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4月16日、イスラエル政府とのGoogleクラウド12億ドルの契約に抗議するため、Googleの社員らが10時間に座り込んだ。9人が逮捕された。

翌日、Googleは28人を解雇した。抗議運動に参加しなかった社員も含まれていた。

運動を主導したグループ「No Tech For Apartheid」は、解雇は報復行為だと非難している。

No Tech For ApartheidのX(Twitter)ポスト。
twitter.com/NoTechApartheid/st

New York Timesによる報道。
nytimes.com/2024/04/18/technol

- 能力主義を盲信した結果が、経済的な二極化と不平等。このことで民主主義は弱まった。市民は怒り、無力感に陥っている。

- トランプは市民の怒りを利用した。それは民主主義を悪化させた。

- 勝者の成功は能力と努力のせいだけではなく、助けと幸運を伴う。勝者の謙遜が必要だ。弱者の失敗も、敗者だけのせいではない。

- 民主主義の危機を脱するには、米国の伝統である市民的共和主義自由概念が、制度と実践の両方で回復されなければならない。

感想:インタビュワーが専門家なので、サンデル教授の発言も密度が高くなっている印象を受けた。

能力主義の盲信、テクノクラシー、民主主義の危機、トランプ現象、公共善より形式と対立に向かす政治、これらの問題はすべて「つながっている」。その解決には人文学の成果が必要だとサンデル教授は考えている。現代の諸問題への議論を踏まえた結論といえる。

私は個人的に、サンデル教授の考えを「世界に蔓延する覇権主義・虚無主義・現実主義・能力主義の行き過ぎに対抗しようとする、新しい啓蒙主義」の一派と位置づけています。

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マイケル・サンデルに、哲学者キム・ソンウクが聞くインタビュー記事。印象的な部分を記す。
japanese.joins.com/JArticle/31
japanese.joins.com/JArticle/31

- 公共善について熟考することが本来の民主主義のあり方だ。現代の政治には熟考が抜け落ちている。その原因の一つが能力主義文化だ。

- 専門家が決定を下す技術官僚制(テクノクラシー)に陥ってはならない。共通善を念頭に、政治家が責任ある判断を下すことが必要だ。

- 政治家は市民、特に厳しい状況の人たちの話を共感を持って傾聴しなければならない。アリストテレスが語った実践的知恵と、ハンナ・アーレントが語った政治的判断力を備えなければならない。

- 大学はすべての学生に人文学を教えなければならない。文学・哲学・史学などと必ず接するようにすることは未来に向け絶対に必要だ。
(続く

本日の「『共同親権』導入を柱とした民法改正案 衆・法務委で可決」のニュースを見て考えた。

- 共同親権は日本の経済、国際的地位、国民の厚生のいずれの向上にも関係ない。なぜ自民党政権は推進するのか?

- それは、自民党支持層の一部(いわゆる「保守派」)が望んでいるため。また保守派以外の自民党支持層も反対まではしないと踏んでいるため。

- 背景として、多くの人々が共同親権の実態を知らない、もしくは推進派プロパガンダを鵜呑みにしている。

- 事実上、自民党を動かしているのは一部の保守派だ。ヘイト議員を切れないのもそのため。だが、共同親権を含め一部保守派が望む政策は人権への逆行であり、多数派の幸福に反する。警戒が必要だ。

The Informationの3/29付けスクープ記事によれば、MicrosoftとOpenAIは、現状の100倍以上の規模のデータセンター(あるいはスーパーコンピュータ)を数年以内に作る計画だ。

現状は5段階あるうちの「フェーズ3の途中」。フェーズ4では2026年メドにスーパーコンを作る。フェーズ5は、2028年を目標に現状の最大規模データセンターの100倍規模となる1000億ドルをかけ、数百万のチップを搭載したスーパーコンピュータ"Stargate"を作る。数MWと原発なみの電力源が必要。コストの大半はAIチップの入手に関わるもの。

