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もう20年前にもなろうか、パレスチナ人で歴史学博士という人物の講演会に行ったことがある。テーマはパレスチナ問題だった。

圧倒的な非対称性が存在する二者の間で起こる悲劇の数々を挙げたあと、彼はこう言った。
「ハマースはテロリストではない。フリーダムファイターだ」
話はそのあと、どう解決に進めることができるのかに進み、対話や政治が不可欠なこと、また国際社会がもっと大きな関心を寄せてくれることにも期待すると言っていた。それはそうだろう。国際社会が話題にするのは、大きな攻撃があった時、それもイスラエル側が被害を受けた時に偏っているのだから。

講演が終わり、会場を出てからしばらく歩くまで、同行していた難民保護・人道支援の専門家と僕は無言だった。その同行者がようやく口を開いた。「なあ、あれ聞いたか?」
いうまでもなく、あれとは先の言葉だった。
正直に言うが、僕はあの言葉に頭が痺れて無言になっていたのだ。洗脳や感化とは完全に異なる、それはそうだろうと思わせる説得力が、博士には十分に備わっていたからだ。もしかしたら同行者も痺れていたのかもしれない。
だからといって暴力が許されるのかという思いと、そうでもしないと自由を取り戻せないどころか殲滅させられかねない人たちの思い。二人とも軽々に言葉が出てくるわけなどなかった。

ずっとお湯割り飲んでたんだけどそろそろ割るのがめんどくなってきた。よしここからは割らずに飲もう

おかしい。熱燗飲んでるはずだったのに。なぜこうなった?

じつは午後にはぽかぽか陽気になるのが午前中の散歩で分かったので、もう少し外にいたくなった。

南向きでビール飲めるとこ……あ、ナゴヤ球場!ということでした。うめえ!🍺

自宅の近所は満開なので期待したものの、梅まつりの会場はまだまだ早かった。けど午前中の心地よい冷気を受けながら散歩したので善き哉
併催の酒まつりをスルーしたので早く帰って熱燗タイムだ

いちごをアテに梅酒のお湯割りで晩酌スタート

冬〜春シーズンの我が家の食卓で大活躍なこの”なばな”
スーパーマーケットの陳列棚でこいつを見るたびにNirvana って脳内で発音している

梅を見に行こうと企んでたが強風が僕を阻む、青いイナズマが責めるように。げっちゅ

今週のお仕事終了っ
風呂さへえって友達との朝茶会に向かうとするか

あー!楽な仕事してるー!って思ってしまってごめんなさい笑

Daft Punkのリアルな蝋人形がマダム・タッソー館に登場!
pointed.jp/2024/03/01/daft-pun

>寂しさは人を誤らせるが、衝動は人を立ち返らせる。

っていう肌が泡立つほどのパンチラインを食らって、肌どころか口から泡吹いて倒れてた。たまんねえ

大麻栽培で逮捕された容疑者が牡蠣殻の肥料を使ったことにやたらとこだわるNHKなんなの。おもしろ記事なん?
とはいえ、自然由来の大麻栽培にこだわるほどの容疑者なんだから、本業の焼き鳥屋でもきっと平飼いの鶏とかにこだわってたんだろうなあ、と若干そそられてしまった笑笑

www3.nhk.or.jp/tokai-news/2024

好きで追っかけてる年齢ひとつ上の先輩にこの前初めて呼び捨てで名前呼ばれてキュンキュンしたんだけど僕もう初老なんだよな
キュンキュンしちゃってていいかな?

