完璧な作品なんてものは無いとわかっているが、一つのマイノリティ属性の描き方が良いほど、他のマイノリティ属性が酷い描かれ方してると「どうして?!」と思ってしまうというか、全方位に最悪な作品よりも「出来るのにやってない」のだとわかる作品の方がグロテスクに見えてしまうんだよな、特に後者は「出来ている部分」を評価されるので。
ある作品の「女性表象が良い!」のは事実でも他のマイノリティ表象がポンコツだと困るというか、そういう作品が「社会派かつ良い作品!」として評価されたままだと、人種的マイノリティかつ女性などのダブルマイノリティは取りこぼされたままじゃん、という。
登場人物たちの属性の表象が全部最悪だとさすがにコケることが多い(ステレオタイプ一辺倒にしてしまうと面白さがないから)ので、わざわざ批判もする必要なくて何か言うにしても「クソです」で終わらせる(話題にして注目度を上げる方が悪影響ある)が、評価されている作品に一部問題があるときは放置する方が悪影響あるので「いやいやここに問題ありますよ…」と声を上げたい気持ちが抑えられず、結果として私は常に話題作の文句を言ってる人になっています。
私は話題作のマイノリティ表象について常に文句を言ってる人です。よろしくお願いします。(開き直り)

RT:桜田えら🌱トランスの子の育児と理解の会(sakuradaella.bsky.social)

David BrooksがNYTにキャスレビューを讃えるオピニオン記事を書いていたのか。本当に終わってるな。パレスチナに関する偏向報道も露呈したし。

先日頼くんに教えて頂いたポッドキャストで知ったのだが、2018年にNYTの会長、発行人となったAG Sultzbergerは、リベラルを嫌い、反トランス記事を書いた記者の功績を讃えたり、極右キリスト教団体ADFの弁護士だった人物をオピニオンライターとして雇っている。

昨年NYTに対してトランスに関する偏見や無責任な報道をやめるよう求める書簡に多数が署名した際に、NYT内部にも署名した従業員がいると個人が特定され処分対象となったとのこと。

朝ドラというかNHKのドラマは植民地の描き方が信用できない。
近年も、『まんぷく』では実在の人物を基にしておきながら、その人物が台湾ルーツであることは消し去られ、主人公たちは日本人ということにされていた。『ちむどんどん』は沖縄スレテオタイプ表象が多く、『らんまん』の台湾華語と中国語の描写は当時の言語弾圧と同化政策が存在しなかったかのようだった。植民地表象に問題がなかった朝ドラが思いつかない。
『虎に翼』も、韓国人留学生が登場したものの、その描き方は当時の実態とはかけ離れている。植民地民が公職に就くことはできなかったのに、就けていたことにしている。
『虎に翼』の女性表象は、女性の権利が尊重されていない様子を史実として描き、下手に「女性の権利を尊重する理解ある男性もいた」とか「女性も活躍してた」とか、そういう「嘘」がないところが歴史考証的にもフェミニズム的にも評価されていると思う。しかし一方で、植民地の人たちの扱われ方は「嘘」だらけで、まるで植民地の権利がある程度尊重されていたかのように描かれている。
植民地表象がデタラメというか偽史なので、こんな描き方するならいっそ出さない方がマシなのではないかとさえ思っている。NHKがやったら信じる人が出る。「植民地の待遇はそんなに悪くなかった」と勘違いする人が増える。

能登も男性優位社会であるようなので、もともと権力勾配が大きなところで、力がない方の人から話を聞こうと思ったら、聞き出す工夫が必要になります。

女性の意見を共感的に引き出せる人の前でなければ、「女は意見を言うな」のカルチャーのなかにずっといる女性が、自分から男性の前で意見を言うのは難しいと思います。

私が最初に日曜討論に出させてもらったすぐ後だったか、地元の田舎の年長の女性たちの輪の中に入ることがありました。

そこで、テレビを見ていたと言う私よりも年上の女性たちが、「自分の意見をしっかり言えて、すごいね。ほんとにすごい。」と、女の子みたいに目をキラキラさせながら、私を尊敬の眼差しで見ていたと言うことがありました。

その時に、ああ、ここでは女性は自分の意見を、自分の言いたいように主張することは普通のことではなかったんだ、と気づきました。そして、きっと、本当はみんな自分の意見を言いたかったんだろうな、とも。

たぶん、能登も田舎は変わらないと思います。話していいですよ、あなたの意見を聞きたいんです、という雰囲気がないと、女性はしゃべりづらいと思います。

都会のように、男でも女でも話したい人は話せばいい、だと、話せないままの人がたくさん出てしまうと思います。

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うーん。この構図はどうなんだろう?今の私にはもう世界は単純にこんな風には見えてないかな。これだと「民主主義国家」である欧米諸国には何の瑕疵も無いと言っているかのように見えるけど…。そして、ほんの少し前までは私もぼんやり世界をこんな風に見ていた気がするけど。

