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がび🐾 さんがブースト

この「自民党が独自に開発したAI」を基にした総裁選キャンペーンのポスター、女性が1人も居なくて流石自民党らしいという感想しかない。
歴代総理を載せたかったのだろうけど女性が居ないという事に気を留めもしないところで未来志向ゼロ。

公式に発表するまでに誰も異論を唱えなかったんだろう。
自慢げにイーゼル2脚に乗せて発表してる場合なのかこの党は。

スイスから戻って数日はすぐに11時ぐらいに意識がなくなったのに、2日ぐらい前から4時ぐらいまで目がパッチリ。仕方なく眠くなるまで読書しているけれど、薬の時間があるので8時には起きてしまう。そして、寝不足。
そして昼寝さえできない。午後に眠くならない。あー困った。

家の中はスニーカーを履いて歩いてはいるけれど…まだスタスタとは行かない。ギッコンバッタン。体の重みを右足にかけるとどうも力が入らない。痛くはないのに、やっぱり何週間も使っていなかったからか。
バンコクの外出は大好きなんだけれど、スイスから戻ってからどうも外に行く気が起きない。動かなきゃいけないんだろうけど。

月250万円!…まさか。年250万円ですからね。

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追加:オーストラリアに退職年齢はないし、雇用広告にも年齢制限禁止。ただし、67歳から老齢年金取得「可能」年齢になる。つまり資産がある一定額以下だとそれに応じて老齢年金がもらえるわけ。確か最高額約250万円ぐらいだったと思う。追加で賃貸の人には補助も出る。つまり「家を持つ」ことが当然の世界では持っていなければ補助が出るのだ。日本では持ち家があったら例え収入がなくても「それを売ってその金がなくなったら来い」だ。

老齢年金取得者も資産(と言っても億の額ほどじゃないよ)がある人も、67歳になれば医療、ガス、水道、電気、車両保険などはかなり安くなる。公共交通機関はラッシュアワーを除いてすべて無料。

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がび🐾 さんがブースト

@MasatakaSuzuki わたしの亡き父は60年以上前に婚姻届を出してから半年後に姓を母の姓に変えました。ずっと国鉄本社に勤めていましたから、当時勇気ある決断だったと思います。母が三人姉妹の三女で上のふたりがすでに家を出ていたからです。

父は3人兄弟(4人だったけれど1人は19歳で戦時中に潜水艦にて死亡)、NHK記者だった上の兄は戦争未亡人だった人が「亡き夫の家は守らなければ」とのことで自分も彼女の籍に移りました。結局3男だった叔父が姓を継ぎました。

父も伯父も頑固な昔風の男性でしたが、どちらも「姓なんぞ墓を守るためだけだ」と考えていたようで、夫婦別姓にも「いいんじゃないの?」と言っただろうと思います。 [参照]

西オーストラリア州の大学受験が近づいてきて、12年生クラスへのセミナーや会話練習や採点などの単発仕事が舞い込んできている。教室で教えることはなくなったけれど、これじゃ「半」退職だね。

退職してからパースに帰るときのオーストラリア入国カードにはRetireeと記入。今まではTeacherだったけれど。前回初めてこう書いたときに「ああ、退職したんだなあ」と実感した。

パイロットだった友だちは退職してから1年ほどはこの入国カードにRetired Pilotと記入していたという。年齢と病気で辞めたからまだ未練があったのだろうな。

ちなみにオーストラリアには退職年齢というものはない。

今回の新しいパラジェルはこんな感じ。今まで使ったことがない色で、なんと言うか、イマ風ですな。
 

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実は4週間と3日でこーんなに伸びてしまい、コンピューターのキーボードを叩くと間違いばかり。夏は伸びるのが速いね。

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今頃眠くなってきた…寝不足だからね。このぶんだとネイルサロンで居眠りが出そうだ。ネイリストさんはタイ語しかできないし、わたしのタイ語は長いおしゃべりができるほどじゃないので。

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オンライン個人授業が終わったので、やっとネイルサロンに行ってきます。爪が伸びすぎてコンピューターのキーボードがきちんと叩けない。わたしより長い爪の人をよく見かけるけど、どうやって普通の生活が送れるんだろうか…家事とかトイレとか。

