ヘイト本が問題になるとき、まず第一に差別される者が存在しており、そこに覆しようのない権力勾配が生まれているのは明らかで、そのことと書店がどうあるべきかというのは別軸の話だ。
しかも例えば出版のもつ特権や性質を濫用して他者を貶めようとしたり、意図的に虚偽を広めるような本を出版したりするような「運動」は、それが個人から社会に向けて発された瞬間から社会そのものを蝕んでいくのだから、書店がアリーナであろうとするならば尚更、そうした差別的言動を許容できるはずがない。
この10年で、詭弁や陰謀論が蔓延るなかでも、武力による紛争が増えるなかでも、言論は人と人とが平和的に連帯して世の中にうねりを起こすために実際に必要とされているではないか。
書物や書店の意義を考えるまでもなく、本屋は人の言葉を人に届ける仕事なのだから、その取り扱い方もまたヒューマニティーを基盤とする。そこから始めれば良いと思う。