僕は今も障害者運動に類するものとはそれほど近い位置にいないのだけど、若い頃はもっと意識的に距離を置いていた、というか避けていた。それは、今思えば自分はそういうことしなくても社会の中でやっていけてるし、みたいな思い上がりがあったからなのだろうと思うけど、ともあれそんなだったから、アクセシビリティーが障害者が何かを求めている、というような見られ方をされないようにということをすごく意識してた。それもあって、「アクセシビリティーは決して障害者だけのためのものではない」ということを、必要以上に強調してしまったのだろう。
でも、結局30年近くこの分野でやってきて、そもそもその姿勢が良くなかったんだなあと反省してる。
技術論はちゃんと発信さえすれば、必要性を感じている人には届くけど、考え方はそう簡単には浸透しない。だから先人も、そして今活動している当事者も苦労し、いまだに運動を続けなければならないのだろう。
アクセシビリティーに真剣に取り組むということは、それは社会運動、人権運動に取り組むということなのだということを、ここ数年ずっと考えてきたけど、先日の名古屋のイベントの様子を見てそれが確信に変わった感じがする。