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『レイジング・ブル』(1980)を観た。

 ロリコン、束縛、DV、モラハラ、猜疑心の塊…のボクサー。この文字列だけでもう最悪。
 今でこそ、俳優が役作りのために●●kg増量・減量!というニュースは珍しくないが、もしかしてそういうアプローチはデ・ニーロが初めてだった…のか?
 ボクシング、あれ、ほんとに殴られてるんじゃないかと、、、どこまでがお芝居なのか全然分からない。
 精神病んでるレベルで「妻が浮気している」という妄執にとらわれてる様子、ほんとうに怖い。妻を問い詰めるあの感じは、モラハラ夫そのもの。妻もさっさと逃げればいいのに、なぜすぐに引き留めに応じてしまうのか…いや、それが共依存というヤツか。恐ろしい。
 実刑くらって、壁を殴り号泣するも、自分の何が悪かったのか全く分かっておらず、ただただ惨め。最終的にあれはどういう仕事なのか…歌手?司会?しがない生活で、やはり何を悔い改めたわけでもなさそうな、ダメなやつっぽさがほんとうにリアルだった。
 ジョー・ペシがものすごくいい。良心的な弟が唯一の救い。『グッドフェローズ』の10年前だというのに、(最後のあたり)なぜあんな老け顔ができるのだろう???
  





 ものすごく大事な記事。

 「笑っていい対象」記号化する女性差別 名誉毀損の壁と闘う弁護士 mainichi.jp/articles/20230619/

 女性(性の平等を求めたり性暴力の根絶を訴える女性)ばかりが攻撃される構造についての説明、とても重要。

<杉田議員の言う「科研費の闇」のように、フェミニストや女性支援の活動などは、何か巨大な権益を牛耳っている敵であるかのように仕立て上げられます。現実のマジョリティーとマイノリティーを反転させ、攻撃側は「巨悪を暴くんだ」「自分がたった一人でそれに立ち向かっている」という立場を取る。本当にフェミニストがそんなに強力であれば、こんな性差別的な社会になっていないはずですが、そういう矛盾は完全に無視されます。>



 アーミッシュのようなコンミューン。時代劇のような光景なのに、突如ポップな“daydream believer”が鳴り響き、2010年だと知る衝撃の演出。
 保守的なキリスト教のコミュニティはもちろん、どの宗教団体でもあり得る「教義の歪み」。男性中心社会が教義を歪ませ、女性信者をがんじがらめにして自由と尊厳を奪う。
 たいていの人が男性と神へのおそれゆえ口を閉じ、耐えるしかないと選択してしまうところ、作品中の女性たちは、そうはしなかったのが、ほんとうによかった。
 子どもの安全を守ることが許されないなら、地獄の火で焼かれてもいい、と叫ぶサロメの言葉に落涙。
 夫の暴力に耐えろと説得し続けた母親が、娘にきちんと謝罪したのも、よかった。
 最後の最後、「赦す」選択をして残った母は、娘たちを「逃がした」。フランシス・マクドーマンドは表情一つ変えずに、たたずまいで私を泣かせる。天才。
 男子をどうすればいい?という問いに、13歳にもなったら基本的にはもうホモソに染まりつつあるけれど、教育次第で非暴力な人間に育つことも可能だ(大意)という回答が、『これからの男の子たちへ』に通じるものがあって、よかった。書記役の彼は、あの後どうなったのか…。





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 『ウーマン・トーキング』を観た。

 涙が止まらなかった。
 読み書きできず、学ぶ機会を奪われている女性たち。
 そこでは女性たちは、もっぱら男性をケアするためだけに生きている存在、におとしめられている。
 そんな女性たちが、女性たちだけで話し合い、人生を自分の意思で選び取っていく光景が、力強い。
 私の身体は、私のものだ。
 だれにも傷つけられてはいけない存在だ。
 安心して暮らしていく権利があるはずだ。
 基礎知識がなくとも、肌感覚と直感で、確信をつかむ。
 そこへ阻むのが、「罪を赦さないと天国へ行けないのでは」という信仰の壁。
 たしかにイエズスは何度も「赦しなさい」という。
 でもその教えは、「ひどいことされても無条件に許しなさい」というメッセージなのだろうか?と彼女たちは疑問を吐露し、議論する。
 加害者の真摯な謝罪・贖罪があれば「赦す」気にもなれるけれど、それがないまま被害者に「赦せ」と迫ることは、「罪を犯したもん勝ち」と何が違うのか。強制される、自由意思ではない「赦し」は果たして、イエズスのいう「赦し」なのだろうか。(続)





