であるから、「立憲君主制か天皇制か」という問いと、政治と分離した「社会統合」か、という問いはまずは分けた方がいい。
戦後直後の議論でも和辻、津田などは象徴天皇制は「本来の日本の国体」的な議論をする。
それに対して憲法学者の宮沢俊義は、専門家として「主権在民」の日本国憲法と明治憲法の断絶を主張して和辻と論争する。
ま、和辻なんかは戦中の本を戦後驚くほど自ら「改竄」する。これは「国体の本義」編纂委員としては必要な立ち回りだったのだろう。
しかし、それなら「日本は元来象徴天皇制」とい主張はおかしい訳。
和辻のこのオポチュニストぶりが、丸山眞男等の「戦中派」には我慢ならなかった(これは京都学派左派の久野収も同じ)。
宮沢俊儀も30年代は明治憲法を限りなく自由主義的に解釈しようとして、「神聖にして犯すべからず」は単に「刑事無答責」を定めたに過ぎない、とした。
ところが、蓑田の日本原理社の連中が東大法学部に押しかけて、宮沢は学部長に「これ以上騒ぎが続けば辞めてもらう」と言い渡される(そう言えば今月のWillに「大学教授はアカとバカばかり」とあったから似てる)。
「皇軍」という語彙が使われるのも30年代以降。逆にフーコーだけではファシズムを分析できないのでは、と思う。
@knappertsbuch
アルバンベルクSQはいいね。13番や14番が特に好き。
BT)この「緑豆の花」、私も通しで観たが、とてもよかった。
「緑豆」とは甲午農民戦争の指導者、チョン・ボンジュン(全琫準)のこと。
韓国の方には「常識」でも、「日本人」は知らない、1880年代初期からの朝鮮侵略の構図がわかりやすく描かれている。
これは連続「大河ドラマ」ならでは、のわかりやすさ。
高校日本史では「事大派」と「開化派」の争いとしてしか教えない当時の朝鮮内部の複雑な構造も、見えてくる。
さらに、福澤諭吉の慶応と北九州のアジア主義が如何に朝鮮侵略の尖兵となったかもきっちり調べてある。
「天祐侠」というアジア主義者の一群もちゃんと出てくる。このあたり、趙景達さんの『異端の民衆反乱 東学と甲午農民戦争』(岩波書店、1998年)でも、かなり詳しく裏付けられている。
日本による朝鮮植民地化の歴史に関心のある方は、ぜひこの機会に一度ご覧下さい。
今日の新聞広告で『ウォーレン・バフェット 賢者の名言365』という本の広告がある。
「一日600文字読んで」投資と人生を学び、「オマハの賢人」W.バフェットのように「長寿で豊かな人生」が送れる、ということのようだ。
バフェットって「オマハの賢人」と呼ばれているのかー、これは知らなかった。
そう言えば、最近『賢人と奴隷とバカ』という本を著者の方からいただいたのだった。
しかし、どうも最近の経産省のEDテックもそうだが、「将来」の職業、You Tuber ないし 投資家=賢人、になれ、といわんばかりの風潮には、やや懸念を感じる。
これ、もし真に受けて、学校を卒業してから「世間の現実」を知っても、「自己責任」で片づけられるのであるから、尚更である。
しかし、多少精神衛生を害しても、「広告批評」は必要だなー。
「新聞広告について」
さっきの「一日600字読んでバフェットになれる」もそうだけれども、最近は明らかに「怪しい」広告が多い。
これは新聞部数減と多いに関係があるだろう。最近「記事」がない、『朝日』を筆頭に広告料が格安になっているに関わらず、広告を出す余裕がある企業が減っていることが主要因。
現在、最も羽振りのいい軍需産業とその系列などは、いわゆる「消費財」を扱わないので、そもそも広告が不要なのです。
逆に「中の中」解体の煽りをくった消費財を扱う業界は基本斜陽なので、広告を出す余力がない。
例えば80年代の若者を「消費者」とした西武系の倒壊、ダイエーの倒産などはその象徴。
代わりに、「詐欺師」系の商売広告が、大手新聞広告に頻出する、ということだろう。
ま、実際、言説の世界でも「知の猛者」なる詐欺師たちが主要な舞台を占めるようになった。
これをスパルタカス君的に「下剋上」とは言えるかも、だけれども。
