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大根 さんがブースト

芭蕉に「生きながら一つに氷る海鼠かな」という句があるらしいが、静かにグロテスクでいい句だな

小林照幸『死の貝―日本住血吸虫症との闘い―』読了。
ノンフィクション。とても面白かった。
謎の風土病の謎が徐々に解き明かされ、その対策が徐々に打ち出されと、人知のリレーに高揚感を覚える。
日本での収束の兆しが見えてから、中国揚子江流域の広々とした沃土が立ち塞がる絶望感が堪らんです。
徐々に徐々に謎が解き明かされる展開に興奮するのですが、この本は最後にひとつ大きな謎を残して終わります。

明治14年(1881年)に山梨県令に嘆願書を出してから、平成8年(1996年)に終息宣言が出るまで115年がかかっています。人間の間尺ではとても長いのですが、1世紀余あればひとつの病を根絶させられるんだなと、近現代医学の発展に打ち震えます。
風土病の感染経路を確認するために(治療法はまだ見つかっていない段階で)実際に自分の身で感染してみた医者さまもいて、人間というものは使命感を持てばここまで献身できるのかと、おののきました。

村上龍の小説に出てくる「おばさん」は、わたしの語彙では「マダム」とか「おばさま」とか「ご婦人」とかいった存在なので、読む時に留意が必要である。

気象庁の定義では、気温30度以上は真夏日だし、気温25度以上は夏日なんだよな。
熱帯夜は最低気温が25度以上。
夏が終わらない。

頭髪検査の日の朝、学校のお手洗いで前髪を切ってた記憶があるんだけど、この記憶、捏造した記憶だといいなあ。
この記憶が本当にあったことだとすると、かなりあかん感じの見た目になってたんじゃないのかな、わたし。

「シンエヴァ」はなあ、わたしにとっては、作劇が弛緩してるように感じられてなあ。ひとつひとつがいちいち間延びしてるよね、もっとツメツメキレキレにできるよねって感じちゃうんだよね。

『ヒットマン』を見た。
依頼殺人のおとり捜査官が、殺し屋設定のまま元依頼人と再会して恋仲になってしまい、というコメディ。
詐欺師ものの変奏で大変楽しかったのですが、とても怖かったです。
「人は変われる」「なりたい自分になれる」というメッセージで話は締め括られるのですが、外的要因に影響されて人の内面は変質してしまう、というような話に思えてしまって。
ブッダは「本当の自分というものはない」と説いているのですが、わたしはそこまで悟っていないので、とても怖かったです。

『シュリ』を見た。
北朝鮮の潜入工作員と韓国の諜報部員の悲恋もの。1999年だから、韓国の大統領は金大中の頃か。
ええと、主人公と主人公の相棒の顔の区別が付かずに、どっちがどっちかだいぶ混乱して見ることになってしまってまして。
苦難に喘ぐ北の同胞は南の繁栄と享楽を許さないだろうという、韓国の罪悪感が描かれたものですよね、表面的には。
潜入工作員の合言葉が「祖国統一万歳」なんですが、北が統一を手放した後で見ることになってしまって。暴走して独自にテロを起こそうとした潜入工作員の隊長の切迫感がより迫りました。
潜入して偽っていた自分が本当の自分だったと、ひととき夢を見ていたその時だけが本当の人生だったと工作員の人に言わせてしまっていて、それがつらかったです。
どちらも、どちらも本当のあなただよと、とても言えるような境遇ではないんですよ。状況が彼女を引き裂いてしまった。

『スオミの話をしよう』を見た。
富豪の妻が誘拐され、その富豪の家に妻の元夫たちが集まって、夫たちの語る妻の姿はそれぞれ異なっており、というコメディ、なんですが、いやこれ、だいぶつらい話だな。
作ってる人もこれがつらい話だと把握していて、だからつらくないように演出しているというか。
「スオミ」という名前もだいぶつらくて、作中出てくる「ヘルシンキ」は「シャングリラ」と同じ意味合いで、見果てぬ夢の土地で、いつか辿り着けるといいねと祈るしかないというか。
それぞれの男に合わせ依存し乗り継いで漂流し、その旅路に寄り添い続けたのがシスターフッドっていうのも、切ねえな。
夫たちの年齢と社会的地位スオミよりだいぶ上なのもエグいんですよ。これさ、コメディじゃないと正視に堪えないですよ。
喜劇の役目は悲劇を悲劇のままに終わらせないことかなと思うんですが、誤魔化してもやっぱり悲劇は悲劇なんですよ。だけど、ただ憐憫するのもスオミに対する侮辱になるようで、ううう。

