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ブログを書いた。こんなにもあらすじが多くなったのは、第一章が「話を始める前の一世紀半にあったこと」を詰め込んで地ならしをする導入部分だからであって、以後はこんな書き方にはならないと思うんだ。もちろん、導入部分を含めて小説はもう始まっているわけだけど。ここまでの進捗は27/283ページです。

(33)ホーソーン「七破風の屋敷」を読んでみる [2]:
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かなり久しぶりで大型のホームセンターに足を踏み入れ、独特の匂いに「そうそう、こうだった」とくつろぎながら店内を必要のないところまで歩き回った。

不意にい草の匂いが来て、自分が敷物の区画に近づいたと知るとか。

1日に2つもアイスを食べてはいけない。いけないんだが。

ほとんど毎日買っていた198円のブロッコリーが248円になると途端に手が伸びないな(税抜)

メイキングの面白さってなんなんだろう。
NHKのディレクターが1人でカメラを持って宮崎駿を追った「ポニョはこうして生まれた。」もむちゃくちゃ面白い。こっちは完成した作品だが(というかメイキングってふつう完成した作品のものしか世に出ないはずだが)、製作が本格的に動き出したあたりでディレクターが出禁をくらい、そこからは映像が残っていないという衝撃の展開がある。メイキングのほうが完成しない。
それでも、構想を練っている段階の駿のそばにずっといるという点で、どんなインタビューより駿の頭の中に迫っていたはず。

「君たちはどう生きるか」のスタッフロールにそのディレクター氏の名前もあった。まさか出禁なんてことはなく、可能な限り製作過程を記録してるだろうから、なるべく長く見せてほしい。10時間でもいいし、20時間ならもっといい。

「ホドロフスキーのDUNE」、謎の元気が出るのでみんな観てほしい。

「ホドロフスキーのDUNE」(2013)をまた観たくなって観た。10年前の映画なのか。 

1970年代中盤、『デューン』を映画化しようと奮闘し、結局実現しなかった顛末をホドロフスキーと関係者が振り返る。

・これはと見込んで協力を依頼し、引き受けてくれたスタッフを「戦士」と呼ぶ。「この映画に携わるすべての人間は魂の戦士だ」。メビウスもギーガーもホドロフスキーの戦士。
・皇帝役として出演を交渉したのがサルバドール・ダリ。パリのレストランでダリとお付きの者の計12人が囲むテーブルにホドロフスキーは呼び出される。ダリは問いかける。若いころピカソと海岸に行った。車のドアを開けるといつも砂の中に時計を見つけた。「君は砂の中で時計を見つけたことがあるかね?」
・試されている。即答しなくては。「時計を見つけたことはない。でもたくさん無くした」。ダリ「なるほど、分かった。バルセロナで待っている」
・最高。
・最初から2/3が製作に向けて盛り上がっていく過程。残りが頓挫した事情やその後の話。
・失意のなか、デイヴィッド・リンチが『デューン』を映画化すると聞いて激しく落ち込んだ。彼は天才だ。ぜったい観ないつもりでいたが、息子に諭された。「本物の戦士なら観に行くべきだ」。
・観た感想が最高の最高。「人間として当然の反応だと思う」

「iichiko」はブルガーコフ特集を2号もやったのか(2009年)。どっちかだけ持ってたはず、ということはPART Iだろうか。

iichiko.co.jp/design/library/?

自分の書き癖にいちばん合っている筆記具はパイロットのスーパープチ(細字)で、そういえばこれってどれくらいインクがあるんだろうと気になり、新しくおろした1本を書けなくなるまで使い続けることにした。

…以来2ヶ月、いつまでもインクが尽きなくてこわい。
いったん線が細くなって、そろそろ終わりか…?と思ってからもえんえん書けている。キャップをはめるたびに回復してるんじゃないか。

pilot.co.jp/products/pen/sign_

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手書きの機会が減ることで漢字が書けなくなるという変化はいまだに自覚できるほどは起きてないんだけど(いま書けない漢字はもとから習得し損ねていた)、この2年くらいで急激に「字が下手になっている」のはありありと感じており、これには自分でがっかりした。それでノートを買ったり、抵抗を試みているところ。

帰宅して10分後からどしゃ降りが始まり、こういうこと(間に合った)は珍しい。

ブログを書いた。「序」を読んだし本篇にも入った。今回の進捗は7/283ページです。

(32)ホーソーン「七破風の屋敷」を読んでみる [1]
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これまで未体験だった銘柄の米を炊飯器にセットした。つきあかり、ちょっと粒が大きい。

