〈募集〉
「言論のアリーナ」的な書店(もしくはそれ以下のただの無頓着書店)に行ったときにどのような気持ちになるか、あるいはなぜそのような場所には行けないのか。もしくは、書店店頭にかぎらず、差別がいたるところに存在する社会において生活をしなくてはならない、そのことがもたらす各種の苦痛や実害。
みなさんの声はイベント時に共有できればいいな......と思っています。マイノリティとしての地位を規範や社会環境から押し付けられてしまっている者がどのような生を強いられているのか、業界人の多くは知らないので。
要領をえない文章でも大丈夫です。返信やbooks.lighthouse@gmail.comまで。もちろん匿名でOKです。
120年余の中で“最も暑い4月に” 気象庁 統計開始以降 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240501/k10014438151000.html
ヘイト本が問題になるとき、まず第一に差別される者が存在しており、そこに覆しようのない権力勾配が生まれているのは明らかで、そのことと書店がどうあるべきかというのは別軸の話だ。
しかも例えば出版のもつ特権や性質を濫用して他者を貶めようとしたり、意図的に虚偽を広めるような本を出版したりするような「運動」は、それが個人から社会に向けて発された瞬間から社会そのものを蝕んでいくのだから、書店がアリーナであろうとするならば尚更、そうした差別的言動を許容できるはずがない。
この10年で、詭弁や陰謀論が蔓延るなかでも、武力による紛争が増えるなかでも、言論は人と人とが平和的に連帯して世の中にうねりを起こすために実際に必要とされているではないか。
書物や書店の意義を考えるまでもなく、本屋は人の言葉を人に届ける仕事なのだから、その取り扱い方もまたヒューマニティーを基盤とする。そこから始めれば良いと思う。
アリーナ論については、個人的には同意できる理由もあって端的に語れる話ではない。
ただ少なくとも世間一般の話としてこれだけアテンションエコノミーが幅を効かせるようになり、文脈を読み取ろうとせず短絡的な反応を好む人が増え、もはや言論を平等に闘わせるなどという概念そのものが消滅しかねない社会になっている以上、書店も当然に変わらざるを得ないと思う。
書店が民主主義社会における言論の揺籃として、世の中から投げかけられる様々な言葉と現実にある問題とを、書棚と平台をつかって物理的に体感できる形に編集して読者の眼前に提示しようとするとき、書店自身がアリーナとしての自覚を持ってその役割を果たそうとするのは、たしかに理想的ではある。(これはどちらかというと書店より図書館の側で散々議論されてきたことでもある)。
だがそれは成熟した言論空間が存在することを前提としているし、かつての雑誌や文壇のようなものもまた、あくまで言論を交わせる立場にあるという特権によって生み出されたものであることも、忘れてはならない。
島根、長崎、東京。結果だけ見れば立民3タテ・自民全敗だが、その要因となったものはそれぞれ違うはず。特にまちの成り立ちとか、各候補者や政党や組織ごとの事情とか、現場の人たちの動きとか。こういう外野からはわかりにくいところを尊重したうえで分析しないと、結局次につながらない。
共通してひとつ言えるとしたら、地縁というものは相変わらず強いということか。実際その地に住む人がまちを作り、その共同体の代表を決めるのが現状の選挙システムだから、出てきた数字をもとにそれぞれを等しく見つめて、自分たちのところに持ち帰って次の戦いの糧にすればいい。
そのとき個人崇拝も馴れ合いもお為ごかしも要らないのだが、この結果に伴う追い風とともに有象無象がまとわりついてくるだろう。道を見失わないためにも立民があらためて掲げるべき旗は、やはり立憲主義ではないか。本当にここからだ、と思う。
>BT
「社会問題・海外事情」のエンド台としては明らかに偏ってるな…
おいおいおいおいおい
さすがに店員を呼んで抗議した。
するとたまたまその店員が棚の担当者だったのだが、「新刊を並べてるだけで政治的意図は全くない」と強弁して開き直った。「いや明らかに偏ってるでしょ。せめて両論併記にしなさいよ。このトランスヘイト本が平積みされているだけで傷つく人がいるよ」と言ってもTなる書店員はしらばっくれるばかり。本社にメールします。ちなみに有隣堂。
今日は、この街でずっと食堂を続けてきたおじいさんに、話を聞く機会があった。
終戦時に小学生。戦争から戻ってきた父がはじめた食堂を手伝い、やがてあとを継いで、息子に託して、今に至るまでずっと現役。もう高齢なのでさすがにあまり表には出ないが、看板メニューのうどんの味見は毎日続けていると言っていた。
生きてきたなかで街はどんどん変わっていったが、地元に愛されているのはもちろん、幸いにも観光スポットとして有名になったこともあって、今も変わらず同じ味を提供することができているとのこと。
家の味と外食の味は違う。外で食べたときの感動を忘れない人が居る限り食堂は続くさ… と戦後の十分な食事ができなかった頃を体験している人に言われると、重みが違う。
もちろん商売ではあるのだが、もはや人生そのものなのだ。こういう店こそが、人が地域で生きていくことのつながりが、この街を作っているんだと納得させられた一日。
Fuyuki Amamiya:いまだに本屋のひと。読書とかゲームとか飛行機とか鳥撮とかガジェットとか投資とか政治とかまで、なんとか雑多に生きてます(・ω・)ノ
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