なぜかあまりよく寝られなかったので寝不足気味。まだ時差ボケなのかなあ。
バンコクに戻ったのでこれからまた受験生のオンライン個人レッスン。スイスにいる間はしばらくやっていなかったけど、あと1ヶ月で会話試験、2ヶ月で筆記試験なので、ストレス満載で眉間にシワよせているだろうな。

固定された投稿があまりに多いと、どんなにスクロールし続けても新しい投稿が現れず、めんどくさくて諦めてしまうことがある。ごめんね。

日本ではこの懐かしいCMが有名だったよね。これでアラン・ドロンに落ちた女性が多かったらしい。最後にフランス語で言うセリフがカッコいい(わたしだって小さすぎて当時フランス語なんか話せなかった)。
youtube.com/watch?v=5bWVwUp5JN

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アラン・ドロンが亡くなった。88歳。

彼が23歳のときの「太陽がいっぱい」を初めてテレビで観て、なんて恐ろしいほど美しい男性なのだろうと目が離せなかったのを覚えている。
lemonde.fr/culture/article/202

ランチは近くのタイ料理店からのデリバリー。豚肉のラープとガイ・ヤーン(チキンロースト)にハーブと口直し。食べきれないほどまだある(写真だけで半分だもん)ので、夜もコレになりそう。

がび🐾 さんがブースト

報道ステーションを見てたら風船爆弾の特集をやっていた。
当時風船爆弾がオレゴンに到達し、森にピクニックに来ていた子供連れのグループが落ちていた風船爆弾に触れてしまい爆発により妊婦の女性と子供達合わせて6人が死亡した、という事実は知らなかった。
石碑が映されていたけど、妊婦の女性は26歳、あと5人は11歳から14歳の子供達。

風船爆弾の製造に関わった現在96歳の高橋光子さん。
インタビューに答え、戦後この事実を知って、自分でも知らないうちに自分がやったことが人の生死に関わることになっているんだと思い辛い思いをしたと語った。
戦後作家になり著書「ぼくは風船爆弾」の中にも記述がある。

「一度戦争が起これば、自分がどんなにいやで、気をつけていても、いつ被害者になるかわからないし、加害者になるかもしれないのです。ぼくがそのいい例です」

インタビューではこうも語っている。

「戦争だけじゃなくていろいろな差別もある時に、常に自分も加害者になっているんじゃないかということは考えておかないといけない」

がび🐾 さんがブースト

関東大震災後の虐殺から逃れるため、日本人になりすました朝鮮人留学生。第2次大戦前、ナチドイツにダンサーとなって渡り、ナチ側について対日本スパイに。

前にも一度書いたけど、関東大震災後の虐殺の影響はこんなところにまで。

SNL(サタディ・ナイト・ライブ)に出演していたFred Armisen氏が、ルーツを探る米国の番組(NHKのファミリーヒストリーみたいなもの)で、祖父の真のルーツを知る話、自分は1/4日本人ではなく、1/4朝鮮人だと判明して驚く。
youtube.com/watch?v=ye7z3ErM4D

半ギプスがとれたのが嬉しくって、病院の近くのらあめん亭プレミアムで祝杯ならぬ祝ラーメン。いつものチャーシュー麺だ。久しぶりのラーメンはやっぱり東京風のさっぱり醤油ラーメンだね。ここのチャーシューが紙みたいに薄くなくて分厚いのも好き。

ということでレントゲンと外科医の診察終了。第5中足骨基部骨折は一応完治。亀裂はまだうすーく残っているらしいが、歩くには問題なし。バンザイ。

ただし5週間も満足に歩いていないのでリハビリ必要。特に筋肉と足首が弱くなったかもしれないので、歩いていてガックリと行く可能性あり。裸足ダメ、ハイヒールダメ、底の厚くて固い靴(つまりスニーカーですな)で3−4週間過ごしてから、オーストラリアのクリニックでもう一度レントゲンと診察。

とりあえずは半ギプスが取れたのが嬉しい。包帯を巻いていたところのアセモがひどい。
今はこんなふうにサポーターのみ。

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