「哲学カフェ」が『LGBTQと利権』などというお題を設定していたとこについて。

note.com/noisy_minority/n/n0a0
〈「LGBTQ」と「利権」を並列させることの暴力性について「普段は疑問に思わない」で暮らせる特権的な立場の人たちが集まって、私たちのことについて一体何を話し合おうというのか。無知と偏見を増幅し合い、満足しあって帰るつもりなのか。そんなもんは哲学的な実践の現場でもなんでもない、たんなるヘイト集会である。〉



(続)
 大きな葉巻がものすごく印象的。最後にそれをそう使うための小道具だったのか。
弁護士の不倫(ではないけど不倫しそうな)相手、あまりにもかわいそうで痛そう、この大きい目は忘れない、たしか『グッドフェローズ』で誰かの奥さん役で出ていた。
 ジュリエット・ルイスがいかにもな女子高生だった。私は特に好きだと思ったことはないのだけれど、90年代前半の彼女の人気はものすごかったことを覚えている。変わった映画にばかり出ていたような。
 家政婦に扮して。返り血を浴びながらボディーガードを殺すシーンに絶叫してしまった。。。
 しかも車の下!!
 もう、どうあがいても逃げることはできない、と、絶望した。お面つけてないジェイソンのような。



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『ケープ・フィアー』(1991年) 怖かった。。。

 マフィア役のデ・ニーロを見なさすぎているせいで、こういう猟奇的なデ・ニーロを新鮮に感じるが、心底怖かった。。。すごい肉体改造だし。
 狙われる弁護士にぜんぜん同情できないところがまた。弁護士のくせに殺し屋を雇ったり脅迫したり、なんなのこいつ。どっかで見たことあると思ったらロレンツォのオイルのお父さんだった。圧倒的にデ・ニーロの方が頭が良い。ただ、デ・ニーロが恨んでいる点が、ほんとうにそこまで恨む筋合いのある話なのかどうかがよく分からず。16歳の少女を強姦するようなヤツの弁護なんかできるか、って国選弁護を辞任(?そんな理由で辞任できる制度なのかどうか分からないけれど)したからといって、それが直接の原因となってデ・ニーロの刑期が重くなったというわけでもないだろうに。あと終盤で、被害者の少女が多数の異性関係を持っていたことを証拠申請しなかったことを恨んでいる旨のセリフがあったけど、それが証拠採用されたところでやっぱり彼の刑期に影響はないでしょうに…
(続)
 


うわ、すごい示唆に富む…というか、「そんな感じのこと思ってた!!」。

「人には『悪いことをした人を罰したい、苦しめたい』という処罰感情の充足に対する生来的な欲求が存在しているというのです。」
nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/47

 すべての親、すべての教師が、これ自戒を込めて考えるべきだと思う。
 子ども(生徒)を叱っているうちに、問い詰めて、追い詰めて、「子どもがどう言っても同じ言葉でひたすら責め続ける」シチュエーションがある。そういうのを見るたびに、いつまでこれ続けるんだろう、一体この親・教師は子どもがどう言えば満足なんだろう、一体この親・教師は何をゴールにして叱ってるんだろう、と途方に暮れることがある。たいてい、叱られ続けてる子どもも途方に暮れている。
 親・教師が、自己満足目的で叱ってるんだよね、そういうの。自分がスカっとするまで叱る。自分が満足するまで叱る。つまり叱責依存症。
 虐待になるからほんと自覚すべきだ。


 デ・ニーロが、アカデミー賞、主演も助演も1回しか獲ってないことに気づいた。信じられない。アカデミー賞の人たち、節穴すぎる。

流言認める文書、政府保管 関東大震災で朝鮮人巡り
47news.jp/9461553.html?fbclid=

 福島みずほさんの上げた成果。
 ヘイトスピーチがジェノサイドを招いた歴史的事実。国は責任を認めるべし。

 
 
 

