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議会答弁の曖昧で・回避的な・だらだらした語り口との接近でもあるのかもしれない。

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政治演説・討論の話法が、ショート動画の撮影技法に合わせて進化している向きはあるのかな。

連続再生できる・字幕付きの・倍速視聴も一時停止もしやすい・URL指定された・十数秒ほどの長さの動画だと、サムネイルの新鮮さ、序盤の驚き、中盤の聴き応え、終盤のキレ味を両立しないと、いまひとつ拡散しないだろうから。

この変化が生じたのは、たぶん10〜20年前に、「売れ」に近いコンバージョンをさらに追求するよう求められたPR戦略企画者が、しばしばストレートで、ダイレクトな、ターゲティングされた表現に頼るようになって以来だろうけど、さまざまな話法が「ちょっと古くて懐かしいもの」になっていた感じはする。

・ワンフレーズ・ポリティクス(テレビ番組の映像編集テクニックに最適化した演説術。例:小泉純一郎、進次郎)とか、

・佐藤雅彦らの世代が手がけたTV CM(固有名詞連呼型。例:モルツ、ドンタコス、ポリンキー)とか、

・ビジュアルとテキストの調和/不調和で言外の意味を伝えるポスター術(例:西武百貨店)

・最後まで視聴すると商品名・メーカー名が分かるシナリオ(例:シャボン玉ホリデーによる牛乳石鹸のライブCM)とか、

・パンチライン反復型の演説構成(音飛びするラジオでも聴取者が意味を取りやすい。例:ヒットラー)とか

kasaikouhei さんがブースト

新旧メディアのどこを見ても、「短尺のニュースに憶測と偏見を塗り重ねた茶の間政談・井戸端会議がいやで、都会に出てきたんじゃなかったのか」という気持ちになる。古くて新しい政治姿勢が芽生えつつある

ITエンジニア界隈で、無料公開される技術パワポが連載読みものみたいに次から次へと読み捨てられていく感じとか、研究者向けの資料・データベースが(専門知識があれば何十年も遊べるほど)大量のテキストを豊富に取り揃えていることとか、そういえば最近はもう料理本を買わなくなったな(買ったものも昔ほどには多用しなくなった)とか、そういう意味での読書生活調査ってほとんどないよなぁ

活版印刷/劇場が普及して以来、主には宗教共同体や武士階級、都市の住民、農村の支配層などによってさまざまな所望されたフィクション(as 製品カテゴリ)というのは、もちろん物語消費のみを満たしていたわけではない。自己啓発や教養志向の受け皿であり、コミュケーション消費の起点であり、雑学・風聞も含めた時事情報の摂取源であり、識字能力を養うトレーニング・グッズだった。そう考えると、読字行為の想定負荷が期待される報酬に見合わないと見なされる状況の背後には、かなり複合的に入り組んだ「満たされなさ」があると見るべきだろう。直近30年の日本語史にとって、それはどのようなものだといえるか。

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前提:さまざまな情報ニーズは大雑把に「紙からウェブへ」移り変わったわけではなく、その分野ごとに特色のある市場再編が進んだのだろう。

ゞネットニュース(のランキングページ)とSNS(のトレンド欄・推薦アルゴリズム)が新聞(紙の一覧的な構成)を代替した
・写真SNSや管理系スマホアプリ、How toサイト、実用系動画が「趣味・実用」「ファッション」カテゴリの上位互換になった
・勉強アプリと試験問題アップロードサイトが「学習書・参考書」の需要を奪った
…etc.

観点:ハイティーン向けフィクションの需要が文字からビジュアル(写真主体の雑誌、映画、漫画、テレビ…etc.)へと移転したのは20世紀後半からずっと起きていた現象のはず。

問い:テキストを主体としたフィクションの需要をいま、もっとも引き受けているメディアはなんだろう。チャットサービスやスマホゲームはそりゃそうだけど、全年齢で考えたときに。

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コミック(as 出版カテゴリ)のページあたり文字数って、20世紀と比べて増えてるのかな。フルカラーのたて読み漫画は雑誌時代と比べて情報量が増えていると言われれば「そうかもな」と思うけど

社会制度をマクロにみると高齢層との待遇差に唖然とするけど、実生活で相対するお年寄りのほとんどは(めんどくさいひともいるけど、それも含めて)いいひとだということへのブルーな気持ちがある

Tor経由とはいえ、被害者の社内から流出したデータを取得したことが露見したら(or 自ら明かしたら)不正競争防止法違反がふつうに成立しそう。公表された著作物でもないし、公益通報や報道のための情報提供でもないし。いやな想像だけど、加害組織とは別の悪意ある人物が、興味本位でデータの入手を公言したひとの発言を記録しておいて、後々の「ゆすり」のネタにするとかもできそう。

スターツ出版文庫で世に出た著者のうち何人かが、「卒業」したあとにKADOKAWAや小学館、ポプラ社、実業之日本社とかで仕事をしているのは象徴的ですね。

日本ケータイ小説大賞の出身者で、いまも定期的に書籍化されているのはいぬじゅんさんくらいか。『あたし彼女』のkikiさんも最近作は2014年で止まっているし。筆名を変えて再応募してるひともいそうだけど、最近さすがに実作を追えてなくて分からない。。。

著者/読者の出入りが数年単位と早くて、職業作家のための育成システムを内製していないから、その業態は、じつは地方自治体の公募賞とか、公教育の一貫でなされる短詩型の学生コンテストに近いと言えたりするのかも。

kasaikouhei さんがブースト

BT スターツ出版は大きめの書店(例:紀伊国屋書店)で単独棚を持つようになってきましたね。
読者や作者が回転せず、ずっと読み続ける/書き続けるようになるかどうかがきになりますね。もしかするとウェブで書籍化に頼らないで細々読み続ける/書き続けるルートに入るのかもしれませんし。

スターツ出版をしてさえ出版事業の半分はコミックで、その比重が年を追うにつれて高まっていて、最近はシナリオ募集に熱心であることをどう受け止めるか(この戦略自体はよそも大差ない)。

「野いちご」はサイト内広告にかなり禁欲的だし、有料会員システムも入れていないから、著者・読者コミュニティの維持コストは「本」で回収する仕組みがつづいているはず。新刊書店の棚専有率をどんどん上げないと回らないのも分かる。

その先には極めて成熟した「少女マンガ」文化圏が待っており、もちろんスターツ出版も「noicomi」を定期刊行しているけれど、10年つづく人気連載を持つような看板作家が現れるか

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「著者」の事業継続性があまり高くなさそうな収益モデルなのは……まぁよそも同じか。サイト創業期の書き手がほとんど「卒業」していて、現役の人気著者も毎月のように新刊を出している(けど兼業がほとんどのようである)ことに目を向けると、「ブルーライト文芸」の「ブルー」が労働者階級のそれに思えてくる。
nikkei.com/article/DGXZQOUC182

自著を原作にドラマシナリオを仕立て直すとき、決定稿ではそこそこ大胆にプロットを組み立て直していて、1話完結型で毎週更新の配信スタイルにはもちろん最適化しているわけだけど、このとき原作は著者にとってどんな位置づけなのか。読み比べると、登場人物の人格的な一貫性にはさほど頓着していないようにも思える。原作の側で描かれた人物像に余白が残されているのではなく、個々の人物を関数っぽく使っているというか。

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