「天皇制の問題を、立憲君主政か共和政かという国制論の次元で立てるのでなく、社会統合・国民統合の問題として考えたら、当然フーコー的観点からも、天皇制は問題にしうるんじゃないのかな」by スパルタクス

これ、好意的に言っても誤解を招くと思う。

仏では19世紀前半には、資本主義の展開による混乱は「政治」の次元では、解決不可能と考えられるようになり、「政治」と分離した「社会」が前景化。

サン・シモン、コント、フーリエ、そしてプルードンも然り。であるから、プルードンは一貫してルソー(19世紀から見た)と「主権」を批判した。

サン・シモン、コントの流れを「社会統合」の学として認知させたのがデュルケーム。ここに「社会学」が誕生。フーコーの弟子筋でサン・シモン財団周辺の連中の問題意識だよね。

日本でも明治末期から同様な「社会」問題は意識される。それを治安問題として担当したのが内務省。だから南原繁や大内兵衛が内務省関係者であることは偶然ではないのです。南原繁も「民族社会主義者」だしね。

ただ、「天皇制」という概念はコミンテルン・講座派の創出したもの。であるから、戦前はこの言葉を用いただけで治安維持法違反になる。

であるから、フーコー的観点からは問題にし得るのは「天皇制」ではないと思う。

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 であるから、「立憲君主制か天皇制か」という問いと、政治と分離した「社会統合」か、という問いはまずは分けた方がいい。

 戦後直後の議論でも和辻、津田などは象徴天皇制は「本来の日本の国体」的な議論をする。

 それに対して憲法学者の宮沢俊義は、専門家として「主権在民」の日本国憲法と明治憲法の断絶を主張して和辻と論争する。

 ま、和辻なんかは戦中の本を戦後驚くほど自ら「改竄」する。これは「国体の本義」編纂委員としては必要な立ち回りだったのだろう。

 しかし、それなら「日本は元来象徴天皇制」とい主張はおかしい訳。

 和辻のこのオポチュニストぶりが、丸山眞男等の「戦中派」には我慢ならなかった(これは京都学派左派の久野収も同じ)。

 宮沢俊儀も30年代は明治憲法を限りなく自由主義的に解釈しようとして、「神聖にして犯すべからず」は単に「刑事無答責」を定めたに過ぎない、とした。

 ところが、蓑田の日本原理社の連中が東大法学部に押しかけて、宮沢は学部長に「これ以上騒ぎが続けば辞めてもらう」と言い渡される(そう言えば今月のWillに「大学教授はアカとバカばかり」とあったから似てる)。

 「皇軍」という語彙が使われるのも30年代以降。逆にフーコーだけではファシズムを分析できないのでは、と思う。

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