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「ノーベル文学賞」の度に話題にされる村上春樹は気の毒だなと思います。通俗的に受ける話を書いているだけなのにね。大衆小説だよ。

「ノーベル文学賞」は人文知的なパラドックスにいる……。権威って何だよ?!という感じです。「多様性」を鑑みた本が権威付けされて、権威が決まれば、本が売れて、経済が動く。「多様性」のなかの格差は是正されない。人文知をマナー化した人が「多様性」を称揚しつつ、自分のビジネスパートナーとしては、自分と同質的な「優秀な」人を選ぶ。そういうのが、もう、建前人文知と資本主義的な限界なのではないですかね……。

ごめん。でも、村上春樹の全作品を読む気はないです。批評のために、全作品読む気はない。
私は、村上春樹より、自分に合った作家を知ってます。村上春樹オタクの方にはごめんですが、私はこれ以上読むことはないでしょう……。
人生は短く、読める本は少ない。その中で村上春樹をこれ以上読もうとは、私は思えません……。

私は『1Q84』のラストで、「は?セックスに全てを納めるな!」と思ったので、「あなたは何もわかってない!それを読んだときに子どもだったからでは?子どもの未熟な感想を発表してはいけない!!」という書評家の意見を読むと、「評論なんて、まじ、つまんねー」と思います。

まあ、「文学」などというものに優劣をつけよう!というのが前時代的でもあります。「上から目線」の立ち位置が、もうわからない。翻訳可能性がないと、賞に選ばれないのですか?それって、帝国主義とどう違うのですか??
「普遍的な文学性」みたいな、終わっている価値観にしがみついている賞なら、さほど意味はないです。「ポストコロニアル」風でありつつ、「普遍性」や知的エイブリズムにしがみついているなら、「賞」はまさに形骸化で、陳腐な遺物になるでしょう……。

『ノルウェーの森』 

『ノルウェーの森』、私はピアノ教師が教え子に誘われて、性的なトラウマを持つ、というエピソードに心打たれたんですよね。相手は若齢者で、本来なら歳上の自分が道徳的にコントロールすべきところ。
そういう「引き裂かれる自分」みたいなものが、『ノルウェーの森』では興味深く思いました。
セックスしても誰も助からなくて、でも、そこにしか求められない愚かさで、馬鹿みたいにつながっていくしかない……。
いや、読み直してないので、あらかた忘れてますが、そんな物語だったと思います……。

私は、俳人なので、助詞の使い方や語感を重視します。
現代の「タイパ文学」は、意味と要点しかなくて、全然楽しめない。叙景の細やかさや、助詞づかい、語感を無視する「タイパいい」本は、逆に全然読めないし、興味が湧きません……。

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私は「翻訳しやすさ」みたいなものも懐疑的です。翻訳は助詞の使い方や語感を削って「意味」になり、「意義深さ」になるのです……。そういうのは、私は、好きではないです……。

私は、フェミニズム的な概念を手に入れてやっと「キモかった」と言えた、という気持ちにはシンパシーを覚えます。「権威」という尺度で見ると「ノーベル文学賞を貰えないとわかった途端に」みたいな、とんちんかんな批判が出てきますが……。「用語」あるいは概念が私達に型をくれる。私は「いまやっとキモいと言える」という方々を卑怯だとは思いません。

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あ、でも、音楽を聴く幅を増やしてくれたのは村上春樹だなと思います。ヤナーチェクは作中に出でくる『シンフォニエッタ』は好きになれなかったけれど、『弦楽四重奏曲第1番<クロイツェル・ソナタ>』『第2番<ないしょの手紙>』は、重層的なポリフォニーで、今でも好きです。

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一実 さんがブースト

…というようなことをBlueskyで書いたら、やっぱりRP先で「それにしても旧ツイッターでの雑なけなし方はひどい」とか「思い入れはないけどあれだけの作家なのだから敬意は持つべきでは」とかぐちゃぐちゃ言われていた。

SNSのつぶやきなんて大多数はせいぜい「個人の感想」でしかないし、まして広く世に公開されて(かつ一定の支持を得ている)作品に対して「私はキモいと思いました」ぐらい言わせてくれよ…と思っちゃうんだけど、旧ツイッターでは「何かを批評するのに『キモい』などという語を使うのは云々」みたいなことまで言い出されてるし、有名作家のアカウントがやたらと「小説家なんてみんなキモいよ」とかそれこそ雑なこと言ってるし…

