知識というものは、互いに独立した知識が頭の中に一つずつ積み重なってだんだん増えていく、というようなものではない。知識は、他の知識と結びつき、その関係性のネットワークの中で初めて意味を持つ。
この点を素朴なレベルで考えるとしたら、知識というより、情報とかデータとか言った方がわかりやすいかもしれない。「110」という数列からなる情報は「警察に緊急連絡する際に使う電話番号」という情報とセットになって初めて意味を持つ。
個別の無意味な情報が有意味になるには、いくつかの情報を束にする必要がある。これをとりあえず知識と呼ぶことにする。さらに、知識と知識が結びつき、なんらかの認識をもたらす。そのようにして、私たちは自分の精神の中に知識のネットワークを作っていく。
知識がこのようなものだとすると、新たな知識を獲得する時、その知識がその人にもたらす新たな認識は、あらかじめその人が持っていた知識の量に依存することになる。単純に言えば、より多くの知識を持つ人は、新たな知識からより多くの気づきを得て、より多くの便益を得る。別様に言えば、知識の獲得という活動は、投入労力に対して収穫が逓増する性質を持つ。
“「国際組織の緊急介入が実現せず、医療支援が届かなければ、病院は集団墓地と化す」とサフィヤ医師は警告し、ガザ北部で使える救急車は一台もないと付け加えた”
CNN、「この状況の中、昨日の国連安保理ではガザ地区での停戦を求める決議案の採決がありアメリカの4度目の拒否権行使によってまたも否決された」ってちゃんと書きなさいよ💢
空爆で一晩に87人死亡、ガザの死者合計4万4000人超 「病院が集団墓地に」(1/2)
https://www.cnn.co.jp/world/35226458.html
素晴らしいSNS戦略を駆使してクライアントを勝たせることを誇るのはそれはそれで構わないのだが、そのクライアントがパワハラを告発した人に圧力をかけて殺してるということに対してこれほど朗らかに無視できる神経というのはわたしにはわからんよ。
こちらの動画を見て編みました!編んでて楽しいレシピだった。動画主はとてもセンスが良く、かぎ針編みの編み目の可愛さをよく理解している人なんだろうなーと思った。
生活を放棄すれば丸2日で編めると思う。私は出勤しながらだったので、5日かかりました!
https://www.youtube.com/watch?si=WXi_nbKH19-c9j8C&v=1BZ5Zf-QWo4&feature=youtu.be
ペケでは斎藤元彦知事の公職選挙法違反のタグが拡散されている。広告会社に有料で選挙運動を依頼したことが公職選挙法に触れるのではないかという疑い。
(引用
【兵庫県警への通報のお願い】
㈱marchuの代表が斎藤知事の「選挙運動」のSNS戦略を委託されたと取られるブログを発信してます。
すぐ「削除した」ようですが、引用元には最初の魚拓がリンクされてます。この情報を元に兵庫県警に公職選挙法違反の通報をお願いします。
https://x.com/postmankaiji/status/1859613605190385972?s=12&t=CsjI4PVRYRhB2HsaZmgMqQ
"バーニー・サンダース上院議員氏は採決を前に開いた記者会見で、「きょうガザで起きていることは、言葉では言い表せない」と述べ、特にガザでの民間人の死者が数万人に及んでいる事態や建物とインフラの破壊に言及。
「さらに耐え難いのは、ガザで起きていることの多くが、米国の武器、米国人納税者の支援で行われていることだ」と批判した。"
米急進左派、イスラエルへの武器売却中止求める決議案提出 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News
https://www.afpbb.com/articles/-/3549814
「わかったら何か得なことあるの?」みたいな態度、マインドセットってわからないことに対する防御反応なんだよね。
それまでがいかに心理的安全性がない環境だったか想像してあげなきゃならないし、どうしてそういう環境になっちゃってるかも大人が考えて改善していかなきゃならない課題だと思う。
たとえば「明治」とか「昭和」とか言ったときに、そもそも現在とは社会構造が違うとか、だからそこに生きてる人の感覚も違うとか、その辺りの想像力もかなり危うい。「考えてもわからない」というより、「そういうことを考えようとしない、想像しようとしない」感じ。
総じて、「わからないことをわかりたい」という意欲に乏しい感じ。「わかったら何か得なことあるの?」みたいな。そうは言わないけど、そういう姿勢が体に染み付いてる。その一方で、マーケティングには簡単にのせられる。ある意味、ものすごくわかりやすい。
私が大学生の時にも、そういう奴はいたし、今の大学生でも、十分に知的好奇心の強い子はいる。ただ、そういうコスパ度外視の知的意欲への社会的評価は変わったように見える。「無駄」と考える人が増えたのかな。感覚的にそう思うだけだけど。
このところ少し宵っ張りなのですが、寝る前に朝に纏わるお話を少し。谷川俊太郎さんの訃報を知って最初に思い出したのは「朝のリレー」という詩でした。その詩が私の心に残っているのには、大きな理由があります。20代の頃にずっと、夕方に起きて午前遅くに寝るというブラックな生活をしていたのですが、日が短くなる秋冬には特に朝の訪れが待ち遠しかったんですね。何百回も繰り返し繰り返し、朝を待っていました。そうして、日が昇って光が差してくる度に少しホッとしたものでした。
そういった日々を送る中で、ある日、一枚の絵葉書をもらいました。空を背景に谷川俊太郎さんの「朝のリレー」の詩が綴られた絵葉書です。送り主からすると、暑中見舞いに何気なく選んだものだったのでしょうが、いつだって朝を待ち続けていた私にとっては、本当に大きな気付きになりました。世界のどこかに必ず朝が存在しているということが……自分で意識することも気付くことすらなかった情景が心に刻まれて、それが救いになったんですね。詩や物語が人の心を救うこと、言葉や文章が人の心を支えること……それを、身を以て知った瞬間でもありました。
谷川俊太郎さんでもう一つ、「アレクサンダとぜんまいねずみ」という絵本。これは「スイミー」で有名なレオ=レオニさん作の絵本ですが、訳者が谷川俊太郎さんです。外国語を訳すというのは、本当に途方もない作業です。映画の字幕一つでもそう、見知らぬ誰かに対してどんな風に言葉を使って伝えるのか、それを一番に考えないといけない。谷川さんの訳は、言葉のひとつひとつが優しさに満ちていると感じます。私には到底使えないであろう温かい言葉を、とてもわかりやすく使っている人なのだと思います。
そんな「アレクサンダとぜんまいねずみ」ですが、実は数年前に本屋さんで手に取って初めて読んだ絵本だったりします。大人になってからの方が遥かに胸に染みるし、色々と考えさせられる。そんなお話。小さい頃に何度も読んだ「スイミー」も好きだけど、「アレクサンダとぜんまいねずみ」は、幸福とは自由とは一体何なのだろう、とかそういうのを考えさせられる素敵なお話でした。
#雑談 #読書
映画と読書と漫ろ歩きを愛する氷河期世代