であるから、「立憲君主制か天皇制か」という問いと、政治と分離した「社会統合」か、という問いはまずは分けた方がいい。
戦後直後の議論でも和辻、津田などは象徴天皇制は「本来の日本の国体」的な議論をする。
それに対して憲法学者の宮沢俊義は、専門家として「主権在民」の日本国憲法と明治憲法の断絶を主張して和辻と論争する。
ま、和辻なんかは戦中の本を戦後驚くほど自ら「改竄」する。これは「国体の本義」編纂委員としては必要な立ち回りだったのだろう。
しかし、それなら「日本は元来象徴天皇制」とい主張はおかしい訳。
和辻のこのオポチュニストぶりが、丸山眞男等の「戦中派」には我慢ならなかった(これは京都学派左派の久野収も同じ)。
宮沢俊儀も30年代は明治憲法を限りなく自由主義的に解釈しようとして、「神聖にして犯すべからず」は単に「刑事無答責」を定めたに過ぎない、とした。
ところが、蓑田の日本原理社の連中が東大法学部に押しかけて、宮沢は学部長に「これ以上騒ぎが続けば辞めてもらう」と言い渡される(そう言えば今月のWillに「大学教授はアカとバカばかり」とあったから似てる)。
「皇軍」という語彙が使われるのも30年代以降。逆にフーコーだけではファシズムを分析できないのでは、と思う。