いやもうこの状況がキモい。なんなんだ、「春樹キモい」っていう感想はそんなにタブーなんですか?ごめんけど村上春樹の女性の描写はふつうにほんとうにキモいです。

そしてこんなこと言ってるけど、私も『東京奇譚集』とかはかなり好きですよ。村上春樹、圧倒的に短編のほうがいいと思うんだが、長編のほうが売れてるっぽい不思議…

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村上春樹については、『ノルウェーの森』は中学生のときに読んで、面白かったです。友達が『パン屋襲撃』を薦めてくれて、それも面白かった。『1Q84』は、過程は楽しんだけれど、ラストは乗れなかった。
それくらいですかね。何か深々としたものを得たという読書体験はないです。こなれた文体だなとは思いますが、続けて読みたいような作家じゃなかった。

私も全句集や全集で作家読みするのが好きで、「句業を旅したな……」という感慨は楽しいです。
でも、まあまあ全作品に当たらなくていい。それは、時間的にも労力的にも恵まれた人の楽しみです……。

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ま、私も「山口誓子が好き!」と聞くと、「前期?中期?後期??」と聞きたくなるので、ヤバいファンです……。

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ある作家の作品に乗れなかったと表明したら、「全部読んでから言え!!」みたいなファンがいて、怖いなと思いました。

松本たかし『石魂』、読了。

夢に舞ふ能美しや冬籠
一円に一引く注連の茅の輪かな
箱庭の人に大きな露の玉
鎌倉の空紫に花月夜
眼にあてて海が透くなり桜貝

といった、いかにもたかしらしい雅な美感がある句も良いが、小品も愛らしい句が多い。

我が門の花に馬車止め訪ふは誰
花一木あり人これを四方より
別棟へ一人寝にゆく月見草
噴霧器の長き管這ふ薔薇の中
星涼し道に聞こゆる旅芝居
書を買ひて暫く貧し虫の秋

ただ、戦後は筆の衰えを少し感じた。たかしと言えば、茅舎とともに比喩が見所なのだが、戦後の比喩や擬人化には冴えがなく、やや読みづらかった。

『現代俳句大系 第九巻』も残すところ1/4というところ。

「リベラルフェミニズム」は「リーン・イン」的で、構造そのものを温存してしまうんですよね……。「リベラル」は「フェミニズム」と基本的に相性が悪いのでは……と思っています……(柴田英里とか「リベラルフェミニズム」ですよね……)

まあ、岡野の論も「都会的」だし「グローバリズム」を目指しているところもあり、批判的に読んだ方がいいだろうが……。

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岡野八代『フェミニズムの政治学―― ケアの倫理をグローバル社会へ』(みすず書房、2012)、思い出に残る良い本だったな……。いつか再読したい……。

一実 さんがブースト

「ケアの倫理」からの「リベラル批判」は岡野八代『フェミニズムの政治学―― ケアの倫理をグローバル社会へ』(みすず書房、2012)がオススメ。岡野八代は、今年出た新書よりこちらの方が読みやすいと思います(と言っても、結構ハードですが)

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一実 さんがブースト

リベラリズムは近代の資本主義社会をそのオリジンに持つので、農村的なもの、田舎っぽい停滞も嫌う。進歩がないもの、変化がないものを嫌がるのだ。快楽という見返りすらない近所付き合いや、ネットワークとも呼ばれるしがらみも嫌悪の対象だ。だが、ここで重要なのはこれらは生命の維持には不可欠であるということだ。食料が生産されなければ当然だが人は生きられない。無限に改善し、増強することは環境破壊につながる。誰かの必要にケアという形で応える人がいなければ社会は維持されない。そうした行為を嫌い、おこないたがらないというのはリベラルたちが他者を搾取しつつ自らの営為を行なおうとしていることを示唆する。「人は生命の維持などに労力を費やすことを強制されず、また他の人の生命の維持にも力を使わず、ただ崇高なことをなす権利を保障されるべきだ」ということを示唆したのはアーレントだが(『人間の条件』)、それはまさにリベラリズムの要約であるといえよう。新中間層の職業人たちは家事や育児やケアなどの仕事を嫌う傾向にもあるのだが、それはおそらく「女性的なもの」への嫌悪にもつながる。単純に嫌いなのではない。支配し、搾取したいのだ。

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