政治演説・討論の話法が、ショート動画の撮影技法に合わせて進化している向きはあるのかな。
連続再生できる・字幕付きの・倍速視聴も一時停止もしやすい・URL指定された・十数秒ほどの長さの動画だと、サムネイルの新鮮さ、序盤の驚き、中盤の聴き応え、終盤のキレ味を両立しないと、いまひとつ拡散しないだろうから。
この変化が生じたのは、たぶん10〜20年前に、「売れ」に近いコンバージョンをさらに追求するよう求められたPR戦略企画者が、しばしばストレートで、ダイレクトな、ターゲティングされた表現に頼るようになって以来だろうけど、さまざまな話法が「ちょっと古くて懐かしいもの」になっていた感じはする。
・ワンフレーズ・ポリティクス(テレビ番組の映像編集テクニックに最適化した演説術。例:小泉純一郎、進次郎)とか、
・佐藤雅彦らの世代が手がけたTV CM(固有名詞連呼型。例:モルツ、ドンタコス、ポリンキー)とか、
・ビジュアルとテキストの調和/不調和で言外の意味を伝えるポスター術(例:西武百貨店)
・最後まで視聴すると商品名・メーカー名が分かるシナリオ(例:シャボン玉ホリデーによる牛乳石鹸のライブCM)とか、
・パンチライン反復型の演説構成(音飛びするラジオでも聴取者が意味を取りやすい。例:ヒットラー)とか
泣いてしまった。
イスラエル入植者とパレスチナ人が共同経営する中東料理店 憎しみが共感に変わるまで
前提:さまざまな情報ニーズは大雑把に「紙からウェブへ」移り変わったわけではなく、その分野ごとに特色のある市場再編が進んだのだろう。
ゞネットニュース(のランキングページ)とSNS(のトレンド欄・推薦アルゴリズム)が新聞(紙の一覧的な構成)を代替した
・写真SNSや管理系スマホアプリ、How toサイト、実用系動画が「趣味・実用」「ファッション」カテゴリの上位互換になった
・勉強アプリと試験問題アップロードサイトが「学習書・参考書」の需要を奪った
…etc.
観点:ハイティーン向けフィクションの需要が文字からビジュアル(写真主体の雑誌、映画、漫画、テレビ…etc.)へと移転したのは20世紀後半からずっと起きていた現象のはず。
問い:テキストを主体としたフィクションの需要をいま、もっとも引き受けているメディアはなんだろう。チャットサービスやスマホゲームはそりゃそうだけど、全年齢で考えたときに。
コミック(as 出版カテゴリ)のページあたり文字数って、20世紀と比べて増えてるのかな。フルカラーのたて読み漫画は雑誌時代と比べて情報量が増えていると言われれば「そうかもな」と思うけど
Tor経由とはいえ、被害者の社内から流出したデータを取得したことが露見したら(or 自ら明かしたら)不正競争防止法違反がふつうに成立しそう。公表された著作物でもないし、公益通報や報道のための情報提供でもないし。いやな想像だけど、加害組織とは別の悪意ある人物が、興味本位でデータの入手を公言したひとの発言を記録しておいて、後々の「ゆすり」のネタにするとかもできそう。
BT スターツ出版は大きめの書店(例:紀伊国屋書店)で単独棚を持つようになってきましたね。
読者や作者が回転せず、ずっと読み続ける/書き続けるようになるかどうかがきになりますね。もしかするとウェブで書籍化に頼らないで細々読み続ける/書き続けるルートに入るのかもしれませんし。
「著者」の事業継続性があまり高くなさそうな収益モデルなのは……まぁよそも同じか。サイト創業期の書き手がほとんど「卒業」していて、現役の人気著者も毎月のように新刊を出している(けど兼業がほとんどのようである)ことに目を向けると、「ブルーライト文芸」の「ブルー」が労働者階級のそれに思えてくる。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC182NP0Y4A610C2000000/
口あけぬひつじ死んでいる