が何のストッパーもなく市場に出回る事と比較して、トランスは「マジョリティ」だと揶揄しているつもりなのだろうけど、沖縄ヘイト本との違いは日本国民の大多数が沖縄差別をしている事に気づいていないという点が大きい。なので何を見ても抗議ではなく笑ったり拍手したり、時には同情して満足。ヘイト本を拡散しながら沖縄に寄り添ってるつもりの人も見かける。とにかく差別を理解出来ている味方が内にも外にも少ない。

県民ショーで笑い、島の文化を壊し日本人仕様に変え、安室などのいわゆる「成功者」には過剰な賞賛を「与え」それも差別だと理解できない。
褒めてあげたのに、と。

差別に敏感な人でさえ沖縄差別は見えていない。民族差別なんて妄想とでも思ってそうだ。

アジアに対する差別意識とも少し違う、でも共通しているのは日本人に内在化する植民地主義だろう。

今回ヘイト本の出版を止められた成功体験を羨ましく思う。
いつか、沖縄人として何らかの成功体験を経験したい。

こぼね さんがブースト

ヘイト本について 

これは完全に私の恨み言になってしまうし、今まで知らなかった人がいるのは仕方ないとは思うんだけど、みんなの意見で刊行中止にできるなら中韓ヘイト本がこんなに蔓延る前に止めて欲しかったという気持ちがどうしてもある。
私は当事者なので中韓ヘイト本を見つけるたびに、出版社に意見を送ってきたしネットでも批判してきた。手応えがあったことなんか無い。
どの出版社も中韓ヘイト本を出しているので、私自身も諦めてヘイト本を出している出版社の本を買ってきた。そうしないと読める本がないし、勉強もできないから。
今回、ヘイト本の刊行は批判の声で止められるんだと証明されたことで、今まで中韓ヘイト本が無視されてきたことも証明されてしまったと思う。止められるんじゃん。止めて欲しかった。なので、今からでも止めてほしい。

こぼね さんがブースト

ヘイト本について 

KADOKAWAは中韓ヘイト本を何冊も出しているので、LGBTヘイト本を出す方向に舵を切ったことに関して実のところ驚きはないです。
トランスヘイト本(陰謀論本)をわざわざ和訳して出版しようとしていることは許しがたいし、私も抗議の意見を送りました。
けど、これは今まで中韓ヘイト本が出版されまくってきた末の結果だと私は思っています。その積み重ねを無視して「まさかKADOKAWAがヘイト本を出すなんて…!」みたいな反応をするのは、あなたはずっと中韓ヘイトを無視してきた(そして今も注視していない)んですね、と捉えられても仕方ないと思います。
私は、母方祖父が中国人で父方義祖母が朝鮮人というルーツを持っているんだけど、物心ついた頃から私らに対するヘイト本が本屋に並んでないことの方が少ないので……。長年、主に中韓に向けたヘイト本の出版が許されて、そのヘイト本が売れてきました。その差別の歴史を無視した発言(投稿)はしないでほしいです。突然起きたことでも、今回だけの話でもないんです。
繰り返し書きますが、私は今回のトランスヘイト本の出版には反対ですし、抗議も批判もします。ただ、この件を「(KADOKAWAが出す)初のヘイト本」のように言うのは、別のヘイト本による被害を軽視していると言いたいです。

本当に、いつも切り離される覚悟をしながら他の反差別運動に連帯している。
宗教ヘイトに怒る者たちの行う反LGBTQ+と、反LGBTQ+に抗議する者の行う宗教差別宗教ヘイトの間で、そして信仰者の中にもリベラルの中にも蔓延している優生思想や白人至上主義や種差別に、どこまでも染み込んでいる植民地主義に、極度に緊張しながら過ごしている。
「宗教差別に反対します」と言ってくれた方々でも、宗教右派という言葉を濫用し、呪術や信仰の消費を肯定する。

新しいひとをフォローするのがとてもしんどい。

こぼね さんがブースト

期待していた人や組織から高確率で差別されてきた、もしくは認識すらしてもらえなかったなどの経験があると今回のヘイト本出版に対しての印象は大きく違うよな、と思う。

トランスヘイトを批判しながらトランスヘイターと同じ理屈で琉球民族の存在を否定し、形質的な「定義」を作り出し存在を疑い、挙句に琉球人は先住民族かの議論が必要と中立ぶる。

私もこれまでと同じくしてトランスヘイトに抗議します。が、他の属性への差別を(多くの人が)無視してきた結果が今の状況を招いている事実も同時に考えてほしい。

いつも切り離される覚悟をしながら連帯しているマイノリティは少なくない。自分たちが受けた差別がすっ飛ばされる抗議のあり方に違和感を感じる人も一定数いるのでは。

ウクライナやパレスチナへの侵略/虐殺行為へ抗議する日本人マジョリティを見ながら、国内植民地である琉球・沖縄にルーツを持つ私は人知れず傷ついているのですよ。

私は宗教差別宗教ヘイトについて最近同じように思っている。

こぼね さんがブースト

某T社が精神病院の閉鎖病棟に掃除のバイトとして忍び込み、そこで見た「おもしろい」患者をネタにしたルポ漫画を出してたときに私は抗議メールを送ったし、各種のSNSでもそれについて連帯を求めた。Twitterではリベラルやセクシャルマイノリティの人とも大勢繋がってたし、何人かは連帯してくれるんじゃないかと期待もした。結果、それをリツイートしてくれたのは数人の精神障害のあるフォロワーさんとそのフォロワーさんだけで、誰も精神障害者が「ネタ」にされることなんか興味もなかったみたいだった。あのときに感じた虚無に似たものが、いま私が何かに連帯するのを押し止める。私のことは誰も助けても連帯もしてくれないのに、と正直思ってしまう。
「KADOKAWAが初めてのヘイト本をー」とか言ってる人たちも、それまで溢れかえってた韓国・朝鮮ヘイトには興味もなかったんだろうなと思うと、また似たような虚無に襲われている。疲れた。心から。

こぼね さんがブースト

ゼノのひとりとしてざっくりと下記のような抗議のメールを送った。

ゼノジェンダーは"多様性っぽい"を謳うための飾りではない。わたしたちという実存だ。コンセプトとしてこの言葉を利用し分断を招いている者たちの尻拭いをするための接着剤でもない。わたしのアイデンティティだ。わたしたちという存在、あり方だ。わたしたちだ。
この言葉を利用すれば多様性を表現できると思い込んでいるのなら間違いだ。ならどうかゼノジェンダーたちへの差別・偏見に向き合ってくれ。性差別、トランスジェンダーへの差別、LGBTQ+への差別に向き合って。ゼノジェンダーをコンセプトにするのならゼノジェンダーたちの言葉に実存に目を向けて。
山梨国際芸術祭が掲げているコンセプトはクィア、ゼノジェンダーたちへの剥奪であり実存を軽視し差別・偏見を強めるものだ。分断を招いているのは、孤独や閉塞感を生んでいるのは、ゼノジェンダーという言葉を利用しておきながら今も続く差別に見向きもせず実存を軽視する行為でありこのコンセプトだ。

yatsugatakeartecology.com/

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KADOKAWAへのお問い合わせフォーム
wwws.kadokawa.co.jp/support/co
お問い合わせ種別:出版物→商品内容・記載内容に関して
タイトル:あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇
ISBN:9784041142899

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