感想:
誇大妄想か、AIバブルか、それともAGI(汎用人工知能)の萌芽か。一歩間違えると、産業ごとバブル崩壊だ。

元記事
theinformation.com/articles/mi

Reutersの記事
reuters.com/technology/microso

共同親権慎重派が「極左」なので「公安の協力で締め出せ」 とは、へそが茶を沸かす物言いだ。

DVで苦しむ家庭の現実を見ようとする発想も能力も持たず、空想上の「家庭は国家の基本」概念にしがみつくひとびと。

なぜ、自民党内の一部保守派がアンチ人権&家父長制強化に熱心なのか。

理由は、それが安倍政権の既定路線だったから。特にアンチ人権言説を唱えることで出世した議員は、今から路線を変える発想も能力も持たない。

改憲、男女共同参画骨抜き、同性婚への抵抗、LGBT法骨抜き、共同親権推進、ぜんぶ「アンチ人権」の流れだ。

そして、アンチ人権言説の源流は統一教会だ。統一教会系の論客は「人権を教えると、権利ばかり主張して家庭が/教室が崩壊する」と噴飯ものの理屈を堂々と唱える。そもそも教義がアンチ人権だからだ。

そして統一教会系の論客の特徴は、自分達と路線が違う相手を「共産主義」「文化マルクス主義」などと非難すること。この手の用語を見かけたら「出た! 統一教会の影響!」と思っておけばいいのです。

**「公安の協力で締め出せ」 杉田水脈氏、一部有識者巡り**
47news.jp/10724030.html

問い:「私たちの社会で、何が一番大事なのか?」

Aさんの回答。
人権と民主主義だ。人権は、人が差別されずに、健康で文化的に生きていける約束。民主主義は、「異議申し立てルートが存在する」ことの約束。この組み合わせで社会を少しずつでも改善していくことが重要だ。

Bさんの回答。
技術と市場だ。技術が進化し、市場の力で増幅されることにより、人々は豊かに健康に文化的になっていくからだ。

星の意見。
大きな問題は、いまや「人権と民主主義」「技術と市場」がほとんど敵対関係にあることだ。技術と市場は自走し、人々を踏みにじってでも成長する。私たちには、より強力で有効な規範が必要だと考える。
(SDGs、ESG、「ビジネスと人権」は、その規範のほんの入り口にすぎないと考えている)

「デューン 砂の惑星 PART2」を鑑賞してから一晩たって思ったこと。
これは反啓蒙の物語。

主人公ポールは、途中までは合理的な個人として振る舞おうとする。恋人チャニは、伝統と共同体を大事にしつつ、個人の自由と合理性も尊重する人物像として描かれる。

しかしポールは、あまりにも巨大な問題に直面し、自由で合理的な個人であり続けることを「あきらめる」。母親の勧めに従い「南」に行き、危険なドラッグを服用することに始まる通過儀礼を経て、カルト宗教の教祖になる。その祖形はイスラム帝国か。

この物語は、原作が書かれた1960年代の時代精神——若者達がアメリカ合衆国の指導者たちの理性を信じられなくなり、ヒッピーとなって反テクノロジーやドラッグに走った時代の雰囲気を反映している。ヒッピームーブメントは反啓蒙だ。

一方で現代に生きる私たちは、理性や合理性を拒否する反啓蒙が「うまくいかなかった」ことを知っている。個人的な意見として、私たちは反啓蒙から脱出し、現代に合った理性の使い方をする「新しい啓蒙」を目指すのがいい、と思っている。

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さらに余談ですが、アレハンドロ・ホドロフスキーがDUNEの映画化に取り組んだ経緯を描いた映画「ホドロフスキーのDUNE」によれば、ホドロフスキー版DUNEでは音楽にピンク・フロイドを起用する予定だった。結局、このプロジェクトはキャンセルされてしまうのだが。

ビルヌーブ監督の前作「DUNE デューン 砂の惑星」予告編では、ピンク・フロイドの曲「Eclipse」のカバーが使われていた。ホドロフスキーへのオマージュかもしれない。

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余談ですが、デイヴィッド・リンチ監督の1984年版『デューン/砂の惑星』は、原作のカラフルでキッチュな側面をよく描いていた。

上映中のドゥニ・ビルヌーブ監督DUNEは、色彩を意図的に抑えて描かれており、特にハルコンネン家の悪趣味なイベントは全編モノトーンで描かれる。リンチ監督とは逆の路線を意識的に取っている。

原作の解釈はビルヌーブ版とまったく違うのだけど、そして一本の映画としては破綻しちゃっているのだけど、そんなリンチ版も私は嫌いではありません。

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ここからベネ・ゲゼリットの陰謀が少しずつ狂いだす。物語は、予定された未来を主人公たちが命がけで修正する話として語られる。それは自由意思の勝利などではない。

主人公ポールは、ベネ・ゲゼリットが筋書きを書いた「予定された未来」の物語を少しだけ書き換えるような、針の穴に糸を通すような微妙な違いを作るために命を賭ける。主人公は自らカルト宗教の物語の一部に取り込まれていく。それを険しい目で見つめる恋人チャニ。

