午前中から神戸まで出ていき、関西に住んでる友達4人と集まってぐだぐだごはんを食べ、三宮のダンジョンっぽい地下を方向感覚ゼロのままフラフラさまよい、喫茶店で熱すぎるココアをすすりながらまたぐだぐだして、最後にジュンク堂に寄り東京の友達が出した本を買って帰った。
岡山では見かけない人の波に当てられたのか、帰りの電車ではほぼ寝ていた。帰宅は21時半。
「夢みたい」とはこういう日のことかと思った。

(余波)
LINEの履歴が、この2週間くらいのあいだにやりとりしていた人とのトークはそのまま過去の分もすべて残っており、そうでない人とのものは3年分がごそっと消えていることにようやく気がついた。
その状態で自動バックアップされているので復元できなさそう。もう会わないだろう相手との最後の会話が繰り上がったり、そもそもいちども会話していないかのようになったり。
やはり確かな記録は石に刻むしかない…

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水曜(2024/12/11)放送のアトロク2、「AI vs.人類 再び! つまらなイイ話 ファイナル・レコニング!」を正座して聞いた。 

とくにテーマがあるわけではない投稿コーナーへのお便りを読み、それが人間が書いたものかAIに書かせたものかを判定するブレードランナー企画の続編。
まずradikoで全編を聞いてから、YouTubeの映像と同期させてもう一度通して聞いた。

さすがに「AIがこれを書いた」に対して前回ほどのおどろきはない(もうこれくらい書けるんだろうと踏んで聞いている)ものの、宇多丸&宇内アナ&古川の三氏が繰り広げるやりとりはますます白熱。

「すげえなこの人」「いまゾクッとしたもん」
「どうですか、この挑発文は」
「人間はダサい」
「1/f ゆらぎ」
「ただ単に人間が書いてちょっと内容のセンスが無いのか」
「所詮はAIね、『シビル・ウォー』観てないんよ」
「むしろこのクオリティはもはや書けなそう」
「AIがあることで雇用が生み出されることを実感しました」
「特急は半分新幹線みたいなもん」
「やっちゃいなよ」「さっきそれで間違ったからね」
「この温かみ・ユーモア」

iPhoneをiTunesにつないでアップデートしようとするという愚を犯したばっかりにiPhoneが仮死状態になり、蘇生させるために(中略)(中略)iTunesをインストールし直してから(中略)(中略)(中略)した末に、わたしのiPhoneは2021年10月半ばの状態で生き返った。なんだこの数時間。
晩ごはんを食べ損ねたが、虚無で胸がいっぱいになり空腹を感じない。

きのう、戒厳令を解除する決議が出るまでは起きていたんだけど、やはり「なにがどうなってるの…?」と動揺していたらしく、そのあと歯を磨く際にフロスを必要以上に長く出して切ってしまい、無駄にした。

このことは書いておくべきと思ったが、オフラインの日記になのかSNSになのかは丸一日近く経っても判断がつかない(ので、両方に書いた)。

高橋源一郎のラジオ番組で谷川俊太郎の追悼企画があり、よかった。

nhk.or.jp/radio/player/ondeman

本人の詩で本人を追悼できてしまう、とまとめていいのかどうか。

《死は未知のもので
未知のものには細部がない
というところが詩に似ている
死も詩も生を要約しがちだが
生き残った者どもは要約よりも
ますます謎めく細部を喜ぶ》
(「父の死」、『世間知ラズ』)

おかやま表町ブックストリートというイベントがあって、一般参加者の一箱古本市(多数)と古本屋の古本市(少し)とがアーケード街に一直線でえんえん並んでいた。 

予想していた倍以上の店の数だし、値段もやたらと安いものが多く、30冊くらい買ってしまった……と思ったが、帰って数えたら18冊だった(人間の小ささ)。

・出かける前に「中公文庫で1巻本の『細雪』があったら買おう」と、それだけぼんやり決めていた。すると本当にあったので笑った。今後はもっといろいろ決めておくべき。
・1メートル四方のスペースにドナルド・バーセルミの単行本を3冊置いている方がいて、『死父』の新装版がうちにあるやつよりずっと美本で値段も手頃、一瞬心が動いたものの、ほかの人に回ったほうがいいと考え直した。回ってくれ。
・ハードカバー版の青木淳悟『四十日と四十夜のメルヘン』を400円で売っていた古本屋の方に、別の本を会計してもらうとき「こっちの本はこれから必ず引く手あまたになります、信じてくれ」と申し上げようか迷った(申し上げなかった)。
・会場すべてを通して、谷川俊太郎の本がたくさん。このタイミングだからなのか、そもそも本が多いからなのか、といったら両方だろう。

