千葉文夫『ファントマ幻想』(青土社、1998)より、「パリのキューバ人 アレッホ・カルペンチェール」。長年読みたい!と思っていた、11年に及ぶカルペンティエールのパリ時代について扱った論考(著者は自分の熱愛の作家、マルセル・シュオッブの全集の翻訳家でもある)。カルペンティエールがカフェ「ドゥマゴ」の常連だったとか父親がパブロ・カザルスに師事していたといった事実も知らなかったし、フランスの芸術家達との交友、浩瀚な音楽批評の書の話まで興味深い点は尽きない。
ちょっとおやと思ったのが、自分が大学1年のときに比較文化論の授業を取っていた先生が、同じくカルペンティエールのパリ時代についてすぐれた文章を書いていると紹介されていたこと(「現代思想臨時増刊 総特集ラテンアメリカ」に所収)。残念ながら、ゴンブロヴィッチやバーセルミならともかく、18才のときにはまだカルペンティエールは読んでいなかったなあ。エネルギッシュな印象の先生で、僕の知り合いではあるけど、と前置きしたうえで、管啓次郎の本は良い、なんて教壇で熱く語っていたのを思い出す。
@biotit 川村記念美術館も国立歴史民俗博物館も両方とも好きです。マーク・ロスコやジェームズ・タレルの現物は川村記念美術館ではじめて見ました~。
稲垣足穂が現代のマンガ家たちにもたらしたもの(思案中)
白山宣之…『10月のプラネタリウム』では足穂作品に想を得た作品が収録、呉智英も『マンガ狂につける薬』シリーズで指摘
伊藤重夫…神戸という舞台、コマ間の飛躍。『ダイヤモンド・因数猫分解』では作家、稲垣足穂そのひとが登場する作品も
鈴木翁二…「白昼見」など自伝的要素のある小説とも共振する作品が多いか
中野シズカ『刺星』…「SIGHT」における南信長と枡野浩一の対談で稲垣足穂との比較が話題になっている
倉多江美『一万十秒物語』…これは想像力の質というよりタイトルと超短篇集的な形式面か
鴨沢祐仁
イタガキノブオ
鳩山郁子
ほか、SNSでshigeyukiさんに教えていただいた、たむらしげるについては未読。
ル=グィンの小さな創作指南書、Steering the Craftで前提となっている考え方というのは、大海に漂う魔法のボートを乗組員が操舵するように、作家は自分の技術をきびしくコントロールすべきであるということだ。ただでさえ船体は波で揺動してやまないのに、手が少しでもくるえば、難破はまぬかれない。逆に、驚嘆すべき技芸の粋でもって船を統御することができれば、そんな場所があるとは読者が想像さえしたことのない入り江へと導いてゆくことができる。
太宰治「駆け込み訴え」や三島由紀夫「中世」が好きになれないのは、みなぎる文圧が確かに感じられながらも、そこに宿る切迫感、弓を絞るよりも自己の執念の礫(つぶて)を直接叩きつけるようないわばコントロールが効いていない感触が苦手だからだろうか。しかし、自己のオブセッションを「なま」のまま造形する作家、悲惨あるいは不器用な生を送った作家の作品でも好きなものは無数にあるから、小説のゆたかさに期待するためにはprincipleから出発するべきではないのかもしれない。
『最後のユニコーン』の新版が出るそうですが、ビーグルが「くやしい。ぼくは本書のような物語を書きたかったのだ」と最大級の賛辞を寄せた『ボアズ=ヤキンのライオン』もいつか新訳が出てほしいです。
というのは、ユニコーンの物語とライオンの物語は、双子の兄弟のようなというか、片方の作品がもう片方の作品の補助線として読めるような、不思議な関係性をたたえているようにみえるからです。
※コメントの原文は、“I wish I'd written it. It's one of a kind, and those are the only sort of books that mean anything to me.”
本好き、旅行好き。 海外詩/翻訳文化論/日本文学普及/社会言語学etc.文章のアップはSNSよりも主にブログのほうで行っています。よろしくお願いします。https://air-tale.hateblo.jp/