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「集団同調圧力について」

 集団同調圧力、これは近現代日本において、極めて強いと見做され、おそらく「実感」的にも多くの方々にもリアルであると思われます。

 ただし、程度の差はあれ、これは日本から「個人主義」的とされる欧米社会でも実際はかなり観察されること。

 例えば「マッカーシズム」時代の米国。この時代の(政治権力に操作された)集団同調圧力は凄まじく、丸山眞男などはWWII後の欧米にも「自由主義」を大義名分とした「ファシズム」があるとした。

 ちなみに米国では「迫害」の大義名分は「資本主義」ではなく「自由主義 リベラリズム」。「資本主義」では。憎悪を動員した運動を正当化することはできない。
 しかし自由主義が、パレスティナの大虐殺に加担する大義名分として機能するのが米国である(ハマスは「反リベラル」)。

 D.リースマンは『孤独な群衆』においてアトム化された「個人」が「他人志向」という同調圧力に脆弱になると論じ、丸山もこれを参考しながら「大衆社会」における集団同調圧力への抵抗の道を探る。

 日本ではWWII後「企業」が集団同調圧力の核となってきた。しかし、企業による馴致=「社畜」から放逐されるマジョリティが急増している現在、さらに権力の情報操作に脆弱な状態になりつつあるとも言えましょう。

「リベラリズム」は歴史的文脈の中で一定の幅で多様な意味をもちます。

 政治思想としては、近世では「政教分離」、19世紀欧州では「ナショナリズム」と重なる。後者の意味は、現在忘れられるか、無視される傾向があるが、やはり押さえておくべき。

 「政教分離」は現在、欧米では「反イスラム」の旗印として、再び活性化しつつある。

 しかし歴史を振り返れば、政教分離と反植民地ナショナリズムとしての「アラブ主義」を欧米は70年かけて解体してきた。

 また「イスラム」といっても幅がある。世界最大のムスリム人口はインドネシア。機能として政教分離した上で「信仰」としてイスラムを選択する、所謂「穏健派」の方が数としては圧倒的である(中東)。

 実際欧州の保守党はキリスト教系政党であり、米国では大統領は聖書に手を置いて宣誓する。

 また法的な男女平等を欧米自由主義が認めるのはWWII後であり、ジェンダー規範の相対化に至っては1970年代以降。
 政教分離には拘る仏でも女性参政権はWWII以後であり、トルコより20年以上遅い。

 つまりごく最近まで「リベラル」と「家父長制」は親和的概念だった。

 また「ネオリベラル」の英雄、Mサッチャーはフォークランド戦争を主導した国家主義者であるとともに家族主義者でもあった。
 

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