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倉橋由美子の言葉を試訳。Just as people are not aware that numbers which they deal with in their daily lives have the plus sign, they are not aware of the sign of men, the sign of sex which the world assumes. (…)Women are being shut away in the world of minus, the antiworld inside our world. --Yumiko Kurahashi

In some science fiction stories, women are no different from dolls, only props serving the narrative itself. In a specific sub-genre of science fiction called gender SF, by contrast,  writers clearly aim to make the reader reconsider gender bias that  people in the modern society have. The genre of science fiction as a whole would be described generous in that sense―precisely opposite attitudes toward femaleness coexist together.

テッド・チャンが好意的に言及しているアニー・ディラード、ジョン・クロウリー、スティーブン・ピンカーなどはみな自分にとっては現代アメリカで気になる書き手なのですが、アニー・ディラードの著作、心から訳されてほしい。レベッカ・ソルニットを読むまでもなく、小説だけが文学ではない。

forbesjapan.com/articles/detai
アイヌ文化紹介Youtuberの関根摩耶へのインタビューより。

「例えば、子どもが水をこぼした時、日本語では単に叱ったり、「あらあら」と思うだけでしょうが、アイヌ語だと「そこに水が飲みたい神様がいたんだね」と表現するんです。あらゆる事象を人間ではなく神の意思だと考える価値観が表れています。

狩猟にしても、日本語では「動物を矢で射る」と表現しますが、アイヌ語では「正しい人間には動物側から矢に当たる」と表現します。アイヌの考え方では、神と人間は対等かつ取引関係にあると考えられています。神は神の世界では人間と同じ姿をしていて、人間界に来るときに毛皮などのお土産を持ってやってくる。そして正しい人間のもとに(矢に当たる)ことで行き、そこで盛大にもてなされて人間からもらったプレゼントをもって神の世界に帰る。というような物々交換と考えられています。」

fnsugar.co.jp/essay/nishie/25
言語学・文化人類学者の西江雅之による、「エスニック料理」についての目から鱗が何枚も落ちるようなエッセイ。以前から自分は、「エスニック料理」という言葉がなにを指すのかよくわからなくて、ときには次のような現象と相同なのかも確信が持てずにいた。たとえば、リスナーが少ない、あるいは地理的に小さい国の音楽がときに十把一絡げに「ワールドミュージック」とくくられるとか、大きい書店でフランス文学やアメリカ文学の棚はあっても、東南アジアや東欧の文学はまとめて「その他の国々」でひとつの四角形におさまっていることもあるとか。「エスニック料理」は日本より寒い地域の料理を指すのには一般的に用いられない、と示唆されていてうならされた。

国際交流基金の図書館で知ったこと。日本文学のスペイン語訳は、少なくとも2007年までは、英語からの重訳が多い。ただし具体的な数や、2010年代以降のデータはきょうは見つけられなかった。

『日仏翻訳交流の過去と未来』(大修館書店、2014)のパトリック・オノレの文章によると、フランス出版界では、2007年以降、日本語が英語に次いで翻訳点数二位の言語になっている。マンガの寄与が多いそうだけど、ドイツ語やスペイン語よりも上とは。

ある日本人作家が「国際的評価をかちえている」と紹介されるときに、1.全米図書賞および国際ブッカー賞の候補作になっている+2.世界〇ヶ国語に訳されている という形式になっていることがここ数年多いような気がする。あるいは、増えるかもしれない。ただ、これだと英語圏中心の価値観であることは否めないのでは。

@biotit 図書館で申し訳ないのですが、學鐙の『サイボーグになる』の書評、拝見しました。克服すべきものとは別の、手話文化が「ある」と紹介されている点や、ふたりの著者を「徹底して謙虚」としている点など、自分が本を読んで面白く感じた箇所が書かれてるな、と感じました。やはりいつか誰かとじっくり話し合いたい本ではあります。

「ユリイカ」の「ワールド・カルチュアマップ」っていつからいつまで続いたんだろう。90年代に未訳として紹介されて、10年代に話題を呼んだ作品って、ちょこちょこあるんですよー。いまの文芸誌にももっとこういうコーナーがほしい。

ジュディス・メリルの『SFに何ができるか』日本版あとがき、「日本語は手と眼で考える」って原文はどうなっているんだろう。

安原顕って「海」の創刊から終刊まで編集に関わっていたのだろうか。「マリ・クレール」にはいつからいつまで編集として携わっていたのだろうか。ご存じの方いましたら教えていただけると。

好きな恋愛もの(きょうの気分)
アナイス・ニン 読んだことのある小説、書簡、日記すべて
蓮實重彦『反=日本語論』
坂崎千春『片思いさん』
矢川澄子『おにいちゃん』
森雅之『追伸』
(映画)「サンライズ」(ムルナウ)
(映画)「Before Sunrise」
別枠 ラッセル・ホーバン『ボアズ=ヤキンのライオン』

広尾駅そばの高級めスーパー、National Azabuは海外の輸入食材が圧倒的な品揃えで行ってみて楽しかったです。イランのスープであるアーシュとか、ガーリックオイルサーディンとか、名物のフレッシュピーナッツバターとかいろいろ購入。

注文していた『作家ガイド アナイス・ニン』(彩流社)を書店に取りに行く。原文でこそより味わえる息遣い、同時代の作家との交流、まだまだ残っている未訳の日記。そうしたすべてを孕み、一生を捧げるに足る作家であるという予感に胸が高鳴る。

文芸誌「ことばと」vol.2より、岡田利規「THE VACUUM CLEANER」。恥ずかしながら著者の作品にふれるのは初で、演劇分野の才能をこれまで追おうとしてこなかったことを深く後悔させられるような先鋭的な作品。感想を書く時間のない傑作が堆積していく……。

最新のSFマガジンに「孤独の治療法」が掲載されているM・ショウがSNSにいたのでつたない英語で感想を伝えたら、翌日にリプライが返ってきた。ウェブジン隆盛の時代、emerging writerや単著がない作家(ウソ、ある作家でも!)に感想を送ると高い確率でお返事が返ってくる気がしますね…。

そして、ウェブ空間であるからこそ、こうしたことにわざわざ言及すると、「ひけらかし」にも聞こえるかもしれない。ただ、作家にとっては、母国語の外に読者がいると知ることは励みにもなりうる。

1年くらい前までは、感染症で海外に行きづらい時代では「作品のレビューをするための表現に特化した英作文参考書」が出ればいいなあと本気で思っていた。Goodreadsみたいなサイトをかならずしも支持するわけじゃないけど、外国語は、受験やスコアゲームのためだけのものではないはずだから。

@mshaw Hi, I'm Japanese, and read your The Cure for Loneliness in translation with great interest. I felt this story shows us how ambiguous the borderline between rational and mad can be in the specific, extreme situation. It seems to be far beyond a mere horror short story, but a poignant and insightful fiction in our time.

@ayatoyuuki 「ことばと」に掲載された「唯一無二」、「ユリイカ」特集:現代語の世界のエッセイ、双方興味深く拝読しました。とくに後者は、不可避的な変化を蒙った現代文化の一断面について、切実な声でもって語られているような気がしました。

秋草俊一郎『世界文学はつくられる』の最終章でいつか読書会をやってみたい…。言語教育に関わるという点で、清水良典ほか編『高校生のための文章読本』や「ユリイカ」理想の教科書特集とも接続しうる気がしています。

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