ハリー・ムリシュ『襲撃』(長山さき訳)読了。
解放間近の第二次世界大戦下のオランダ。
ナチス協力者の警視が殺害された報復で、全く無関係にもかかわらず家族を殺された少年アントンの半生を、その後けっして消えない複雑な葛藤の中で巡らせる善と悪についての思索を静かに見つめる傑作でした。
「襲撃」があった夜に、何が起きていたのか?
起こってしまったことは変えられない、事実は事実であり、自分はそれ以上のことを知りたくはないと考えるアントンが否応なしに過去を見つめざるをえない時、13歳の日に確かに交わした会話や体験への強い感情は記憶の底に沈みすでに遠く、掬い出したくとも伝えるすべがないことが哀しい。
デイジー・ジョンソン『九月と七月の姉妹』(市田泉訳)を読みました。
姉セプテンバーに支配される妹ジュライの視点で、10ヶ月違いの姉妹の歪な関係が紡がれてゆく。
もっとも身近な者から受ける支配が、被支配者の心身にどのような影響を及ぼし続けるのかが、もっとも惨い形で余す所なく描写されており、めちゃくちゃ辛い……。
高まり続ける不穏な切迫感と、心理描写が尋常ではない。
体調の悪い時に見る悪夢のように掴みどころがなくモヤがかかったようでいて、しかし迸る生命力に引き込まれる。
帯の裏側にある本文からの抜粋はこの物語の核心でもあるので、読む前に知らないほうがいいのでは……?と思った。
姉妹の歪さとこの本の雰囲気が瞬時に理解できるので魅力が伝わりやすいとは思うけれど、しかし2人の約束について事前知識を持って読んだのは少しもったいなかった気がします。
ジェシカ・ノーデル『無意識のバイアスを克服する』(高橋璃子訳)読了。
「自分には偏見など無い」と思っていても、人種や性別や年齢の違いに意図せず表れる「無意識のバイアス」について、様々な研究調査と、バイアスを軽減・変化させるための様々な取り組み実例が紹介される。とても面白かった。
バイアスを乗り越えようとする警察組織内での取り組みや、個人のバイアスに正面から立ち向かうのではなくデザインによって行動を変化させた、病院や教育現場での取り組み等が取り上げられる。
しかし効果が見られた取り組みでも予算削減でプログラムが続けられずに以前の水準に戻ってしまったり、デザインによって効果を上げても価値体系自体に変化が起こらなければ、現状維持の圧力には打ち勝てないことも示されている。
著者の、自身が受けてきたバイアスのことだけでなく、自分の中にもあったバイアスに気づいた際の衝撃、その恥の気持ちを見つめる経験についても真摯に語られていて、読み物としても素晴らしかった。
アンジェラ・チェン『ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと』(羽生有希訳)、読みました。
様々な世代・人種のエース(アセクシュアル)当事者の体験と、その人たちが悩みや困難を経て自身の在り方を見つけていった過程がたくさん紹介されているので、今、同じように不安を抱えている人たちにとっての助けになると思う。
性的惹かれが無いエース(アセクシュアル)の解放は、全ての差別と相容れない社会の実現であり、その時こそ誰もがみんな「フツー」の性愛/恋愛から自由となり解放されることである、というメッセージを強く感じられた。
ただ、基本的人権の尊重すら瓦解してしまっているような今この国の状況を思うと、希望を持つことも難しくて辛い……。
木原善彦さんがご自身の訳書、ギャディスの『JR』に誤植があれば教えてほしいとツイートされているのを見たのだが、読んでいる新刊本の誤字/脱字/誤認に気づくたびに、どうするのが良いんだろう……といつも思っている。
翻訳書だと人名などの誤認は原文がそうなっているからという作者のミスの可能性のほうが高いと思うし、訳者の指摘は一切受けない作者もいると聞いたことがあるから直せなかったのかも……とか、漢字変換ミスや脱字は重版時に改めて校正が入るだろうし、そもそも読者の指摘は求められているの……?
などと考えて、結局は誤植箇所を控えないまま忘れてしまうのが常なのだけど。
でももしかして出版社に連絡する方々のおかげで次の版で修正が入っていたりするのだろうか。
早稲田のハラスメント被害者の方へ対する、大学関係者や文学者の人たちの二次加害がひどすぎて絶望してしまう……。
なぜ被害者へ向けてわざわざ直接、加害として作用する言葉を簡単に投げかけることができるんだろう。
大学という組織内で起こるハラスメントの構造についての視点を欠いた上に、自身と相手の権力の不均衡も考えないまま、SNSで安易に雑な発信をしてしまう(そして言い逃げする)こと自体が、ハラスメントが無くならない理由と問題を自分たちで証明しているようにしか見えない。
最後の章は「バリケードから投票箱へ」。
昨日の統一地方選のタイミングで読むにはピッタリだった。
ポピュリスト政治家が女性・非白人・移民を叩くのは、経済的不平等の本質から人々の目を逸らすためであり、そして若い世代の投票率を何としても下げようとする動きについても明確に語られていた。
「金権政治にとって最大の脅威は、人々が共通の利害のために連帯し、集団で動き出すこと。
資本主義が利己心と個人主義の上に栄えているのは偶然ではない。
資本主義の擁護者が、利他心や協力といった連帯の精神を笑い飛ばそうとするのも、けっして偶然ではない。」
クリステン・R・ゴドシー(高橋璃子さん訳)
共通の目標に向かいながらも、同時に各人の違いを尊重し、集団の中での権力構造には常に注意深くあるべき、とも。
クリステン・R・ゴドシー『あなたのセックスが楽しくないのは資本主義のせいかもしれない』(高橋璃子 訳)、とても面白かったです。
20世紀の社会主義国での政策の歴史と失敗における、女性の権利や生活の変遷を紐解くとともに、現在の自由市場がいかに女性の経済的自立を損なうか、という実情が見えてくる。
北欧の民主主義的社会主義の実践なども紹介しながら、あくまで民主主義の中で資本主義とは別の、より良いやり方を見つけて変えていこうという、とても前向きな本だった。
(ちなみに著者は、本書における「女性」という言葉や妊娠する人について論じる際には、トランス女性やその他の性自認を持つ人がいることを忘れているわけではない、と明記しています。)
読んだ本のことなど。海外文学を中心に読んでいます。 地方で暮らすクィアです。(Aro/Ace)