検察が聴取せよ。
裏金問題、自民党が聴取開始 安倍・二階派ら90人対象 #47NEWS https://www.47news.jp/10476812.html
https://www.asahi.com/articles/ASS105HSLS1ZUHNB00H.html
「追悼碑は群馬の良心ともいえるもので、亡くなった人たちの追悼の墓標。それを権力が取り除くというのは許されるのだろうか」「こうも無残な姿、残骸をみて、何ともいいようがない。県のやり方には憤りを感じる。県が大罪の歴史を残してしまい、大変残念」
こうした追悼碑の存在は、いかに国家としての日本、あるいは時の政府が残虐で愚かであろうとも、それとは別に市民が自分たちの決意として他者の存在を尊重し過ちを繰り返さないと誓ったものだ。
その重要性もわからない無能な行政と政治家が右翼にのせられて暴力的に排除し、追悼碑を設置した心ある人々に撤去費用まで請求する。恥を知れと言いたい。
自民党。
ヤクザやん。
自民党愛知県連青年部の副部長らが現金を脅し取ったとして逮捕されました。
「依頼者には政治家やヤクザの親せきがいる」 自民党県連青年部の副部長ら2人を恐喝容疑で逮捕 | 東海地方のニュース【CBC news】
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/974101
ある日、推しが性加害で逮捕された…韓国のドキュメンタリー映画「成功したオタク」3月に公開(監督のコメントあり)
https://natalie.mu/eiga/news/559298
"あるK-POPスターの熱狂的なファンで、“推し”に認知されテレビ共演を果たして“成功したオタク”と呼ばれたオ・セヨン。映画では、ある日推しが性加害で逮捕され、突然“犯罪者のファン”になってしまった彼女が、「彼を推していた私も加害者なのではないか」「彼を思って過ごした幸せな時間まで否定しなくてはならないのか」との思いに苦悩するさまざまな立場のファンと語り合い、その社会的な意味を記録していく。"
まさに今の題材だね。面白そう。
「集団同調圧力について」
集団同調圧力、これは近現代日本において、極めて強いと見做され、おそらく「実感」的にも多くの方々にもリアルであると思われます。
ただし、程度の差はあれ、これは日本から「個人主義」的とされる欧米社会でも実際はかなり観察されること。
例えば「マッカーシズム」時代の米国。この時代の(政治権力に操作された)集団同調圧力は凄まじく、丸山眞男などはWWII後の欧米にも「自由主義」を大義名分とした「ファシズム」があるとした。
ちなみに米国では「迫害」の大義名分は「資本主義」ではなく「自由主義 リベラリズム」。「資本主義」では。憎悪を動員した運動を正当化することはできない。
しかし自由主義が、パレスティナの大虐殺に加担する大義名分として機能するのが米国である(ハマスは「反リベラル」)。
D.リースマンは『孤独な群衆』においてアトム化された「個人」が「他人志向」という同調圧力に脆弱になると論じ、丸山もこれを参考しながら「大衆社会」における集団同調圧力への抵抗の道を探る。
日本ではWWII後「企業」が集団同調圧力の核となってきた。しかし、企業による馴致=「社畜」から放逐されるマジョリティが急増している現在、さらに権力の情報操作に脆弱な状態になりつつあるとも言えましょう。
面白かった。私個人は年下のある女の子の影響で、ある時から面白がって女言葉をわざと使うようになって、割とそれが定着しているのよね。本来品のない言葉だったとは知らなかった。笑
個人的に最近気がついたのは、私がとても「お上品」でウザい喋り方だと思っていた母方祖母の話し方は、もしかして昔の水商売系の人の話し方だったんじゃないかということ(曽祖母は大会社の社長のお妾さんだったと聞いている)で、そう言えば別の似た喋り方をしていたお婆さんも花柳界出身だった。
>いま、私たちが「女言葉」と認識している「だわ」「のよ」といった言葉づかいの起源は、明治時代の女学生の話し言葉です。ただ、当時は正しい日本語とは扱われず「良妻賢母には似合わない」「下品で乱れた言葉」だと、さんざん非難されていたのです。
>戦後は日本のプライドを取り戻すため、女言葉はさらに称賛されるようになります。その中で、「女学生のはやり言葉」だったはずが、起源を捏造(ねつぞう)され、「山の手の中流以上の良家のお嬢さまの言葉」だったと喧伝(けんでん)されるようになります。
