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つい出来心で久々にTwitter覗いてみたけど、Webアクセシビリティー界隈(コミュニティーというようなものではもうなくなっている印象)はもう僕がいる場所ではないなという気分になった。
何というか、何を目指してアクセシビリティーに取り組んでいるのかよく分からない人がすごく増えた感じがするし、そういう人たちがその界隈で有名人になったりしてて、さらにそういう人たちを増やしてるのかもしれないという印象。
でもそれは、「裾野を広げる」みたいなことを言ってアクセシビリティーがもたらすのは障害者への恩恵だけではないということを強調しすぎた僕らにも責任があるのだろう。
どうしたもんかね。
なんてことを昨今のTwitterで書いたら面倒なことになりそうだな。

某所でしゃべるのに当たって、事前に質問のリストというのがWordファイルで届いたので、これを1問1ページのスライドにして、それを見せながら質問に答える、という感じにすることにしたのは良いんだけど、コピペだけとはいえスライド作るの面倒だなあと思ったので、ChatGPTにWordファイル渡して、1問1ページで見やすく表示したpptx作って、って言ったらなんかそれっぽいのができてきた。。。もし僕が自分でやったら10分くらいはかかると思うんだけど、ChatGPTは30秒くらいで完成させてた。
見た目がどうかは知らないけど、少なくとも内容に抜け漏れがないことは確認したので、あとはこれをいつも自分で作ったスライドを使う時と同様、誰かに確認してもらって見た目を調整してもらえば完成。
楽すぎた。

時々Facebook見ることがあるんだけど、そうすると、何というか、昔は物理的にも心理的にも近い所にいた人たちは、ほとんどみんなどこか、物理的だったり心理的だったり、あるいはその両方だったりで、随分遠い所に行ってしまったんだなあと思うことがある。
それはもちろん彼らが動き続けているという面と、僕も動き続けてるという面の両方があってのことだと思うのだけど、でも彼らから見ると僕はもう昔のままの場所に止まってしまっているように見えるのかもしれないなあなんて思う。
実際僕は同じようなことをやり続けていて、結果と言えるようなものは何も生み出していないわけで、自分でも夢の中で走っているような、つまり走っても走っても進まないだったり、走ろうとしても全然スピードが出ないだったり足がもつれるだったり、みたいな感覚がある。
そろそろ別の世界に目を向けるべき時期なのかもしれない。

とあるTwitterアカウントを久々に見てみたら、ひたすら極右、というかネトウヨというかの言説をrtするだけのボットみたいになってて笑ってしまった。

自分にとって耳に心地良いものばかり読んでるとああいうことになるのかなあと思う。
僕も気を付けないといけないなあとは思う。(基本的に腹が立つようなものは見なくて良いようにしている感じなので。)
まあ最近はここに時々書く程度でSNS的なものはほとんど使わないからそこまで心配しなくて良いとは思うけど。

西田敏行といえば、以前の職場の同僚のお母さんが、テレビに出てる西田敏行見て「この人昔、『僕はピアノが弾けない』って曲歌ってたのよ」と言ってた、という話を思い出した。

まあ配達する人は大変だと思うし腹を立てるような話ではないと思うけど、それだけ荷物をさばけてないのだとしたら、それはやはり労働環境としては問題があるわけで、そこに加担してしまってるのもなんかなあという感じ。
プライム入ってる特典でデフォルトで当日配送みたいになってるのを、無料だからって特に変更もしないで使ってるのはやっぱり良くないよなあ。
お急ぎ便っぽいやつはプライム入ってても有料にするとか、お急がない便は少しポイント付けるとか、そういうので負担軽くするとかできないのかなあ。
でも荷物の総量は大して変わらないだろうから意味ないのかなあ。

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Amazonアプリから、「商品の配達を試みました。申し訳ありませんが商品をお届けできませんでした。」って通知来たんだけど、在宅してて配達が試みられた気配はない。。。謎の050番号からワン切りの着信あった直後だったので、もしかすると連絡を試みたけど連絡できなかった、という事実を作って配達不能のステータスにする、とかなのかなあなんていうことを想像したけど、まあちがうかもね。
いずれにしても別に急いでない荷物だから良いけど、ちょっとどうなんだろうという感じはある。

つい先日、仕事の関係で7千字くらいの日本語のドキュメントの英訳をしないといけなくなったんだけど、セクション単位でChatGPTに翻訳させて、なんかニュアンス違うなという所は日本語で意図を補足したり説明したりして、僕の英語レベルからするとまあま満足で違和感がないものができたんだけど、要した時間は実質6時間か7時間くらいだった。つまり1000字で1時間かかってないわけで、クオリティー以前にスピードでとても僕には太刀打ちできない。
今その英訳のネイティブ・チェックお願いしてるところで、少なくとも僕ががんばって書くより指摘は少なくなることは間違いないと思うんだけど、どういうレビューが返ってくるかすごく楽しみ。(自分が全部訳したやつだと、それなりに自信があってレビュー依頼してもだいたいたたきのめされるので、楽しみだったことなんてない。。。)

Max/なかね まさふみ さんがブースト

社会はなにかと、お前なんかたいしたことない、つまんない存在だって思い込ませようとしてくるけど、
それは強くてかしこい我々の思うがままになりなさい、ということであって。
自分の楽しいとか好きとかわがままとかをなんとか手放さずに言い続けたい

