今、国会見てるけど、岸田の施政方針演説、聞いてて絶望的になるのは、これ、この人の言葉ではなく、官僚の作文を読み上げているだけなんだよなぁということ。
で、その官僚は自分の意思ではなく、政治家の求めるものを忖度して作文しているのだし、その政治家が求めているのはアメリカの期待に応えることだったり、ネトウヨや統一教会を喜ばせることだったりして、それを報じるメディアの記者の言葉はAIでも出来そうな綺麗にまとめたサマリーに過ぎない。
つまり、誰にもどこにも本人の言葉はない。
この国で「議論」とか「話し合い」なんて出来るはずがないのよ。だって誰もそんなことできないし、したくないのだから。
私が子どもの頃から、どうにもこうにも違和感を感じ続けてきたのは、コレだったんだなぁと、改めて思いましたよ。誰も何にも言っちゃいないんだ。
精神分析ではアンビバレントを体験できることがひとつの精神発達の達成とする考え方があるんだけど、私はそれを言っている偉い先生方はじめとした臨床家もまたどれだけアンビバレントを体験できているのか、体験できていたとしても当たり障りのない範囲じゃないかと、ちょっと疑っている。
ワンゲルもそうだったけど、日本では(世界でもかも)簡単に教条主義、権威主義に飲み込まれて、下々は倣うばかりなのよね。