(ところで話は違うけど、NHKの記事はアプリ外ならこれからもこんな風に読むことができるのか。最近、NHKのニュース・防災みたいなアプリでさえ見ようとすると受信契約?みたいなヤツに同意を求められるから、ムカついて、スマホからNHKのアプリは全部削除してしまったんだけど。TV持ってないし受信契約してないので)

>隣り合う2つの国家があり、文化的に極めて似ていながら、一方が独裁国家で他方が民主主義国家だったとします。

>この場合、独裁国家は民主主義国家に対して戦争を起こさずにはいられなくなります。なぜなら、民主主義国家が独裁者を打ち倒すような思想を、独裁国家の国民に吹き込む可能性があるからです。

「傍観者であってはならない」ジャック・アタリ氏の警鐘とは? | NHK | WEB特集 www3.nhk.or.jp/news/html/20240

まぁ、家族的負因を考えても、個人的な傾向を考えても、私自身は、どっちみち、早ければ10年、遅くとも20年以内には認知症になるんだろうと、半ば覚悟していたりするからなぁ。

で、この歳になると、10年、20年と言う時間が、どれだけあっという間なのかも、実感として分かる。

まぁしゃーない。

黄砂、やばいけど、猛暑に大気汚染が加わると女性、高齢者の心筋梗塞死亡が倍になる驚愕の論文が昨年。
PM2.5と猛暑日の組み合わせの女性、高齢者の外出は危険。
日本じゃ全くスルー。
さっきの睡眠と認知症リスクと併せて、ご周知を。やばいです。

heart.org/en/news/2023/07/26/e

大体、「絶対」を多用する人を私は信用しない。笑

前の職場の同業者の同僚、多分、すごい怖がりで(生育環境でかなり酷い身体的虐待を受けて育っている話を本人から聞いたことがあるから気の毒なんだけど)、権力勾配的に上の人と状況として葛藤的になる可能性が高まると、ビックリするくらい、ついさっきまで言ってたことでも前言を簡単に翻して「“絶対に“言ってません!」と断言…連呼して、そうなるともう取り付く島がなくなってしまう人だった。

つまりそういうことだと普段落ち着いている時にどんなに正しいことを言ってたとしても、簡単に「“絶対に“言ってない」ことにされてしまう訳だから、普段の言動も正直信用できなくなる。

「確かに言ったには言ったけど、あの時は考えなしだった。今にして思えば〜だから今は撤回する」と言うのなら分かる。そう言うことは人間にはしばしばあると思うし、私だってそう言うこともある。でも言った事実自体を簡単に無かったことにされてしまうのはつらい。真面目に話していた私が浮かばれない。

ああ言う時の彼女は「絶対」を連呼していた。「絶対」を多用する人を私は信用しない所以。

付け足すなら、彼女が、私が以前に書いた「日本の白物家電は世界で一番で、中韓の製品になど“絶対に“負ける筈はない」と言い張って私を驚かせた人。

「だいたいこの人の断言は信用できない。「絶対実現させる」と言った大阪ワクチン。「大発見だ」と言ったイソジン。「自転車のように飛び回る」と言った空飛ぶクルマ。「増額しない」と言った予算は2倍に」

大阪万博またまた軌道修正…赤字が出れば出るほど経済効果が上がる摩訶不思議(ラサール石井)(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース news.yahoo.co.jp/articles/38e1

ギャラリーの芳名帳に、いつも何気なく住所書いてたけど(案内欲しい時は)
あれって、後から来た人がめくって見たりするんだねぇ。
うっかり、見られたくない人に見られたり、
下手したら住所記憶されたりする可能性もあるんだなー
結構それ困るじゃん・・・
ええええ。どうしたら良いんやろ💦

#NoHateTV Vol.266 - 今週の憎悪
youtube.com/watch?app=desktop&

〜サントリー馬鹿広告、差別職質レイシャルプロファイリング訴訟、クルドヘイト、日本人と外国人の犯罪率は同じ、育成就労制度、共同親権推進派の正体=クズウヨ桜の会、等々、今週もヘイトまみれの日本國。

ロシア、ポーランド、リトアニア、ベラルーシ…出来事を整理するのに何度も読み返した。笑

有料記事がプレゼントされました!4月21日 4:23まで全文お読みいただけます
ナワリヌイ氏側近の襲撃事件、容疑者を逮捕 ポーランド国籍の2人:朝日新聞デジタル digital.asahi.com/articles/ASS