「貧弱だが健康」の旗を下ろしたくないんだけどな…

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半年くらい前にひどいめまいを起こし、「良性発作性頭位めまい症」と診断された。耳の奥の石が所定の位置から外れると起きるやつ。自然治癒するが、そうなるまではちょっと頭を動かすだけでも視界が流れてたいへん気持悪い。
(耳鼻科に行ったのは治まってからで、「治まったのは石が戻ったからであり、もうなにもやることはない」と言われた)

今日の午前中に再びそれが起こり、机に突っ伏してこらえているだけで半日が過ぎた(ベッドで横になると悪化する)。移動は膝立ちでいざり歩く。家から出られず、はじめて図書館の返却期限を守れなかった。猫のゴハンを2回出して2回片付けたのはほめられてよいと思う。

ところで、岡山駅の周辺は夕方にムクドリが大量に集合して群れ飛ぶことがよくあり、なぜか今日はけっこう離れたうちのほうまで飛んできた。ギャアギャアいう鳴き声がしばらく続き、猫はみんな窓にかぶりつきだった。
そのときは気持が悪すぎて気付かなかったことに、ようやく体調の戻りつつあるいま思い至ったので、今日という日の日記としてこれだけは書き留めておく:

「「めまい」のうえに「鳥」…?」

瀬戸大橋上でマリンライナーが6時間立ち往生した件、それは大変でしたね…という気持とともに、自分もいつか遭遇したい気持がある。
だからやはり荷物から本は減らせない。

【日記】げんなりして、まだ買うつもりではなかった本をe-honで注文した。みんなもやるといい(かどうかはわからない)。

「灯台へ」大澤實訳

『世界文学大系』第57 (ジョイス・ウルフ・エリオット),筑摩書房,1960. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/pid/1335761 (参照 2024-10-24)

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こういうお知らせに疎くなったために本屋でおどろくことができてよかった、という以上に、2年前なら難なく流れ込んできたのにいまではボロボロ取りこぼしている情報のほうがずっと多いんだろうと思うとややゾッとする(「やや」に留まるのは、取りこぼしたものには「取りこぼしている」と気付けないから)。
ところで河出文庫じゃなくて新潮文庫なんですね。

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つね日ごろ「ああ、河出の世界文学全集から鴻巣訳のウルフ『灯台へ』を抜き出して文庫にしてくれないものだろうか、『オン・ザ・ロード』みたいにさ」と思いながら生活している人間なので、今日本屋に寄ったとき、平台に「灯台へ ヴァージニア・ウルフ 鴻巣友季子訳」と書かれた表紙の文庫が置いてあるのを見て夢かと疑った。夢かと疑った本は買わないといけない。買った。しかしこれは夢じゃないだろうか。

我妻俊樹「鏡の人生」(2019)
57577.hatenadiary.com/entry/20

《映画「カリガリ博士」は1920年の制作。つまり「カリガリ博士」がつくられてから私が誕生するまでよりも、私が誕生してから現在までに経った時間のほうがすでに長い。

そう気づいたとき、私は何かカリガリ博士に「追いついた」ように感じたのだが、[…]》

これ、わたしも「自分の誕生年を起点にしていまの年齢ぶんさかのぼると、思いのほか“過去”になるのでびっくり」という話をたびたび人にしており(そして「それは単なる数字の操作だから意味はないだろう」などと返事をされることが多かったのもあって)、「そうだよ、こういう感じだよ」と興奮して読んだが、それから「そうだよ、こういう感じだよ」と興奮してよい内容なのかしばらく考え込んだ。

煙草を喫ったほうがいい気がしてきた(喫わない)

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