原口先生(佐賀1区)、たぶん次の選挙も当選するんだよなー。
https://twitter.com/suspendednyorai/status/1798870695155560580?s=46&t=pmYOtZlH_3FQqrlreTI4Kg
ちょっと前の記事だけど、グンゼそうだったのか…いいな
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF169U00W1A610C2000000/
わたしも子供の頃に押し倒されて肌着の下に手を入れられたりしたけど、いまだに親には言えてないものなあ。
SNSでは言えるけど、親には言えないって、何なんだろうな。
(図書館から追いかけれて、夏休みの昼間の団地の駐車場のど真ん中で押し倒されたので、井戸端会議してるおばちゃんたちにすぐに救出された。本が好きだったのに、図書館には行けなくなった)
おうちの近所で知らない人に「ここら辺にホテルありませんか?」と聞かれて後を付けられたので、たくさん歩いてコンビニに避難した!
わたしはそんなに細かい人間じゃないはずなんだが。
引っかかってつまずくところがおかしいな。他の人がなんともないところで転けてる気がする。
でも、おかしいと思うんだよ。
畠中恵『アイスクリン強し』は、“時が時代を連れ去って、『江戸』が『明治』という名に改まった。”という一文で始まります。
「江戸」は時代区分もしくは地名です。「明治」は時代区分もしくは元号です。ので、「江戸」から「明治」に変わったと表される時、「江戸」「明治」が示すのは時代区分です。
時代区分は、後世の人間が便宜上名付けたものです。江戸時代の人間は自分が「江戸時代」に生きているとは思わないし、明治時代の人間は自分が「明治時代」に生きているとは思っていなかったはずです。
不勉強なので「江戸時代」「明治時代」という用語がいつから使われて定着したのかは不明なのですが、「江戸」から「明治」に変わったと表現して違和感がないのは、維新から百年後、百五十年後の昭和、平成の視点でしょう。
少し読み進めていくと、“そして明治も二十三年のある晴れた日”とあるので、どうやらこの小説の語りの視点は明治の中頃のようです。その同時代の視点で「江戸」から「明治」に変わったと表現するのは、わたしは違和感を覚えます。
明治の人間は、いつぐらいから江戸時代を「江戸時代」として認識していたんでしょうか。
ついったーの永久凍結が解除されました。
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