ドストエフスキーが生きた時代のロシア帝国ツァーリ アレクサンドル二世って二回も暗殺未遂されてんのか...そして三度目でついに暗殺。治世の初期は1861年の農奴解放令をはじめとした「大改革」によって進歩的君主と思われたが、ポーランド独立運動の弾圧と1866年の暗殺未遂事件以降は反動的に。1880年にも暗殺未遂、1881年についに馬車を爆破され、無傷で降りてきたものの二人目の刺客が捨て身で至近距離から投げた爆弾によって足をズタズタにされ腹を裂かれて死亡。

民営化の話で最近恐ろしかったのは、英国のテムズ川の汚染の話。

私のテムズ川の知識は、「産業革命以降、工場排水などがそのまま流されて汚染されたけど、その後がんばってまたきれいにした」っていうところでとまっていたのですが、きれいになったあと、80年代に水道会社が民営化されて、ちゃんと処理していない下水をそのまま川に流したりすることも起きるようになって、再び危険なレベルにまで汚染されてしまったみたいです。

最近は、水道会社を国営に戻す話もすすんでいるけど、そうするとその会社の巨額の負債を政府が丸抱えすることになるし、80年代に保守党のサッチャー首相がやった民営化が失敗だったと認めることになるし、選挙で保守党に不利になるから、とかで政府はやや二の足を踏んでいる、みたいな報道が出ていました。

こうしたことは、すでにいろんなところ(経団連副会長など)にヴェオリア・ジャパンに入り込まれている日本でも、人ごとではない気がします。

やはり、インフラの民営化をすると、してはいけない「コストカット」をしてしまい、あらかじめ予測できた以上の社会的コストとなって跳ね返ってくる可能性が高いのではないでしょうか。

日本も水道の民営化をこれ以上すすめるのはやめて、鉄道も郵便も再度国営に戻してほしいです。

人間生きてるだけで仕事なんだからそれに給料を払うべきでは

姉はこどもを産む予定がなかったので「オバチャン」になることをとても楽しみにしていたし、生まれた息子をとても可愛がってくれた。その後姉もこどもを産んだけど、別にこどもを好きでもなく、産むつもりもなかったわたしはあのスタンスに助けられた。ぶっちゃけ勉強も運動もできなくて、性格も考え方も全然合わない姉だけど、超めちゃくちゃ感謝してる。

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わたしが一番気を付けねばならぬのが「オジサン」だな。オジサンは言われる方も慣れてしまっているから質が悪い。

ちなみに自分のことをオバチャンと言う時はとても可愛い生き物だと思って言っている。こどもが生まれた時に姉がオバチャンはね、オバチャンはね、って連発していたのが可愛かったのでその影響かな。

あと、この8がけ社会の連載もおもしろいので、ずっと読んでいます。

女川町の復興の話。24時間無料で読めるようにしました。

福島でも30ー40代の人たちが話していた時は、人口は戻らない前提で、サスティナブルな地域にしていこう、という話をする人が圧倒的に多かったです。
それがせいぜいが2016年くらいまででした。

その頃から、県庁や自治体が主導権を握るようになり、復興予算にあかせた荒唐無稽な巨大箱物プロジェクトばかりが出てくるようになり、それまでの小さな動きはかき消されてしまいました。(とは言っても、それぞれでずっと続けてはいます。主流が荒唐無稽プロジェクトになった、というだけです)

「還暦以上は口出さず」道空けた町長、若者描いた被災地の未来と希望
digital.asahi.com/articles/ASS

福島の場合は、住民が避難していたために、地域住民の声を汲み取ることがそもそもできない状況でした。
そこで国は地域住民の声を聞き取るための手助けをするわけでなく、復興プランを早く作れ、とせっつくばかりで、ただでさえ業務に忙殺される中、小規模自治体で人手もアイデアも足りず、急いで復興プランを作れと言われても、外部の応援(外注)にほとんど丸投げに近い形で考えざるを得なかった、という条件があったのは事実だと思います。

ただ、もともと規模の小さい自治体だけで復興計画を策定するのも、ワークショップを開催するのも荷が重いのはわかりきっていたのですから、県があいだにはいって、どうやったら避難先の住民の声を聞き取れるか、石川県のように広域のワークショップを開催するなどのアイデアを出したり、支援をするのは当然なすべきことだったと思います。

福島県では、そういう発想はいいっさい出てこず、荒唐無稽な巨大箱物や、どこぞの医学部の先生の意見丸呑みプランや、TOKIOを筆頭に東京の有名人を重用するプランばかりで、正直、自治体業務とは思えないことばかりしていました。
県庁そのものが広告代理店化している、といっても言い過ぎではないと思います。

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