(宮本徹さんのツイート、スレッド続き)
このマニュアルの改訂では、解決しない問題があります。事後にも保険者が確認できない場合どうするか、確認したら無保険だったらどうするか。
医療機関に未収のリスクを負わせるというのは、筋違いでしょう。
このマニュアル改訂も、厚労省自身が無理筋であることがわかっているので、文末が「してください」→「が考えられます」と、どうするかの責任を医療機関に丸投げしています。厚労省は責任ある解決法を示せない状況に陥っています
これまでどおり健康保険証を残せばいいだけなのに、河野太郎大臣が廃止すると言ってしまったので、メンツだけのために、止まれなくなっているのではないこ。
(宮本徹さんのツイート↓スレッド)
マイナ保険証で無効となった場合について、マニュアルがこっそり書き換えられました(6月2日)。「健康保険証の提示がない場合は患者からは10割分を受領」→「生年月日情報に基づいて自己負担分(3割負担等)をお支払いいただき、事後に資格情報の確認ができた段階で所用の手続きが考えられます」
https://twitter.com/miyamototooru/status/1665188567424065537?s=46&t=7ijHXvOVYdXMvERcNmfP7w
(碇勇次郎さんのツイート↓スレッド)
コロナ後遺症の大問題の一つに、「見た目がそんなに辛そうに見えない」問題があります。
これ本当に深刻で、家族はおろか、医者にすら理解してもらえなくて、言い返すのもしんどくて悔しい思いをされた方を沢山知っています。
https://twitter.com/ikariyuuzirou/status/1665138316377997315?s=46&t=7ijHXvOVYdXMvERcNmfP7w
(続き)
倦怠感や神経の症状って他人から推し量る事はできないし、症状が重い方でも調子が良い時は普通に動けたりするんですよね。
で、良い時or頑張ってる時の姿を見られて、「本人は大げさに言っているが、実際は大した事ない」などと取られてしまったりする訳です。
私の場合、例えば通院などは自分で運転して一人で行っていました。
やはり調子の良い時を選んでいたので、見た目は病人には見えなかったと思います。
ですが、通院した日の夜は毎回確実に倦怠感が爆発して寝込んでいました。
体が痛重くて、寝る以外何もできなかったです。
病院の待ち時間も、実は必死の時間だったりします。
座って待つ、呼ばれて歩く。動作の一つ一つにダルさが伴い、倦怠感のゲージが溜まっていくのが自分で分かりました。
幸い私は毎回座れましたが、もし立って待つような事があればどうなっていたか分からないです。
女に主体的な性欲があると感じると、逆に怖くなって(自分がその性欲を満たしてあげる、応答する側に立たされる。またはその主体的な性欲は他の男に向くかもしれないし、自分は性能に関して比べられてしまうかもしれないと)、出来なくなっちゃう男性は少なくないんじゃないかと思います。
でもその自分の側の恐怖や劣等感を認めるのも許せない。だから、弱い女という想定でオラオラしてでないと耐えられないんですよ。
もっと自分の劣等感とか恐怖とかにちゃんと向き合って、オラオラしなくてもいい、人間として普通の自信を身につければいいだけの話なんですけどね。
From: @salaii
https://mstdn.jp/@salaii/110483464984011764 [参照]
セックスの合意について。あれだけ男性たちが反抗しているのは、男性たちが抱く女性への幻想が原因の一つなのかもな、と思い至る。
要は一部の男性たちは女性を"性欲のない、性については無垢でどこまでも受動的な存在"と認識していて、厄介なことにそこに性衝動を感じている人がいるということ。
「嫌がっている女をモノにするのがいいんじゃないか」「恥ずかしそうに我慢してるのがそそるんだよ」「最初は乗り気じゃなくてもだんだんノってエロい顔になるのがたまらん」など、どこのエロ漫画だよみたいな話を本気でしている。日常で己の力を実感できる場がセックスなのだろう。だから女性が「いいよ」と合意してしまうと、彼らは己の力を確認する場を失ってしまう。
一度ホテルへ行こう、大丈夫何にもしないから、としつこく誘う男性に「要はセックスしたいんだろ?やるならやるできっちり満足させて欲しいね」と言ったら急に冷めて「やめた」と言われたことがある(まあそうなるだろうと思って言ったんだが)。
女性が合意すると冷める男性がいるんだ。レイプや性犯罪とは全く無縁の男性たちの中にも、微かな嗜虐性を性行為によって満足させている男たちがいるんだ。
温又柔の日本語の住人として
来日40年たてど 「外国人」に無情なこの国
( 朝刊文化面毎日新聞 2023/6/4 東京朝刊 有料記事 1533文字)
今日は六四天安門事件の日であり、張作霖爆殺の日でもあります。
