新しいものを表示

インドに行きたいというか、バラナシに行きたい

BT あーインド、また行きたいなあ。2018年初頭、インドの民族楽器を輸入している友人の手伝い(通訳/交渉)でまずニューデリーに入り、それで初めて憧れのインドの地を踏んだ

1週間ほどニューデリーで楽器にまみれて過ごしたが、あるメーカーを訪れた際、そこに凄まじく良い耳を持ったシーク教徒の職人がいた

何千という楽器のなかから日本に持ち帰る(送る)ものを選んでいくのだが、インドは実に大らかというかなんというか、ピッチが合ってないとか微細な振動恩が気になるとかそういうのが大手メーカーでもかなり多く、型番だけを頼りに輸入したりするとエライ目に遭うらしい

日本でキールタンというマントラ歌唱を教える友人のもとには、ハルモニウムというインド楽器を自分でも入手したいという生徒からの問い合わせが後を絶たない

日本人は厳密だからきっちり440Hzじゃないと不安を覚えるようで、それで楽器を1台ずつチェックしていく作業

シーク教徒の職人は耳だけを頼りにリードを微妙に削ったり伸ばしたりしながら、半日ほどかけてすべてパーフェクトな440Hzに揃えてしまった

その旅のハイライトは、ニューデリーで仕事を終えた後に訪れたバラナシでの1週間だったのだが、ありゃちょっと言葉にならないほどすさまじい所でした

なに食べてもうまかった

mario tauchi さんがブースト

上の動画はAmritsarという総本山のようで、デリーにもシークのゴールデンテンプルがあり、こちらでも同じように食事を提供してるようですね。
こっちは設備がかなり整ってるようです。

youtu.be/5FWWe2U41N8

スレッドを表示
mario tauchi さんがブースト

色々あって人間に失望してしまうとき、インドのシーク教のSri Harmandir Sahib、もしくはGolden templeで24時間、年中無休で行っている無料の施食と無償ボランティアの人々を見ていると、素晴らしい人々だなと胸キュンになるのでみてみてください。

youtu.be/qdoJroKUwu0

いつでもそこに行けば無料で満腹になるまで食事を提供する、更には、どのような宗教、ジェンダー、年齢、職業、例えば王様であれホームレスであれ、等しく同じように食事を提供する、というのは、崇高な理念だよなあと。
尊敬します。

復路…なのか往路なのか

埼玉の田舎の方だが、都内に比べて車内のマスク率が高くて驚く。増えてるもんね…

@mikanshibano いや、言葉足らずですみません。「サルゴリラチンパンジー♪」は知っていた(どころか歌っていた可能性も)のですが、そのオリジナルの曲名を知らなかったということです。ひとつ利口になりました!

働き始めた年に仕事を通じて出会い、もうかれこれ四半世紀もずっと一緒に飲んでいる友人がいる。22年前の9.11の夜も一緒に飲んでいた。ひどい時期は月~金の毎晩一緒に酒を飲み、挙句、土日まで会って飲んでいた。

先日その友人と「そろそろ酒やめるタイミング考えたりする?」という話になった。友人の健康がいよいよ心配である。

落ちこぼれの僕は成り行き任せにフリーランスに転じてストレスを避けたが、優秀な彼は年齢に相応しく責任を負わされる立場になり、不景気の一途を辿るこの業界で信じられないほどのストレス(数字)に晒されている模様。

今夜は珍しくワイン

以前はあんなに毎晩飲んでいたのに、いつしかハードリカーばかり飲むようになってしまった

酒との付き合い方が変わったというより、コストパフォーマンスの問題が大きい気がするけど

争う手段じゃなくて抗う手段と書きたかった。まあ今夜も呑んでいるので…

スレッドを表示

22年前の今夜も呑んでいた。一瞬で酔いが醒めたが。

半年前の三月に独立した翻訳著作権エージェントの立ち上げに加わり、さてこれからというところで、仕事の大半だったアメリカの出版物が全てストップした。

当時は市ヶ谷のマンションの一室をオフィスにしていたが、仕方がないので事務所で海外のニュースを流しながら連日酒を飲んでいたな。

ニューヨークには10月に入ってからか、もしくは11月に出かけた。イーストビレッジやグリニッジビレッジどころかローアーイーストまで、どこからどこまで窓という窓に星条旗が旗めいていて異様な景色だった。そこらじゅうにマシンガンを持った兵隊がいたし、アメリカ中のハーレー乗りが集結してるんじゃないかってほどのバイカーの大群が、やはり星条旗を風になびかせブロードウェイを行進していた。

グラウンドゼロ近くの教会に入ったらなんだか感傷的な気分になった。

あのとき僕は絵を描きはじめたんだった。

地獄のような21世紀の幕開けに、とにかくなにか争う手段が欲しかった。

週末、出身地の埼玉片田舎で子供向け市民講座みたいなのの絵の先生やって手に入れたギャラで地産の茸類と地粉うどんを購入し、いま茸汁を仕込んでいるところ。Killer!

@sinovski やっぱり有名な産地はアディクションの問題を抱えていますよね。これもグローバルサウスの搾取の一形態なんでしょうね…

@sinovski 今焦げ付いているのは誰かの宅飲みの帰りに持たされてきた「なんちゃら水滸伝」とか、そんな本です笑 読めねえ

@sinovski ちょっと距離を置きたい相手には、なんか分厚い本でも一冊貸してやればいいのかも知れませんね笑 …と書きながら、もしかしてあの人が僕に貸して寄越したあの本の真意はまさか!!!!

@sinovski たしかに、人が「読んでみ」って貸してくれた本って、たいてい読まないままなんですよね笑 …で、本を貸してくれた相手と会うのがちょっと億劫になるという

こちらから「それ貸して」と頼んで借りた本は読みますし、誰かの口から話題にのぼって自分で購入した本は読みますが

@sinovski 応用美術やローブロウ美術により惹かれるというお話、同感です。ストリートアートが面白いなと感じる理由もそれと近いものがあるかもしれません。

@sinovski 作法としては、段落の頭はひとつ下げるとか、句読点の打ち方とか、そんな程度でしょうか。内容の作り方とかとは無関係ですね。

小学校3~4年生のときの担任がとにかく作文を書かせるのが好きな人で、選集のような綴じた冊子が毎週だか隔週だかのペースでまとめられていた記憶があります。僕は教師に好かれない生徒だったのもあり選ばれることはあまりなかった気がしますが、掲載されるのはほんと「お手本通り」みたいな作文とか詩ばかりで「つまんねーな(俺の方が面白いのに!)」とか拗ねていたほろ苦い記憶が蘇ってきました…! あの頃からLooserだったんですね!

中学生のとき通っていた(ゆる~い)学習塾の声のデカい国語講師が、毎週クラスの最後に短い作文を書かせる人で、この先生にはいつも書くものを褒めてもらっていました。話の分かる大人がいるんだなと、はじめてそう感じたのがあの塾通いだったかも。

前置きが長くなりましたが「作文のしかた」をどう教わったかといえばつまり「たくさん書く」ということだったのかなあ、と思ったという話です。

@sinovski 他のなにものかと組合さることで存在がさらに引き立つ、いわゆる「Applied art(応用美術)」などと言われるアートの在り方というのはやっぱり素敵だなと、自分がそう思っていることに改めて気付きました。AZS!!!

@sinovski そうなんですよね。そうそうエディです! 本当に切っても切れない、まさに文化的共生と呼ぶべきものですよね。

脱線しますがスティーヴン・キングの文春文庫版のジャケットの装画を描いている藤田新策さんという人も、僕にとっては同様の存在かも知れません。

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。