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Kindleで「大奥」全巻揃えたったー!

きょう図書館でたまたま『新井素子SF&ファンタジーコレクション』を手に取ったところ、山本弘さんが過去に書いた新井素子論が掲載されていて、とても良かった。とくにSFとSF読者に関するところ。ざっくりこんな感じ:

― SFは固定観念を覆したり古い価値観を改変させる力をもつとされているが、古い規範やエリート主義のようなモチーフが登場することも多く、じつは読み手にもその傾向がある。もし自分にエリート主義的なところはないとSF読者であるあなたが思うなら、SFを読まない人のことをなんと呼んでいるか思い出したらいい、「普通の人」と言っているだろう?

わたしはガチのSF読みではないけど、SFというジャンルが好きな者として、ちょっと心にとめておこうと思った。

» 新井素子さんと僕 - 山本弘のリハビリ日記(山本弘) - カクヨム kakuyomu.jp/works/117735405488

anemone さんがブースト

今、ある本を読んでいるんだけどね、この文章をみんなと共有したいとおもったの。震災復興についての話だけど、すごく普遍的なことだと思う。
「母子家庭が苦しい社会は、専業主婦を含めてすべての女性が苦しい社会だと思います。そしてそれは、すべての男性にとっても生きにくい社会だと思います。だから、シングルマザーという一つの生き方の選択が、普通に出来る社会になってほしいーそういう思いで活動してきました。」(山屋理恵「社会的包摂:一人親家族にとっての「復興」」p29)

「復興を取り戻すー発信する東北の女たち」荻原久美子、皆川満寿美、大沢真理(編)、岩波書店、2013,

中学の時のこと 

中2の修学旅行のとき、誰かが禁止されてるお菓子を持ってきてて、夜、クラスの女の子たちみんなでこっそり食べた。楽しかった。
旅行から帰ったあと、どこからかその話が先生にばれて、お菓子食べたやつの名前を紙に書いて提出しろと言われ、わたしは、誰の名前も書かなかった。
翌日廊下で先生に呼びとめられ、「おい〇〇、おまえ、よくも俺を騙してくれたなあ 信じてたのに」と言われた。わたしは必死で目を合わせて、不敵の笑みを浮かべて立ち去った、つもりだけど、どんな表情になってたかは分からない。

わたしはまじめな学級委員で、男子静かにしてー!を日々やっていたから、お菓子を食べた罪悪感だってもちろんあった。でも友だちの名前は書きたくなかった。きっと誰か書いちゃうだろうし、また嘘をつくのかって葛藤しても、ここで正直さを発揮したくなかったんだと思う。ものすごい勇気を出して嘘をついた。
先生はあのときまだ20代で、不満と悔しさが入り混じったなんともいえない顔をしていた。傷つけてしまった、と思った。

校内暴力を数年前に制圧したお行儀のよい模範校として見学者がたえない学校で、いつも「〇中生としての誇りをもって行動しましょう」って言われてたし、じっさい誇りを持っていた。

ふと思い出したけど、あんまりいい話じゃないよな。

anemone さんがブースト

サンソウ島事件を子ども達に教えて欲しい。
海軍の飛行場を作るために、中国の飛行場建設地域に住んでいた方々を殺戮した事件。
海軍も無謬では無論ない。
ナチス並のことをしていた。

anemone さんがブースト

夢の記録をつけていた、SNSを始める前は暇だったから
というトゥートをされてるかたがいて、突如「ああ!!」って思い出した。

アイデンティティが確立してなくて自分の中がぐちゃぐちゃで、どうにもこうにも生きるのが下手だった若かりし頃。
夢の記録もつけたし、自分のぐちゃぐちゃもノートに書き付けていた。
起きたことや自分の感情を、文章として自分の外に出してみて、近い形になったと思えるところまでいじくる。対象化しながら内面化していく。
何冊も書いた。
誰にも見られていないからできる、内面ダイブだ。

気が散らないでそれをできたのは、SNSがなかったからだ。
自分の感情を代弁してくれる、都合のいいパーツのようなどこかの誰かたちが居なかったから。

今、若さゆえのぐちゃぐちゃに苦しんでいる子の手元には、いつもSNSがあるんだろう。

SNSでは時々、これはすごく若い子なのかな?というアカウントが暴走しているのをみるけれど、もしかしたら、内面へダイブし損ねて境界を見失っているんじゃないかなと、思った。
顔のない誰かたちが無責任な感情やそれらしい説明をぼんぼん投下するSNSにダイブして、それらで自分を説明しようとして余計に自我はバラバラになる。溺れてるのかもしれないな。

anemone さんがブースト

私はずっと日本に住んでいて
この国には優しそうに見える人はいる
という感想です。
人権が少しも存在しない社会です。人権のない優しさは一皮剥けば優しさとは全くの別物です。

今まで出会ってきた人々は今の欧米での感覚でいくと大人として自立している人は一人もいなかったのではないかと思うくらいです。幼稚で臆病で出る杭を打つことで精神の安定をはかる人たち。でも意見が一致しているうちは皆素晴らしい尊敬できる人たちだったりします。その素敵な人たちの意見の違う人に対する酷い態度を何度見たことか。

日本の政府もメディアも市民を映している鏡に私には見えます。私の目に映る日本人の平均はあんな感じです、まさしく。

私とは違いJapanProfさんは出会った日本の人々が本当に素敵な方々だったのだろうなと思いました。

日記のように書いてみる 

・綴方といえば、1)北海道綴方教育連盟事件だけど、三浦綾子の「銃口」は読んでない。面白い? 「ありのままに書く」綴方運動と治安維持法による弾圧、というのがいまいち繋がらなかったけど、今ならちょっとイメージできる気がする。 2)妙蓮寺にある小さな本屋さん「本屋・生活綴方」もちょっと気になってるんだよな。