そして、まだ胎児なのに存在感があるポールの妹。続編があることを匂わせて、映画は終わる。

この映画を劇場で観る体験は、なかなか他のものでは代替できない。「デューン砂の惑星」という特異な原作の映画化として、特異な映画を作ることに成功していると思っている。通常の映画作法の基準で見れば外れ値の映画といえるのかもしれない。

そして、「デューン」という創作神話は、キリスト教のフレーバーがあるように見えるし(聖母とその子ども)、非キリスト教的にも見える(アラブ風味の固有名詞の多用)。砂漠の民フレーメンは、映画を見る人にとってアラブの民が重なって見えるだろう。では、ポールの戦いはアラブの反乱のメタファーなのか? それとも「アラビアのロレンス」的な"白人酋長"ものなのか。そんな多義的な解釈をしたくなる映画。

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この春から子どもが家を出る。家族3人で映画を観る機会ももうないだろう。ということで家族で観てきたのが「デューン 砂の惑星 PART2」(ドゥニ・ビルヌーブ監督、2024年)。

前作「DUNE デューン 砂の惑星」(2021年)でも思ったことだが、これはIMAXで没入しながら体験するべき映画。テレビのスクリーンで冷静に見てもあまり楽しめない気がする。

フランク・ハーバードの原作の作りは、創作神話であり、カルト宗教の物語であり、ヒッピームーブメントやドラッグカルチャーのメタファーでもある。ハリウッド流の脚本術や、いわゆる「バトルもの」的な戦術ゲームとは対極にある世界だ。そこにあるのは、予言と予知、陰謀と策略、暴力と復讐。理屈や倫理はない。

だから、この映画では普通の映画のようなカタルシス、爽快感はあえて排除されている。

舞台は遠未来。一周回って、銀河帝国は貴族が支配する権威主義的な体制であり、人々の価値観は家父長制かつ人命軽視。女性だけの秘密結社ベネ・ゲゼリットは長期的な血統を操作する陰謀に熱心で、人間も血統をつなぐ駒ぐらいに見ている。

主人公ポールの母親ジェシカは、ベネ・ゲゼリットの言いつけに反抗する。娘を産めと言われたが男子を産む。それが主人公のポールだ。

成田悠輔氏の広報起用批判受け 内閣広報室、各省庁に「人選慎重に」
mainichi.jp/articles/20240322/

もっともな措置だと思います。関連して、世論工作のためにインフルエンサーに渡す官房機密費も、供給先の人選がより「慎重」になるのでは。

ところで本件に関連してちょっと興味深いことが。

かつて沖縄ヘイトを繰り返していた「ひろゆき」氏ですが、最近のX/Twitterでは政権批判ぎみの発言をしています。

"裏金の発案を安倍派幹部は誰も覚えていないと証言。全員が人狼の村なのかな、、、?"
twitter.com/hirox246/status/17

"世界の政治閣僚平均年齢ランキングの第1位は日本です。"
twitter.com/hirox246/status/17

"山口敬之氏を「クソ野郎」と呼ぶのは合法であることを東京高裁が認めました。いやぁ、山口敬之氏は「クソ野郎」ですねー。"
twitter.com/hirox246/status/17

"700人の組織で1日に2人も有罪とか、国会議員の犯罪者率が高すぎる。反社なの?読売新聞はガーシー被告と書いて柿沢未途氏を被告と書かないのは差別だよね。"
twitter.com/hirox246/status/17

仮説:官房機密費を打ち切られたので、政権批判で注目を稼ぐ方針に転換した(?)

参考まで:
富士通F6570漢字ディスプレイを使用した情報システムに関する論文が見つかった。1977年。

この時代は「漢字を含む情報を表示、印刷する」ことが論文になるテーマでした。

jstage.jst.go.jp/article/johok

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日本の事例をもう少し掘り下げてみる。

Wikipediaによれば、1972年に富士通は最初の漢字ディスプレイF6570を製品化。その仕掛けは「高速回転する文字盤の上の漢字を撮影して表示する」という非常にトリッキーなものだった。

1978年の漢字ディスプレイF6580は、32×32ドットのフォントを格納し、漢字を表示した。漢字フォント供給のためディスク装置を備えた専用の制御装置を用意した。
ja.wikipedia.org/wiki/ディスプレイ_(