いまだに、ヘイトスピーチや差別、性搾取の問題を提示するたびに「表現の自由」「表現の自由」「表現の自由」…って、そこから一歩も出ずにそればっか言う左翼の活動家、法律家、いっぱいいる。
 ほんと勉強してほしい。芦部憲法から一歩もアップデートしようとしない怠慢さを悔い改めてほしい。
 表現の自由、大事に決まってんだろ。知ってるよ。
 ヘイトスピーチが表現規制だという主張は20年時代遅れだと自覚してほしい。
 そして、あらゆる人権が「表現の自由より劣後する」という発想も捨てるべき。そもそも芦部先生はそんなこと言ってないし、二択の問題ではないし、「誹謗中傷する自由」「女性を性搾取のための奴隷扱いするポルノをまきちらす自由」もない。そういうのをぜんぶ「表現の自由」だと思ってる時点でそいつの人権感覚はゼロに等しい(いや、マイナスだな)。




壮絶な被爆体験を語った「吉野さん」。
 吉野さんの体験談をめぐる「謎」を、録音者(著者)がどれだけ暴いていいのか逡巡する箇所は、とても重要だし、なんて慧眼なんだろうと思う。「被爆者が語る」ことの本質は何なのか。

「被爆者が事実をかくしたり、事実をかえて語ったりすることがあったとしても、その責任は第一に私たちのこの作業の方法が負わなければならないでしょう。そして第二に、そうしなければならなく被爆者にさせている、社会の条件に私たちは注目しなければならないでしょう。第三にそのことと、その人が被爆したこととの関係に、深い関心をいだかねばならないでしょう。被爆者が事実をかくしたりいつわったりすることがあるとしても、その事実を追求したり、あばいたりする権利は、だれにもないでしょう。」

 「吉野さん」という人物が、この時代を生き、こう語った、という事実が、「核兵器がもたらしたもの」の一つなのだと受け止めるべきなのでは。被爆者の話は信用できない、という類いの話では、まったく、無い。ウラのとれない話は信用できない、などというちっぽけな話では、まったく、無い。

 著者の業績は、もっともっと高く評価されてしかるべきだと思う。もっとたくさんの人に読んでもらいたい。




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伊藤明彦 著
 『未来からの遺言 ある被爆体験者の伝記』(岩波現代文庫)

 胸をえぐられるような被爆体験の話に、まず涙が止まらない。
 そして急に、ミステリー小説のような展開。
 著者の「被爆体験談の録音」にかける意思の強さに鳥肌が立つ。せっかくだから録音しようか…どころの話ではない。「平穏な安定した生活」を文字通り投げうって、命を削るように全国各地の被爆者を尋ねてまわって、オープンリール950本分の録音を遂げる。しかも編集したテープを全国各地の施設に寄贈する。これをほぼ独力でやりとげるなんて。。。被爆者からの厳しい拒絶にあいながら、孤独、悲観にさいなまれながらも続けた心のさざ波が綴られるくだりは、しゃくりあげながら読んだ。

「友人から自分の生活を気違沙汰だと評されたとき、それが多少の畏怖の気持をこめた言葉であることを承知しながらも平凡な生活者の言葉が持つその重さに、どれほどおびえを感じたでしょうか。」
「気違沙汰か、そうかもしれない。しかしあれだけの数の人々を殺されながら、わずか三〇年しかたっていないのに、彼らのことをたいして思い出すこともなく送っている日々のほうが、いっそう気違沙汰ではないか。」


 
 

 
「女性の安全がトランスジェンダーの権利擁護によって脅かされるかのような言説は、トランスジェンダーの生命や健康にとって極めて危険なものになりかねません。実際にトランスジェンダー当事者への殺害予告が寄せられる事態にまで発展しています。また、性別違和を抱える子どもたちに居場所を提供する活動に困難が生じています。
 わたしたちはフェミニストとして、女性の不安を煽る言説が拡散している状況を深く憂慮し、フェミニストのあいだでもそのような動きがあることを懸念します。女性の安全と権利を求めてきたフェミニズムは、シス女性だけの安全を求めるものではありません。」
wan.or.jp/article/show/10674?f




 なにも分かってない…。
 座長が元検事総長とか、ヤメ検を据えるあたり、ほんとなにも分かってない。世間のヤメ検への評価、どうかしてる。
 性暴力被害を専門に扱ってる弁護士、研究職、被害者支援団体の方をそろえるべきでしょうが、、、。「エラそうな肩書き持ってるすごそうな人」をそろえて『やってる感』演出。

news.yahoo.co.jp/articles/b4df

 

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