「天皇制の問題を、立憲君主政か共和政かという国制論の次元で立てるのでなく、社会統合・国民統合の問題として考えたら、当然フーコー的観点からも、天皇制は問題にしうるんじゃないのかな」by スパルタクス
これ、好意的に言っても誤解を招くと思う。
仏では19世紀前半には、資本主義の展開による混乱は「政治」の次元では、解決不可能と考えられるようになり、「政治」と分離した「社会」が前景化。
サン・シモン、コント、フーリエ、そしてプルードンも然り。であるから、プルードンは一貫してルソー(19世紀から見た)と「主権」を批判した。
サン・シモン、コントの流れを「社会統合」の学として認知させたのがデュルケーム。ここに「社会学」が誕生。フーコーの弟子筋でサン・シモン財団周辺の連中の問題意識だよね。
日本でも明治末期から同様な「社会」問題は意識される。それを治安問題として担当したのが内務省。だから南原繁や大内兵衛が内務省関係者であることは偶然ではないのです。南原繁も「民族社会主義者」だしね。
ただ、「天皇制」という概念はコミンテルン・講座派の創出したもの。であるから、戦前はこの言葉を用いただけで治安維持法違反になる。
であるから、フーコー的観点からは問題にし得るのは「天皇制」ではないと思う。
再び堺市長選について
今回の堺市長選、「勝利」した維新市長、有権者比20%の得票しか得ていない(前回も)。
これはもはや「ポピュリズム」とも分類できない。
むしろ、大量の顧問のプロフィールからもわかるように、支配層エスタブッリュメント=「極右」の権威主義的独裁に近い、と言える。
この「独裁」的手法によって、文教・社会保障部門の解体が強行されているわけだ。そこにさらに公共部門=税金への大企業(起業」による「たかり」が加わる(大阪万博)。
この構図、もはや宏池会(岸田であろうと、清和会(小泉・安部)であろうと、基本的に変わることはない。
高齢者に対する社会保障解体にむけて財務省(古市)と経産省(成田悠輔)の「品」の差、くらいの話だ。ま、この両者に「品」というものがあるとしてだが。
吉本を含めメディア操作全動員で有権者比20%。これは重要な数字。
つまり、半数以上の有権者は、もはや「生活苦」に対する「政治」の有効性に絶望している。
これは大阪でも階層的に「中の中」が解体していることと合わせて、今後の「権威主義的ファシズム」への抵抗に向けて重要な示唆を与えているように感じる。
あくまで個人的見解、地動瑞。
過去、悪政が行われた時に大地が大きく振動(地震)した記録は洋の東西でやはり克明に様々記されていて、地震の起こる地域、そうでない地域もあろうが、やはり記録者が何かしらの関連を強く感じて歴史に残したことに疑いはない。趙高しかり、アグリッピナ、ネロ然り。
日蓮の「瑞相御書」には特に仏教教典に基づいて、大地の振動の由来について詳細に書いてある。日蓮の人生をかけた書の『立正安国論』も出発点は正嘉の大地震のあまりの被害の悲惨さから。
日本の記録のある歴史で最大の地震被害が出たのは疑いなく江戸時代初期の元禄ー宝永年間で、綱吉の治世そのもの。
赤穂浪士討ち入り翌年の元禄地震、その後間も無く改元後の宝永地震は共に日本史上最大レベルの相模トラフ地震、南海トラフ地震。
しかも直後に宝永噴火の富士山噴火。
何故綱吉の時代にこれだけの災害が続いたのか。
前半は善政を敷いたと毀誉褒貶が極端に別れるが、生類憐みの令だけでなく、綱吉の政治の中枢には真言僧との結託による宗教と政治の癒着、過度の中央集権化による民衆の疲弊が強くあったことは指摘されて良いかと。
翻って、統一教会、創価公明が根幹にあり、過度に強引な手法で民衆の怨嗟を至るところにもたらしているのは江戸時代初期をも凌駕するかと。
何がいいたいかー続
A qualified Psychiatrist, working in Tokyo.
love classical music, trout fishing and nature.