夢の記録をつけていた、SNSを始める前は暇だったから
というトゥートをされてるかたがいて、突如「ああ!!」って思い出した。
アイデンティティが確立してなくて自分の中がぐちゃぐちゃで、どうにもこうにも生きるのが下手だった若かりし頃。
夢の記録もつけたし、自分のぐちゃぐちゃもノートに書き付けていた。
起きたことや自分の感情を、文章として自分の外に出してみて、近い形になったと思えるところまでいじくる。対象化しながら内面化していく。
何冊も書いた。
誰にも見られていないからできる、内面ダイブだ。
気が散らないでそれをできたのは、SNSがなかったからだ。
自分の感情を代弁してくれる、都合のいいパーツのようなどこかの誰かたちが居なかったから。
今、若さゆえのぐちゃぐちゃに苦しんでいる子の手元には、いつもSNSがあるんだろう。
SNSでは時々、これはすごく若い子なのかな?というアカウントが暴走しているのをみるけれど、もしかしたら、内面へダイブし損ねて境界を見失っているんじゃないかなと、思った。
顔のない誰かたちが無責任な感情やそれらしい説明をぼんぼん投下するSNSにダイブして、それらで自分を説明しようとして余計に自我はバラバラになる。溺れてるのかもしれないな。