中国側の資料は見つからないが、1977年の中国で「コンピュータ画面に漢字を表示すること」のはそうとう凄いことです。

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すごーくトリビアな話題です。

Netflix版「三体」の第2話で、1977年のコンピュータ画面に中国語(簡体字)が表示される場面があった。

思ったことは、「この時代のラスター方式CRTディスプレイは漢字表示に対応していたのだろうか?」

一つの説は、「ベクター方式のCRTではないか」ということ。「葉文潔が自ら計算機をハックしベクター方式CRTディスプレイを使って中国語を表示できる仕組みを開発した」という仮説はどうだろう。

もちろん単なる仮説だが、葉文潔ならやりそうな気がする。

(なお、最初の日本語ワープロ製品である東芝JW-10は1978年。技術的にはこの時代の高解像度ラスターディスプレイがあれば漢字表示は可能だったが、当時の中国では入手困難だったのではないか)

私たちはデジタルプラットフォームに翻弄され、民主主義の行方は危うくなっています。一方、テクノロジー企業は政府の規制に反発し、放任を求め続けています。

以上のようなストーリーが目新しく感じる人もいるでしょう。逆に聞き飽きたと思っている人もいるかもしれません。

ひとついえることは、これは「私たち全員に関わる問題である」ということです。

民主主義がテクノロジー企業のプラットフォームで歪められているとしたら? そして世界が一握りのテック富豪=テクノ封建領主が専制君主のように振る舞う「テクノ封建制」に向かっているとしたら? 自由な市場は問題を解決できず、むしろ助長しています。

私たちになにができるのか?

少なくとも、私たちはまず問題を把握して、思考する必要があると思っています。

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Googleは独禁法裁判を戦っていますが、裁判の内容が公開されないよう手を打ちました。同社に不利な情報はほとんどメディアに流れません。Meta社は最近、青少年への性的脅迫のプラットフォームとしてInstagramが悪用されているとして議会で質問攻めにありました。Appleにも独禁法の適用が噂されています。

EU圏でも、米国企業への巨額罰金命令の判決が相次いでいます。

イーロン・マスクのX/Twitterでの"ご乱行"は日本でも有名ですが、これは一連の摩擦の一部と位置づけられます。実のところ、イーロン・マスクが突出して「おかしい」とまではいえない。他のテック界隈のエリートたちも考え方はマスク氏と大差ありません。マスク氏ほどにはボロを出していないだけです。

GoogleやMetaが作り上げたインターネット広告のエコシステムは、世論操作や詐欺の温床となっています。彼らは私たちの個人情報を驚くほど精密に把握しており、年齢、性別、趣味嗜好、思想の傾向など機微情報を活用してターゲット広告を表示してきます。

X/Twitterのアルゴリズムは人々を分断させ対立を煽るよう機能します。Facebookでは逆に「政治的な話題を目立たせない」ようアルゴリズムが調整していると言われています。

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「テクノロジーと民主主義は緊張関係にある」

上記の命題を見て、どう思いますか? おそらく、日本語圏と英語圏では温度差があります。

PayPal創業者でFacebookの初期投資家であるピーター・ティールは、「私はもはや、自由と民主主義が両立可能だとは考えていません」と述べ、トランプ支持に走りました。

Netscape創業者でベンチャーキャピタルa16zの創設者マーク・アンドリーセンは「西洋のテクノロジーのチャンピオンであるアメリカ合衆国は、自己への懲罰をすることを決めました。両政党とその選出された代表者は、できる限りの方法でアメリカのテクノロジー産業を徹底的に攻撃しています」と語ります。

シリコンバレーのエコシステムで成功したテック富豪たちは、いまや民主主義で運営される米国政府による規制を敵視するようになっています。
おそらく、日本語のメディアを見ているだけでは、このような緊張はほとんど伝わってこないと思います。

英語圏メディアでは、毎日のようにBig Tech(Google、Meta、Apple、Amazonなど)と社会との摩擦のニュースが流れています。BloombergやロイターやWSJは日本語版もあるので、これらを集中的に見ていればある程度把握出来ると思います。

星 暁雄 (Akio Hoshi) さんがブースト

この映像を撮った人、すごいな。この絵だけ見ると爆撃されたようにしか見えないし希望がまったくない状況をよく表している。この日本で3ヶ月近くも経って片付けすらできてない状況ってひどいよな

ブルーインパルスが能登半島上空を飛行し 住民たちが歓声 | NHK | 令和6年能登半島地震: www3.nhk.or.jp/news/html/20240

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