とある人物の評伝本が翻訳書として発売された。価格6,600円なり。躊躇い続けて一月弱。
島で過ごした週末の夜
「時にしんのすけ、あの本は買ったのかい?」
「いやあ、金額でビビっちゃって」
「そらあそうだ。俺だってここだけの話、分割で買ったくれえだ」彼は続ける。「だがよ」
「本の三分の一でようやくピストルズが出てくんだけど、そこまででももうとんでもなく面白えんだ。てことはだ、この先面白くないわけがないだろ?わりいこたぁ言わねえ、買っときな。ありゃマストバイだ」

押忍、買います!と返事したもののあいも変わらずビビる僕。よく見ると原書のKindle版が5ドルくらいじゃん。いや、違う違う。そっちいったら何年かかるんだよ……と身悶えながらアマゾンを見ているなう。

言葉の不適切さは百も承知であえて使うけど、人の値踏みってのは上から下にだけするものってわけじゃないんだよ。当たり前だけど下からだって値踏みはするんだよ。
それが分かってねえやつが偉そうにしてるから笑われるし、それが分かってねえからこそそいつは偉そうなんだよ。

上村一夫や小島剛夕の原画っていくらぐらいなんだろう?欲しいなぁ

ここの祭りの本編は実に短い。氏神様のお社で当日朝に行われる準備は非公開だ。
そこからあるものが出てくると、若衆が一気にそれを担いでこの会場へと駆け上がってくる。そして、そのあるもの━━これは縁起物なのだ━━を十数人で奪い合う。我々が見ることのできる部分はそこだけで、それは翌日に行われる。つまり、それ以外は全て余興といっていいものだ。
実は僕は日帰りでこの日の余興だけを見て帰るつもりだったのだが、結局泊まることにして、祭りの全てを見ることにした。
日帰りをやめたいちばんの大きな理由は、その余興に全力を注ぎ込んだこのご婦人の姿勢だったような気がしている。一見祭りとは関係のないところなのだが、むしろここに、この祭りがいかに地元の人にとって大事なものかを僕に知らしめてくれたような気がしたからだ。
+++++
と、いうわけで。
いつか祭りの話を書けたらいいなと思っているところで、今日のところはこれまで。ありがとうございました。

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ご婦人の出番が終わったあとしばらくして、僕は舞台と桟敷のある会場の、路地を挟んだ向かいにある公民館のトイレを借りに行った。するとそこに先程のご婦人が雨宿りをしていた。背伸びしながら窓の外の舞台の方を覗き込んでいるところだった。考えるよりも先に声をかけていた。
「さきほど歌われてましたよね?」
「ええそうです」少しのはにかみ。
「すごくよかったんです。お召し物もすごくよかったし、なにより歌が、とても素敵でした」
ご婦人は相好を崩すと「あまり知られていない歌なのでどうかと思ったんですが」と応えた。なにより心配していたのは選曲だったと、僕のいきなりの声かけに付き合ってくれた。世間受けのする人気曲にしようか迷ったけれども自分の気持ちいい、あるいは自分の歌の長所が遺憾無く発揮できる曲の方を選んだということだろうか。
「おっしゃる通り、僕は存じ上げない曲でしたが、ちゃんと耳に届いてました」
うふ、と声にならない声が漏れると口を隠してご婦人は照れた。とっても可愛らしい笑顔で。

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島民カラオケ大会を見学していたら、ひとり年配の御婦人が目に止まった。いや、正しくは耳に止まり目が行き、気がついたら目と耳の両方で魅せられていたのだった。
小さなその御婦人は、品の良い着物に足許は足袋と草履、髪もきれいに上げてステージに佇んでおられた。そして音の強弱の細やかなコントロール、伸びのある長音部、上品なビブラートをぬかることなく歌の隅々にまで行き渡らせていた。かといって間違えたらいけないみたいな緊張感を、こちらに窺わせることもない。ただ軽やかに伸びやかに、演歌を歌い上げていらっしゃった。

いやいや、大会といってもみなで競うようなものでもなく、ただ順番に自分の歌を披露するだけの催しだ。ちびっこなんかはかっこいい衣装を親御さんに誂えてもらって、Ado の『唱』に合わせて踊ってたりする。そういう中で、彼女は特別に光っていたのだった。

きっとこの余興のために、何か月も重点的に演目を練習してきたのだろう。着物だって、当日の気温や天候に合わせて候補をいくつか用意し、それがようやく当日決まれば、帯をどうする、帯留めはこれ、草履も変わるし髪型も変わる。朝から美容院と着付けでてんてこ舞いだったに違いない。家族もそれに付き合ったりして、おばあちゃんの晴れ舞台の手助けをする。

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