今まできっとできるんだろうけどやり方がどうもよく分からない、という音声編集のテクニックみたいなのがあったんだけど、試しにChatGPTに聞いたら懇切丁寧にやり方教えてくれた。
で、設定方法の部分でどうにも分からないところがあったから、スクショ撮って「こういうことか」と聞いてみたり「これのどの部分のことだ」と聞いてみたりしたら、これもかなり的確に答えてくれて、めちゃめちゃ助かった。
で、スクショとか使ってるから視覚的な表現が出てくるかと思いきや実は全然そういうの出て来ないのがなんか面白いなと思う。
こちらが眼が見えないなんてことは一言も言ってないのにこのレベルで説明ができるということは、つまり視覚的な要素に言及する説明って実はほとんど必要ないのかもしれなくて、人は負けているかもしれないと思った。

27年前にたまたま旅先で出会った人との会食という、なんか不思議なイベントが昨夜発生した!!
それなりに歳を重ねると面白いことも起こるもんだなあ。

ちなみに去年このスクリプトを作ったのはChatGPTで、今年これを改造したのはClaudeでした。
両方金払って(いずれどちらかに絞りたいけど決めきれてない)試してるけど、どうもコード関係はClaudeの方がまっとうなものを返してくることが多い印象。
ちなみにどちらに絞るか決め切れてないのは、WebのUIが、ChatGPTは最近アクセシビリティー的にかなり改善されてきていてやる気を感じられるのに対して、Claudeはレスポンスの質は良いけどWeb UIとiOSアプリのアクセシビリティーがひどいので、これに絞るという踏ん切りが付かない。。。

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Markdownで書いてる報告書に、Googleスプレッドシートから数値を拾って転記して表を作る、というタスク、一昨年まではまとめてコピペしてから、タブをうまいこと正規表現駆使して置換してtableにする、という気の遠くなるようなやり方してたんだけど、去年ふと思い立って、スプシで選択している範囲から値を拾って良い感じにtable関連タグる付けた状態に変換してくれる、というGASを(AIが)作ってだいぶ作業が楽になった。
で、今年はさらに怠惰になるべく、1セル選択している状態で実行すると、そのセルから右方向と下方向の次の空白セルを探して範囲を決定して、さらにそのセルの左上のセルに値があればそれをcaption要素に入れる、という改造を(AIが)したので、作業が本当に楽になったし、ミスの心配もかなり減って非常に良い。

NVDAで「英ポンド」というテキスト、音声だと「えいぽんど」と読むのに、点字だと「いぎりすぽんど」と出力されてることに気づいた!!これはかなりいただけないけど、いまだにNVDAの点訳辞書に手を入れたい場合のやり方ちゃんと知らないんだよな。

それはそうと、某調査の報告書を必死で作ってる。
初めてやった時と違って前回のを新しいデータで置き換えていく作業で半分以上の作業は終わるはずだから、だいぶ楽になってるとはいえ、なかなか煩雑でつらい。
でも、AIに聞いてちょっとややこしいGASとかいろいろ作って、だいぶ楽はできてる。これがなかったらと思うと気が遠くなってしまう。

見出し見て、あの知事に対する的外れな批判に関するものかと思ったら、的外れな擁護に関する話だった。。。なんだかなあ。。。こういうの見ると、SNSの悪い部分が良い部分を軽々超えてしまった感じがするなあ。
告発兵庫知事:「港湾利権にメスで潰された」は誤り 監査に斎藤知事の関与なし | 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20240920/

僕は今も障害者運動に類するものとはそれほど近い位置にいないのだけど、若い頃はもっと意識的に距離を置いていた、というか避けていた。それは、今思えば自分はそういうことしなくても社会の中でやっていけてるし、みたいな思い上がりがあったからなのだろうと思うけど、ともあれそんなだったから、アクセシビリティーが障害者が何かを求めている、というような見られ方をされないようにということをすごく意識してた。それもあって、「アクセシビリティーは決して障害者だけのためのものではない」ということを、必要以上に強調してしまったのだろう。
でも、結局30年近くこの分野でやってきて、そもそもその姿勢が良くなかったんだなあと反省してる。
技術論はちゃんと発信さえすれば、必要性を感じている人には届くけど、考え方はそう簡単には浸透しない。だから先人も、そして今活動している当事者も苦労し、いまだに運動を続けなければならないのだろう。
アクセシビリティーに真剣に取り組むということは、それは社会運動、人権運動に取り組むということなのだということを、ここ数年ずっと考えてきたけど、先日の名古屋のイベントの様子を見てそれが確信に変わった感じがする。

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アクセシビリティーの技術的部分というのは、その根本にある考え方を身につけた上で、アクセシビリティーに関係ないものも含めて新しい技術を正しく理解する姿勢があれば概ね何とかなるものだと思う。
ただ、その根本の考え方みたいなものを本当に身につけている人がそんなに増えていなくて、結果としてアクセシビリティーの取り組みが障害当事者から離れて行っている感じがするような気がしてならない。
これは「アクセシビリティーは必ずしも障害者だけのためのものではない」みたいなことを言って裾野を広げようとしてきた僕たちにも責任があるのかもしれない。もちろん正しいことを言ってるのだけど、でも障害者のアクセスが改善できることは大前提で、そこをすっ飛ばしてしまったらほとんど意味はないということが伝わっていないのかもしれない。
技術論はそれはそれで大事だけど、「障害の有無に関係なく、情報には誰でも同様にアクセスできる必要がある、それは現代の社会における基本的人権である」ということが共有できていることがまずもって大事だと思う。

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Webアクセシビリティーは、それなりに興味を持って、あるいは必要に迫られて取り組む人が増えた印象だけど、障害当事者からは離れて行っている感じが最近よくする。
当事者も「よく分かってる人がやってれば大丈夫でしょ」的な受動的な姿勢でいたのではダメだということなんだろう。
僕たち当事者は、今こそ "nothing about us, without us" という言葉を意識してことあるごとに言っていく必要があるし、取り組みを進める人たちも意識するように仕向けていかないといけないんだろうと思う。

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