北海道10区の議員の地元。
駅からゴーストタウン化。
https://www.youtube.com/watch?si=HFjC2kKDvqkJPKUO&v=EfKdGGx60Rs&feature=youtu.be
留萌、増毛も凋落が凄まじい。鉄道も二次安倍政権後なくなった、、、昔ならここから以北がロシアになる筈だった。https://www.youtube.com/watch?si=RO6GQsZuJMb2c5Rq&v=jnbbm0eAIOU&feature=youtu.be
夕張は更に。ここまでくるとスーパーボンビー。https://www.youtube.com/watch?si=buxiStaMHp6P4L_t&v=4BzDGn3tc6E&feature=youtu.be
全部公明が選出の北海道10区だぜ、、まじに。https://www.youtube.com/watch?si=MfpfBjfkevqf1mit&v=AGZBMAW_T3w&feature=youtu.be
小選挙区選出の元公明議員はどう落とし前つけるのか。
https://www.youtube.com/watch?si=0laTwRhJVaRlieaJ&v=g8DRH0eyLpU&feature=youtu.be
東京24区では野党共闘してほしかった。
一方、北海道10区は公明と立民のガチンコ対決。
この12年、北海道空知地方の衰退と崩壊は骨身に染みる程残酷だったので、公明候補は責任取って貰いたい。
ショスタコーヴィチの交響曲を聴くことが、今の自分にはガザやレバノンの人々の現状に思いを馳せる一番のよすが。
QT: https://fedibird.com/@knappertsbuch/113303698547405737 [参照]
さて、国民民主党首の玉木の「尊厳死」提言、党首討論会で「あえて踏み込んだ」などと宣うのであるから、これは「失言」ではなく、確信犯。
それは「釈明」で「あくまで自己決定権の問題」と主張していることからもわかる。
つまり念頭に置かれているのは、「認知症」などに陥った人ではない、ということ。
例えば非正規で働いてきて、50歳を超え、人生の展望を失った人に、「自己決定」で「尊厳死」を選んでもらう、ことも想定内。
実際、単身で友人もなく、50歳で非正規雇用からも排除された人の内面で「電車に飛び込むより、施設で苦痛なく尊厳死の方がよくありませんか?」と甘く囁く声が轟くのは目に見えている。
また日本の非正規率は5割を超えた所でしばらく止まっているが、正社員として採用されても、昇給・昇進なしの雇用が激増しているから。
その上正社員であるから責任も重く、労働時間も長い。であるから、高卒・専門学校卒の場合、大抵3年以内に辞めていく。これを新卒で埋め合わせるから、就職率が「そこそこ」の数字になる。
こうした人々の50歳以後の生活保障の展望は、現在の政府財政によれば、まるでない。故に、「退職時2千―3千万の貯蓄が必要」やら、「自己決定による尊厳死」やらという物騒な話が飛び出してくるのである。
なんだかどうしても聴きたい気分。戦争、侵攻がある限りこの曲は永遠。
地元の銀行から母宛てに、介護の備えとして団体保険への加入案内がしつこく届くのだけど、そのキャッチコピーが酷くて悪徳商法にしか思えない。
「ご家族に迷惑をかけたくない方だけ読んでください」というタイトルに始まり、「介護で愛するご家族にどれだけ迷惑をかけてしまうか」、「どうすれば迷惑をかけずに済むか一緒に考えましょう」などと、ひたすらに「迷惑をかける」という呪いの言葉を繰り返し連呼する内容のチラシで、「介護状態=家族に迷惑をかけること」と高齢者の方に思わせて不安を煽っている。ひどすぎるよ。
少し前までは「年金は当行で受け取り手続きをお願いします!」と営業に来ていたのに、こんなヤバイ保険勧誘されたら、むしろ口座を解約したくなるわ。
親切な人が教えてくれた、今年8月の「新潮 foresight」の記事によると、私がこのマストドンで繰り返し批判している、サントリー財団人脈は、元来1971年内閣調査室の主導で作られた「政策科学研究会」と直結しているようだ。
この記事は「1950年代から60年代には論壇の趨勢に働きかけ、1970年代からは学識者層を厚くすることで、内閣調査室は世論の錬成に影響を及ぼして来たことになる」とまとめている。
中心にいた人物としては山崎正和と佐藤誠三郎、五百旗頭真、北岡伸一、白石隆、田中明彦、御厨貴、村田晃司など、全員私が一度は批判したことがある提灯学者ばかりである。
村田晃司は集団的安保法制の際、「賛成の政治学者はいくらでもいる!」と国会で叫んだ男である。
このグループの最大公約数は「打倒戦後民主主義」であって、その陣地戦を数十年粘り強く続け、21世紀には論壇のヘゲモニーを完全に握った。大塚英志も「保守論壇に迷い込んだ時、最後に戦後民主主義を批判してくれるなら何を書いてもいい」と言われたと証言している。
この文脈を見ると70ー80年代に「打倒戦後民主主義」を唱えていた新左翼が如何に「間が抜けていた」かは一目瞭然だろう。
この辺りは荒野のリア王の自伝的回想とピタリと符合する・
A qualified Psychiatrist, working in Tokyo.
love classical music, trout fishing and nature.
Never War.