・このさき、「読む」も「書く」もしない人たちがさらに多数になって、ヒトはどこへゆくのだろうとか年配者らしいこと考えてしまう。BMIとかで意思疎通できる未来があったとしても、だとすればきっとなおさら、思考の言語化は必要だよね。そんなことない? いや、言語化されないどろどろのスープみたいな感情が流れてくるの超絶気持ち悪いな。人類補完計画じゃん。

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日記のように書いてみる 

『「暮し」のファシズム』第2章で太宰治の「女生徒」と、その元になる有明淑の日記について取り上げていて、当時の「綴方運動」の話がでてくる。

 ”何よりも先ず「自分で物を見、自分で判断し、自分の言葉で心から物を云ふ」ことの尊さが教えられなければ、綴り方を通しての人間教養なぞは望まれないことになってしまふ” (『綴方教室』1937年)

書くことは「個」を鍛えるんだと思う。自分と世界を観察するには、仮留めでもいいからまず自分をどこかにピン留めしなくちゃいけなくて、そしたらいやおうにも地平が見えるし、自分の輪郭をとらなきゃいけなくなる。
1年前、Twitterで「戦争に反対します」と書いたとき、思った以上に心理的ハードルが高くて我ながら驚いたことを思い出した。思うことと書くことは違う。

この半年で直近5年間に書いたテキスト量をゆうに超えるほど書いてるんじゃないかと思うんだけど、読んでくれてレスポンスしてくださる方には感謝しかないです。

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日記のように書いてみる 

・積読だった大塚英志『「暮し」のファシズム』(筑摩選書)を読んでる。大塚さん読んだことあったかなと思ったら『キャラクター小説の作り方』が本棚にあった(20年前だ!)。あれは面白かった。面白かったことだけ覚えてる。たぶん今読んだほうがずっと解るはず。
・さいきん、質も量もサイズも「選書」がちょうどいいなあとあらためて思うけど、どこの本屋も選書コーナーが狭すぎる(か、置いてない)。
・わけあって本に触れる機会が多いのだけど、今までだったら絶対にハードカバーで出ていたような本がソフトカバーで出るようになってる気配。いろいろ思うところがある。

それはさておき。
ほんとはこんなどうでもいいことを日記みたいにゆるゆる言葉に出しておきたいときがあり、でもなんだかとてもやりづらい。正直言うと、HTLが真剣すぎてROMの人になりつつあり、書くハードルがすごくあがってしまった。Twitterでも政治の話してたけど、それだけじゃなかったからバランスとれていたところがあるし、短文寸評形式はなんだかもう気恥ずかしいし、日記だと言い張れば書けるような気がする。でもストックじゃなくてフローで書きたい感じ。くどくどと言い訳。

anemone さんがブースト

給食費無償は「マイナカード取得」条件 岡山・備前市長が正式表明 | 毎日新聞
mainichi.jp/articles/20230214/

精神的に安定してるときに読もうと思って毎度本屋で手にとってはやめる侍女の物語

anemone さんがブースト

昨日じっくり読んだのがこちら。バージニア州で「侍女の物語」が学校から禁書になったことをうけて、作者のマーガレット・アトウッド本人が痛烈な批判の記事を書いています
theatlantic.com/ideas/archive/ 4/7

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飛翔体を撃墜、のニュースが続くと、こんど日本の上空で発見されたとき必ず誰かが撃ち落とせっていうだろう、それが怖い

どこにアカウント作るかなと思って調べていたとき、jpやpawooが海外でどう扱われているか知って、Fediverseの世界は明確に日本ローカルルールが通じないってことなんだなと思った。大袈裟なと笑われるかもしれないけど、他言語不自由なわたしには文字通り国境を超える緊張感があって、「日本語を書く人」として認知されることの不安感すら覚えた。

じっさい来てみたらそこはほぼ日本語で生きられる世界でちょっと拍子抜けしたけれど、でも、このまま安心できるガラパゴスに住みたいわけじゃないんだよ。
ふぇでいばが、ここは日本だよ安心してっていう場所なんだったら、ちがうかなって思う。 [参照]

anemone さんがブースト

「自分たちのコミュニティを自分たちで守る」じゃなくて、「誰かに守ってもらえるコミュニティを探す」という行動が、そもそも家父長制と親和的で非民主的なんだけど、気づいてないっぽいし。

前にもどっかで書いたけど、コミュニティが小さければ小さいほど「誰かがやらなかったやるべきこと」はそのまま他の誰かの皿に載せられることになる。

「他の誰かがやるべきだったことをやる」役目が自分に回ってこなければそれで良い、という身勝手な人を増やすとあっという間にタスクが積み上がって破綻する。

しかもそういう人は、他のコミュニティに対するリスペクトもないから、気に入らないことがあるとすぐに運営に喧嘩売り始めたりする。

どこかにユートピアがあってそこに辿り着きたい、みたいな願望は、主権者であることを忘れた市民と相似形で、自分が属するコミュニティに対して無責任なだけだと思う。

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» 政治は世襲で引き継ぐものが当たり前ではない海外 豊田真由子が分析「政界の世襲」のリアル(5)| 神戸新聞NEXT
kobe-np.co.jp/rentoku/omoshiro

いくつかとても大事なことが書かれてると思う。

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