壮絶な被爆体験を語った「吉野さん」。
吉野さんの体験談をめぐる「謎」を、録音者(著者)がどれだけ暴いていいのか逡巡する箇所は、とても重要だし、なんて慧眼なんだろうと思う。「被爆者が語る」ことの本質は何なのか。
「被爆者が事実をかくしたり、事実をかえて語ったりすることがあったとしても、その責任は第一に私たちのこの作業の方法が負わなければならないでしょう。そして第二に、そうしなければならなく被爆者にさせている、社会の条件に私たちは注目しなければならないでしょう。第三にそのことと、その人が被爆したこととの関係に、深い関心をいだかねばならないでしょう。被爆者が事実をかくしたりいつわったりすることがあるとしても、その事実を追求したり、あばいたりする権利は、だれにもないでしょう。」
「吉野さん」という人物が、この時代を生き、こう語った、という事実が、「核兵器がもたらしたもの」の一つなのだと受け止めるべきなのでは。被爆者の話は信用できない、という類いの話では、まったく、無い。ウラのとれない話は信用できない、などというちっぽけな話では、まったく、無い。
著者の業績は、もっともっと高く評価されてしかるべきだと思う。もっとたくさんの人に読んでもらいたい。