ブログを書いた。ホーソーン「七破風の屋敷」を読んでみる気になったけど、今回はまだ読み始めるに至らなかった。

(31)ホーソーン「七破風の屋敷」を読んでみる [0]:
outofthekitchen.blog47.fc2.com

ものすごく久しぶりに、パトレイバーの劇場版第3作「WXIII」(2001)を観た。これは公開時に映画館で観て以来ので2回め。 

・大きい話を小さくまとめて、でもあとから考えるとそんなに小さくない。すんごい面白いと思うんだけど、わたしが漫画版の廃棄物13号編を偏愛しているからというのもあるのかもしれない。
・漫画版を読んでない人にとっては、話のわかりやすさ/わかりにくさはいかほどのものか。13号がレイバーの装甲を着てるのについて言及は台詞ひとつだけ、それで登場人物も観てるわたしもあっさり受け入れるんだけど、映画から入る人はどう思うだろう。
・若い刑事は、後半になってから問題の女性に対していくらなんでもユルすぎる。関与が明らかになったことでそこまでショックを受けるには、そうなる前の接近が足りないんじゃないか。
・人間が2本の足で歩いているのに、滑るように動いて見える箇所がいくつかあった。むずかしいんだな。
・そういえば、今作ははじめて作中の時代を外の時代(公開の年)が追い抜いてしまったのか。公開から20年以上経ったことより、そっちのほうに感慨をおぼえる。

(続き) 

・でも遊馬と野明は、髪の色がわからない場面だと見分けにくい気がした。わざとだろうか、わたしだけだろうか。
・この2人の台詞を合計した量の5倍くらい喋り続ける荒川の声を竹中直人にしたのがかえすがえすも見事。不思議と聞いていられる語り口。状況が気持悪いくらいスルスル進むのと似てる。
・携帯電話を発展させるのではなく、それを飛び越えた車載電話が出てくるのが面白い。近未来のテクノロジーはそれだけで見どころ。
・おばあちゃんのやっている煙草屋の赤電話を自衛隊員が借りる、というのはほかの何かでも見たおぼえがある気がするが、それこそ、この映画だったのかもしれない。何もかもあやふや。
・“雪が降ってない日の蹶起”も見てみたい気がする。でも思い浮かべようとすると難しい。こんなことでも想像力が規定されちゃっているのか。

・これはいいものを読んだ。
ameblo.jp/yoshiko-sakakibara/e

はてブのコメント、「世界一の南雲しのぶガチ勢、榊原良子」。

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ものすごく久しぶりに、パトレイバーの劇場版第2作(1993)を観た。始まり方と終わり方以外、ほとんど忘れていた。今回が2回めだった? てことは高校以来? 

最後にヘリの中で松井刑事がぶつける台詞はおぼえていたのに、そこまでも体を張ってがんばるのを忘れていた。がんばりすぎていた。
「状況」はレーダー上の戦闘機から始まると思い込んでおり、レインボーブリッジのくだりがまるまる記憶になかった。1993年にレインボーブリッジってあった?(作中は2002年)と調べると、1993年8月開通だそうで、そういう使い方はさすが。

1作めに比べると段違いに、キャラクターの顔が全編を通して安定している。場面場面で南雲さんの顔がブレていたら、この話は成立しないだろう。ブレる作品とブレない作品では何がどう違うのかしら。力のあるスタッフを充分な数あつめるのに必要なもの、予算以外に何かあってほしい。

ものすごく久しぶりに、パトレイバーの劇場版第1作(1989)を観た。 何度か観てるのにたいしておぼえておらず、途中から「そうだったそうだった」と追いつく感覚があるせいか、観るたびに面白さが増す気がする。 

前半で帆場の足跡をたどって古い東京がたくさん映るのはおぼえていたものの、だったら当然、その捜査をしている刑事ふたりの姿も丁寧に描かれるに決まっているのに、そっちは(なぜか)忘れていた。
刑事ががんばるということでは『WXIII』の印象が強く、あれ以降の関連作は観ていないので、パトレイバーの映画は「刑事ががんばる」と「刑事ががんばる」で輪が閉じる感じになった。

・アメリカに行っているシバシゲオの帰国が、重大イベントして待たれているのがいい。
・そして帰国したシバが大活躍する(渡米前からしている)のがさらにいい。
・野明が暴走の件を立ち聞きしていたのをあとになって遊馬が確かめるくだり、ちょっとまどろっこしくない? トマトを落としておいたんだからそれで充分だと思う。
・押井守には「帆場は実在しなかった」案があったと聞くが、周囲がやめさせてくれて本当によかった。

《地上は生きていくための場所で、嫌なものを見たり、嫌なものを聴いたり、嫌な臭いを嗅いだりもしなくちゃいけない。やれやれ! いわば死んだ河馬の臭いを嗅ぎながら、その毒気にやられないよう気をつけなくちゃいけないわけだ。ということで、わかるだろう。そこで力が必要になるし、腐った肉を埋めるための人目につかない穴を掘れるという自信が必要になる――身を捧げて尽くす力が。自分のためじゃなく、世に知られることない骨折り仕事のための献身。これは充分に難しい。》
コンラッド『闇の奥』(黒原敏行訳、光文社古典新訳文庫)p.122

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