裏金議員達に推薦を出しまくっている公明党。結党以来の公明政治の理念などかなぐり捨てて、どこまでも大衆と乖離して、権力による権力のための権力を志向した政治にしか思えない。これで支援する人はどうなん。
BTs、ヨーロッパにおける「合法的な安楽死」については、児玉真美さんの『安楽死が合法の国で起こっていること』を読んでから、イメージが全く変わってしまった。
「終末期の人が、救済策として望む選択」とはかけ離れた恐ろしい状況で。
◆「耐えがたい苦痛がある」という指標があったはずが、今では「生活の質(QOL)が低い」ことに拡大されてしまっていること。そのため、福祉制度や支援があれば生きられる人に対して、驚くほど簡単に安楽死の申請が受理される状況。
◆更には患者への治療が「無益な治療」と判断され、自分の意思を表明できない人たちが続々とドナーとされていること。安楽死後の臓器提供という「人体の資源化・有効活用」が起きている。
スイス、オランダ、ベルギー等の安楽死「先進国」をはじめ、カナダなど合法化された国での様々な実情が書かれています。
「尊厳死」が認められたら、瞬く間に「すべり坂」を転がり落ちてゆくとしか思えない。絶対に反対です。
武器作って豊かになっても、人生と和解は絶対出来ないかな。
軍艦造ってた爺さんが最後間違いなく地獄に行ったのをはっきりとこの目で見た。
幸せにならないよ。
>> そもそも高齢認知症の方は法的に成年後見制度などを使わないと土地の売却すら出来ない。ましてや尊厳死の判断など。
私の母は93歳で認知症があり、4年ほど前からいわゆつ老人ホームで暮らしています。ホーム入居へのいきさつは彼女に長年の薬物依存があったため、ちょっと複雑なのですが。
現在母は、私が長年お世話になっている弁護士さんに裁判所選任の後見人になってもらい、お金に関連することに私は、一切タッチしません。
母は、定期的な後見人との面談で「もう十分長く生きてきて、これ以上生きても仕方ない。皆さんにご迷惑をかけずに早く逝きたい」と毎回話します。私も後見人も母が思いつきと、世間体でそう言っているだけで、彼女を本当にそれを望んでいないことはわかっています。でも、これは後見人が昔の母を知っているからできることです。
もしも後見人が全く本人のこれまでの生き方や性格を知らず、その言葉を鵜吞みにしてしまったら。
「尊厳死」を制度化するなら、私の考えでは極めて例外的な場合にのみ適用する前提で、慎重、十分な調査、考察が行われない限り、非常に危険だと思います。
フランス共和制の聖典である『社会契約論』、元来著者であるルソーは「国民国家」のような大規模な政治体では「不可能」と考えていた(可能なのはコルシカのみ)。
しかし、1789年に始まるフランス革命の過程でジャコバン派がヘゲモニーを取るに至り、『社会契約論』とルソーは一気に前景化する。後、19世紀中浮沈を繰り返すものの、第三共和制において、聖典化された。
従って、18世紀研究者からすると、ルソーとジャコバン主義を結びつけるのは後世からの「錯覚」という主張になり、それは一理ある。実際ルソーは『社会契約論』で「国民 nation」という概念を用いていない。
とは言え、ルソーの宿敵でもあったヴォルテールと比較すると、ルソーが「平等」の問題に遥かに敏感であったことは間違いない。
ヒトは本来自由でありながら何故至る所で本来「不平等」という鉄鎖につながれているのか?
この問いは「人間不平等起源論」からルソーにとって根源的な問いであり続けた。
これに対し、ルソーは当時すでに周縁的な理論装置となっていた社会契約論モデルを大胆に刷新し、しかもそれを古代共和政の語彙に結びつけることで答えようとする。
そしてこのルソーの問いはカント、フィヒテ、そしてヘーゲルといったドイツ観念論に決定的な影響を与えるのである。
A qualified Psychiatrist, working in Tokyo.
love classical music, trout fishing and nature.
Never War.