アナログとデジタル合わせて、かれこれ8年ほど日記を続けている。日記のメリットと目的は、自分の調子のリズムがわかること、小さい実績を可視化できること、自分の思考をクリアに言語化する能力が上がっていくことだと思う。
その日にやったこと、良かったこと、心配ごとをだいたい書くようにしているが、続けるために重要なのは「ただの記録」であると意識することかもしれない。ついさっき日記のメリットと目的と言ったが、実際に日記を書いているときにはそれが将来何の役に立つかなんて全く考えていない。
何かを良かったと思えるほどポジティブな感情をその日に持てなかったとしても、その事自体は調子の波の一貫に過ぎない。良かったことを書けなかった日が続いていても、それは何も悪いことではないということ。ただ良いことも心配なことも、その時その時で「あ、あった」と拾い集めるような感覚で書く。
#特に着地点のない雑感 #fedibird
「作品の軸を、『作者が伝えたいテーマ』にするべきではない」ということを論じている人は少なくないと思うのだけど、それでもおそらく一般的には「その作品のテーマは何か」や「作者はその作品を通じて何を伝えたかったのか」という問いがどうしても前提にあるのは、人間の心理的に抗えない何かがあるんだろうか。
美学の領域の勉強が全然足りないから、そこを掘り下げるべきかな…
英語における「受け取る」の表現の違い。
✍ to receive: 家などに届けられたものを受動的に受け取るニュアンス。
✍ to pick up / to collect: 特定の場所に行って、必要なものを能動的に受け取りに行くニュアンス。
「新しいパスポートを受け取った」は、パスポートセンターに取りに行く必要があったので、"picked up my new passport" になる。
#英語学習
友人とフォーレのピアノトリオの話になったので、久しぶりに聴いている。改めて、本当に美しい曲だ…
フォーレの音楽的語彙 (和声とかメロディ運びとか) って、美しいのにどこか不可解というか、非常に独特な言い回しという感じがする。
普段、和声や楽曲分析の講師として仕事していると、機能和声の理論を全部理解しないととか、どのメロディが何を象徴しているのか説明できないとという柔軟性のない思考に陥りがちだけど、そういうことじゃないのよ…とそっと肩に手を置きながら言われた気分になった。浄化されるね…
https://youtu.be/px59G3t-biM?si=pZRvOKD4METUhPmN
#クラシック
今季二ヶ月かけて、属七の和音だけに関する講義をすることになるんだけど、そんなに話せることなくないか…?と途方にくれているボンクラ教師です。
6年くらい前のノートが出てきた。
「他人への適切な頼み方がわからない」という悩みと、その答えとして「迷惑はどうしたってかけざるを得ないのだから、まずはしてもらったことに感謝する」と書いてある。
今でもよくわかるし、同じ意見だ。当時は「断りにくい頼み方をしてくるね」だの、逆に「相談もせずに決めるなんて、頼ってくれなかった」だの言われていたけど、そんなこと言われる筋合いないね。よく頑張ってるよ、と過去の自分をねぎらった。#fedibird
IELTS といえば Writing がまあ苦手なのだけど、ディスカッション系の課題で時間内に書くには難しいこと考えずにド偏見をかまさなきゃいけないのが、英語とか関係なくしんどいなぁとどうしても思ってしまう
たとえば「若い人へのプレゼントはお金がいいか物がいいか」という議論について、自分が物のほうがいいという意見に立つ場合、「多くの人はお金は素晴らしいプレゼントになると考えている」という文章を何も恐れずに書かなきゃいけないということ。「多くの人」とかいうクソデカ主語でものを言う事は、試験だろうがしたくないという潔癖な思考のせいでな…無駄な時間を食うのよ…
社会人大学院生: サウンドプログラマ/フロントエンドエンジニア/大学非常勤講師として働く傍ら、インタラクティブアートやサウンドアートについて研究中。作品制作も細々と。