有料記事だったので、プレゼントにしました。
https://digital.asahi.com/articles/ASPCD3FPHPBPUPQJ014.html?ptoken=01HNEVZ7J67CQDAT5G260MCDHS
web広告会社に勤めてるんだけど、web広告会社って効果の数値しか見てないから、対男性の訴求って数値だけ求めると昔飯屋や飲み屋に貼ってあった「水着の女のビール広告」に還っていくんだよね。
あれがなくなったのって「効果がないから」じゃなくて「公共の場に相応しくないから」「女体は公共の場で消費されて良いものだという差別的な認識を公衆に与えるから」で、web広告企業は節度を持たなければならないんだけど、みんな「いかに消されないギリギリを狙えるか」をしているのでダメなんだよね。
だから広告出してる媒体、企業、(あと政府)に訴えるのがいいんじゃないかなと思う。特に媒体内で広告を個別に消すのと、企業に「あの広告は企業や企業商品のイメージを下げる」と伝えるのが効果的なんじゃないかな〜と思う。
数値のみ求めた広告ってその場の数値は良くても長い目で見たら企業や商品のイメージを損ねてると思うんだけど、残念ながらweb広告会社にその目線ってあんまないっぽいんだよな(ある企業もあるのかも! 私がいる会社はないように見える)
あと「公衆の場に広告を出すことは時に差別的な認識を人々に与えることになる」という認識と責任感は確実にない。内部から見てて微塵も感じないしそういう話されてるとこ見たことないので。無責任だね♡
今、国会見てるけど、岸田の施政方針演説、聞いてて絶望的になるのは、これ、この人の言葉ではなく、官僚の作文を読み上げているだけなんだよなぁということ。
で、その官僚は自分の意思ではなく、政治家の求めるものを忖度して作文しているのだし、その政治家が求めているのはアメリカの期待に応えることだったり、ネトウヨや統一教会を喜ばせることだったりして、それを報じるメディアの記者の言葉はAIでも出来そうな綺麗にまとめたサマリーに過ぎない。
つまり、誰にもどこにも本人の言葉はない。
この国で「議論」とか「話し合い」なんて出来るはずがないのよ。だって誰もそんなことできないし、したくないのだから。
私が子どもの頃から、どうにもこうにも違和感を感じ続けてきたのは、コレだったんだなぁと、改めて思いましたよ。誰も何にも言っちゃいないんだ。
精神分析ではアンビバレントを体験できることがひとつの精神発達の達成とする考え方があるんだけど、私はそれを言っている偉い先生方はじめとした臨床家もまたどれだけアンビバレントを体験できているのか、体験できていたとしても当たり障りのない範囲じゃないかと、ちょっと疑っている。
ワンゲルもそうだったけど、日本では(世界でもかも)簡単に教条主義、権威主義に飲み込まれて、下々は倣うばかりなのよね。
上川さんがはらわた煮えくりかえってるとは思えないなぁ。
何でも「自分だったら」で想像しない方がいい。
世の中には自分の感覚では混じられないような精神構造の人が幾らでもいるのだから。
玉川徹氏、麻生太郎氏発言に「こういう人たちを政治の世界からいない状態にしないと変わらない」(日刊スポーツ) 玉川徹氏、麻生太郎氏発言に「こういう人たちを政治の世界からいない状態にしないと変わらない」(日刊スポーツ) https://news.yahoo.co.jp/articles/f6ffa988e19cb16916ef092ab52817bcd0a9165a
まったくだ
素手でトイレ掃除して政治アピールするマン 泉健太・野田佳彦・松井孝治か。
そういうのが京都市長になるよりも福山和人のが よりマシでしょ。
客観的に考えれば。
https://twitter.com/mami_tanaka/status/1752544631932473411
猫とつれあいと暮らす。コンピュータはMSX(MX-10)からの微妙なIT労働者(運用保守)。放送大学大学院修士選科生(情報学)。ヘイトスピーチは即通報。キリスト者(プロテスタント)。 #ANTIFA 。反-新自由主義。基本的にはアナキスト。田中正造とゲバラをリスペクト。武術好き(最近は太極拳)。2023年はギターが弾けるようになることが目標。#ぼっちざろっく によって疲れ気味のオタクに復帰しつつあり。