1989年の6月4日は、私の中学の修学旅行の中国旅行の出発日の前日でした。
中国旅行は中学校経由で中国政府の僑務办公室招待。2週間の旅行。天安門前広場訪問も行程に入っていて「広場にいるお兄さんお姉さんに話を聞こう」などと先生やクラスメイトと話し、「ぜひ行ってください。交流してください。」という回答も得ていました。
徐々に天安門前広場が過熱していくなか、5月末に学校から僑務办公室に問い合わせたところ「問題なく旅行はやれる。ぜひ天安門前にも行って。」と言われたばかりでした。
事件発生翌日の出発当日、中国政府とは連絡が取れず、当日やむなく旅行は中止に。
ちょっと発生が遅かったら向こうにいた、あそこにいた可能性があったという恐怖感にも似た感覚と、世の中が更によくなる契機となると考えていたものが暴力によって、、多くの人命が奪われる事によって壊されたショックや失望を大きく感じた事件でした。
な、ほんと「俳壇」なんて信用に値しないね。血統だけでこんな駄作を賞まみれにして……。本当にしょうもない。
賞なんてね、「俳壇」に対しての功労が大きいのだから、これを星のように考えては駄目だよ、若者よ……。
坊さんがヘイトスピーチを投稿し、批判されたら「反日共産主義者達が集まって来ました」とのたまう。末法だな。今後オウム的な世紀末カルトが流行しても驚かない。 https://t.co/0mndoGtQyL
昔の(もう私の中では昔になっちゃったなぁ)国会前とかで毎週「安倍やめろ」の集会やってた頃、コールの中に「言葉を壊すな!」って、ありましたよね。
私はあのコールがいつも一番胸に響いた。
安倍的なもの、または維新的なものがやってきたことで、私が一番許せないのはそれなんですよ。
嘘ばっかりつきやがって、綺麗事ばっかり言いやがって、言葉の命を、言葉が持つ力を、魂を、踏み躙り、奪い続けてきている。「要は倒錯)
そのことが許せない。
あのコールの時は、いつも本当に涙が出た。
昔(これは本当に昔。20年くらい前)、私が心理の勉強を始めたのは家族療法からだったんだけど、当時私が教わっていた斎藤学さんが、家族療法の講義が何かで、いわゆる「機能不全家族」では言葉が無効化されるんだと、力を奪われているんだという話をしていて、私はその説明にとても納得した。
何故なら私の実家で起きていたことがまさにソレだと思ったから。
そして、家族療法でやることは、その家族に、もう一度、言葉の力を取り戻させることなんだと、その時の斎藤先生は言っていた。
言葉が死ぬと、人間は心が死にます。だから、私は安倍的なものからこの国を守ることって、要は私たちが言葉を壊されないこと。言葉を守り抜くことだと思っている。
こんなことに。
6月8日から無記名の「Suica」及び「PASMO」カードが一時販売中止に − 半導体不足の影響で|気になる、記になる… https://taisy0.com/2023/06/02/172444.html
なにやら、上岡龍太郎の死を、「関西芸人」の最後の良心として悼む声があるようだ。
勿論、上岡龍太郎個人は、「まとも」な人だった。
しかし、私個人は龍太郎本人より彼の「父」に関心がある。
高知県出身、新聞配達など苦学しながら高知高等学校に入学。キリスト教からマルクス主義へ、という当時の「知識青年」(内田義彦)の典型的なコースを辿る。プロレタリア文学誌『戦旗』購読の廉で検挙。京都大学法学部進学後は、滝川事件に参加。
1946年自由法曹団、47年共産党から衆院選に立候補、落選。
その後は、1930年代後半に『世界文化』・『土曜日』などで、中井正一、久野収、新村猛等と人民戦線運動に参加した能勢克男と共に、労働者、農民、在日朝鮮人などの人権弾圧事件を引き受ける中心人物となる。
また中井正一の高校の後輩、佐々木基一を通して、『世界文化』は平野謙や荒正人等戦後『近代文学』に結集するグループとも繋がり、また丸山眞男も『世界文化』は愛読していた。
こうした「戦中」派の遺産の上に乗った、新左翼ラディカリズムが最終的に解体されたのが、バブルとともにあった1980年代ポストモダニズム。浅田とスパルタクス君が共に京大人文研であることは決して偶然ではないでしょう。ついでに熊谷更迭を喜んでいるガラパゴスOBもね。
19歳の女の子がコロナ感染後、ロングCovidかと思っていたら、認知症の診断を受けてしまった。
いや、本当にレアではない。
かなり思い当たる。
神経向性、BA.5以降激しいし。
だからフルボキサミン。治療にσ1アゴニスト噛ませておかないとこういう悲劇が至るところに。
https://www.independent.co.uk/news/health/long-covid-dementia-symptoms-daughter-b2342570.html
そこらにいる普通のオバサンです。私たちの社会を憂う人たちの頭数のひとつとして、自らの五分の魂のために、言いたいことを書き散らします。コロナが怖いから今は引きこもりちう。性格は悪いです。