宮部みゆき『青瓜不動 三島屋変調百物語九之続』
今作はまるまる、富次郎が自らの来し方行く末について思い巡らせる一冊だった。
表題作は虐げられ居場所を失った女性たちが身を寄せ合い助け合って暮らす、江戸時代版DVシェルター!
ただシェルターの庵主となったお奈津が、父親と相容れなかったことを後悔して「父には父の苦しさがあったのだ」と自分を責めるのには、父親の仕打ちをそんなふうに許さなくてもいいのにな……とモヤモヤ。
そんなお奈津だからこそ彼女のもとに不動明王(うりんぼ様)が顕現したのだろうとは思うけども。
四篇目は、里の大人たちの行動に泣けて泣けて……。展開は分かっているのに、こういうのに本当に弱い。
昨日久しぶりに午前中に総合病院を受診したら、熱中症のような症状・状態でフラフラになったお年寄りがたくさん来ていらして、辛い気持ちになった…(待合室での看護師さんとの問診が聞こえてしまう)。
なんとか自分で来た方や、家族が付き添ってる方、それにご近所さん?が連れてきてくれた方など様々だったけれど、新聞では熱中症で搬送された数字しか出ていないから、本当はもっと多くの人が危険な状況にあるんだろうな…
陳思宏『亡霊の地』(三須祐介訳)を読みました。
7人きょうだいの末っ子である陳天宏が、ベルリンで恋人“T”との間に起きたことを追想しながら、台湾に帰郷する。
視点は天宏から5人の姉たちや父母へと次々に移ってゆくのだが、誰も彼もがめちゃくちゃ辛い。
田舎の驚くほど狭く逃げ場のないコミュニティの中で、家族という一番近しく濃い関係性から生じる、容赦のない様々な形での抑圧が生々しく描かれており、ものすごく苦しい。
家族は体験を共有していながらも、立場も違うし見たこと知っていたことも自分ひとりだけのものであり、何を感じどうやって生き延びてきたのかもみんな違う。
多視点によって語られる、家族それぞれの痛みと苦悩にまみれた過去と現在とを追いながら、密接に絡み合って最後に立ち現れるものに胸がつまる圧巻の群像劇でした。
ケイセン・カレンダー『フィリックス エヴァー アフター』(武居ちひろ訳)を読みました。
こんなに瑞々しくて、眩しいほどに真っ当な青春小説を初めて読みました!
家族や友人への複雑な感情と関係、将来への不安、そしてジェンダー・アイデンティティに葛藤しながら、答えを探すフィリックスに胸が熱くなる。
アウティングを受けたフィリックスの苦しみ、そして無知との衝突に心抉られるのだけど、「人は誰でも過ちから成長できるはずだから許すべきなのかもしれない、しかし差別者を許さない」ことを選ぶフィリックスの決断が描かれており、ここは本当に重要だと思う。
自分の尊厳を犠牲にするべきではないこと、自分を守る選択も、絶対に尊重されるべき。
主人公をはじめ、非白人のクィアの登場人物がこんなにも当たり前にたくさん出てくる物語が読めて、すごく嬉しい。
ハリー・ムリシュ『襲撃』(長山さき訳)読了。
解放間近の第二次世界大戦下のオランダ。
ナチス協力者の警視が殺害された報復で、全く無関係にもかかわらず家族を殺された少年アントンの半生を、その後けっして消えない複雑な葛藤の中で巡らせる善と悪についての思索を静かに見つめる傑作でした。
「襲撃」があった夜に、何が起きていたのか?
起こってしまったことは変えられない、事実は事実であり、自分はそれ以上のことを知りたくはないと考えるアントンが否応なしに過去を見つめざるをえない時、13歳の日に確かに交わした会話や体験への強い感情は記憶の底に沈みすでに遠く、掬い出したくとも伝えるすべがないことが哀しい。
デイジー・ジョンソン『九月と七月の姉妹』(市田泉訳)を読みました。
姉セプテンバーに支配される妹ジュライの視点で、10ヶ月違いの姉妹の歪な関係が紡がれてゆく。
もっとも身近な者から受ける支配が、被支配者の心身にどのような影響を及ぼし続けるのかが、もっとも惨い形で余す所なく描写されており、めちゃくちゃ辛い……。
高まり続ける不穏な切迫感と、心理描写が尋常ではない。
体調の悪い時に見る悪夢のように掴みどころがなくモヤがかかったようでいて、しかし迸る生命力に引き込まれる。
帯の裏側にある本文からの抜粋はこの物語の核心でもあるので、読む前に知らないほうがいいのでは……?と思った。
姉妹の歪さとこの本の雰囲気が瞬時に理解できるので魅力が伝わりやすいとは思うけれど、しかし2人の約束について事前知識を持って読んだのは少しもったいなかった気がします。
ジェシカ・ノーデル『無意識のバイアスを克服する』(高橋璃子訳)読了。
「自分には偏見など無い」と思っていても、人種や性別や年齢の違いに意図せず表れる「無意識のバイアス」について、様々な研究調査と、バイアスを軽減・変化させるための様々な取り組み実例が紹介される。とても面白かった。
バイアスを乗り越えようとする警察組織内での取り組みや、個人のバイアスに正面から立ち向かうのではなくデザインによって行動を変化させた、病院や教育現場での取り組み等が取り上げられる。
しかし効果が見られた取り組みでも予算削減でプログラムが続けられずに以前の水準に戻ってしまったり、デザインによって効果を上げても価値体系自体に変化が起こらなければ、現状維持の圧力には打ち勝てないことも示されている。
著者の、自身が受けてきたバイアスのことだけでなく、自分の中にもあったバイアスに気づいた際の衝撃、その恥の気持ちを見つめる経験についても真摯に語られていて、読み物としても素晴らしかった。
読んだ本のことなど。海外文学を中心に読んでいます。 地方で暮らすクィアです。(Aro/Ace)