『男たちの挽歌』を見た。
いろいろ雑だったけど、とても良かった。
土台の話としてはヤクザからカタギになるのはとても大変という話しなんですが、弟、元相棒、元部下からの主人公に対する引力が強烈で錯綜していて、足を洗いたい主人公の足を引っ張り巻くってるんですよ。
反社の家族が刑事になってる話の根本の設定がまず雑だし、処置中の手術室に面会人が着の身着のままで立ち入ってなおかつ汗を拭いてるし、足を負傷した元相棒は軽快な身のこなしでラストバトルしてるしで、いろいろ雑なんですが、そんなことはフィルムに焼き付けたいことの前には些事なんですよ。
いやだってさ、黒のロングコートでサングラスして二丁拳銃打ってるの、問答無用でイイんですよ!
元相棒の笑い方がですね、とてもチャーミングで、こんな慕われた方したら主人公は振り払えないし、その笑顔を曇らせて「人生を取り戻したい」とか言われたら付き合わざるを得ませんよね!
冒頭、主人公と元相棒、主人公と弟と、それぞれイチャイチャしてる場面がありまして、元部下も主人公とイチャイチャしたかったんだろうなあと思うと、ままなんねえなあと思います。
んであと、弟の彼女は弟を振ってもいいと思うよ。自分で持ち込んだゴミは自分で片付けろ、弟。

立民の新しい代表、のだっちかあ。
ケンケンお疲れ様。この三年間、立民が瓦解しなかったのは、ケンケンのおかげだと思うんだよね。
良ければ、また、代表になってね。

刀剣乱舞はなあ、敵の名前が歴史修正主義者ってのがあかんなあ、と思うわけなんですよ。言葉をね、ハッキングするのはあんまり良くねえんじゃねえかと、思うんですよ。
あとね、刀剣の銘って偽史まがいなので、いわゆる正しい歴史ってのとの食い合わせがすげえ悪いな、と思うんですよね。

今日は、サンダルを修理に出して、通勤用の鞄を買いました。

大根 さんがブースト

アレンジがいろいろ効くようだけど、材料を集めるところがいちばん大変そうだ。集めてしまえばできそう
cotta.jp/special/article/?p=75

先週から足の中指が痺れてる感じが続いてるんだけど、これ何だろう?

表題作の「ジョゼと虎と魚たち」は、表題作になるだけあって、とても良かった。
たぶん、これ、泥の中に落ちてるビー玉の話で、汚泥の中にあってもビー玉の本来的な輝きは毀損されるものではありませんし、泥の中に沈んでも輝いてるビー玉がその中にあるということには変わりありませんし。
刹那の美しさを描いたものなのですが、その美しさに耽溺できないとうか。わたしが耽溺できないのか、作者が許してくれないのかは、分かんないんですけど。刹那に美しいものは、刹那だから美しく。
輝ける一瞬、その一瞬があればそれでいいのかという問題で。
「良くないよ!全然良くないよ!」と喚きたいのを押し殺して、苦虫を噛んだ思いで「良かった」というほかないような、そんな感じでしたね、わたしにとっては。

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田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』読了。
短編集。良かったけど、居心地は悪い。
日に焼けた古い畳のにおいがする。引越しで退去する直前の、カーテンもなく西日の差し入るがらんどうの部屋で、うっすらと甘苦い感傷を取り出して舌に乗せるような。
古いシールを剥がして粘着剤が残り、指で擦って取ろうとしたら上手くいかず、黒ずんだ汚れが薄く引き伸ばされて、ベタつくような。
なんかね、そういうシール跡の汚れが少しばかり心に貼り付くような、そんな感じだったの。
んであと、単純に、いわゆる「女」の話をされると疎外感を抱くんだよね、わたしは。
少し時間の経ったお刺身、脂が乗ってねっとり甘いけど、いささか生臭い。

縄文土器ってさ、底が小さくて(尖ってたりして)、上の方に重心があってさ、使いにくそうだよね。

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