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周りの人、いわゆるノンポリの人たちを見てると、今の政治に疑問もあるし、現状がいい方向に変わるならそうなった方がいいと思う人がほとんどなのよな。文句なんかも度々出たりする。
が、それが左派の人たちの運動やデモにはほとんど結びつかない。何故かなって考えていて、数年見ていて気がついた。
彼らは考え続ける精神的な体力が無いんだ。鍛えられてないからすぐ疲れてしまう。社会問題や政治の問題など、その場で憤りはするけれど、それを持続させる体力がない。
左派の人たちはずっと考えてきたし、そんな波の中に自分を置いて、常に考え、情報を得、更に考え、行動に移してきた。いわば鍛えられてきた。だから考え続けることができるし、行動に移すことにもたいしたハードルはない。
よく左派の人たちが言う「何故この問題を無視できるのか」「何故怒らないのか」「何故行動しないのか」に対しては、「もちろんそう思う。思うけど、疲れてしまって」という声を聞く。
鍛え抜かれた左派の人たちと同じようには走れない。初心者がマラソンランナーと同じに走るようなものじゃないかとそんなことを考える。
インターバルトレーニングが必要じゃないかな。

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【特集】第26回参院選(2022年)共産党――リベラル左派浮動層の解明
note.com/miraisyakai/n/nde887b

戦後を通して、精密に共産党の票の分析をしました。多くの方に見ていただきたいので主要な議論を全体公開しています。ぜひ冒頭の地図だけでも見てください。

ナゾのモノとして拾われてきたときには、これ、し…しだあ ろうず…だよね? と半信半疑だったけど、3日置いたらちゃんと咲きました。シダーローズ。

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あと、年金制度や高齢化で何が起きるか、という説明にこの手のイラストが昔から使われがちだったけど、これも「我々の中で支えて回していかなきゃいけない」というイメージを深く根付かせるものだったなと。政治の存在はどこよ?って思うよね。
だから、「高齢者に死ねというのか!」という意見に対して庶民の側から、「そうではなく現役世代が生きていくためにもうあなた達にお金をかけられません」なんて言葉が出ちゃう。リアリストぶってる体でいて「我々の中で支えて回していかなきゃいけない」と思い込まされているから出てきた発言だろうなという。

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ゴジラ(2014)のラスト 

サンフランシスコ沖で核弾頭が爆発するんだけど、海中でよかったね、になる感じとか、とてもハリウッドらしいのよね。。

» 米「ゴジラ」原爆批判のせりふ削除していた 国防総省が脚本に抗議 2014年映画
okinawatimes.co.jp/articles/-/

観たときの記憶を思い返してみても、この記事には納得しかないな。

コロナが大したことない病気だからでも、お金がないからでもなく、防衛費、じゃない、戦争できる国にするために莫大なお金を使うから、5類にするんだよね

国がマイナカード普及させなきゃ地方交付税減らすぞと脅し、地方自治体は家族全員マイナカード作らなきゃ給食費タダにしないぞって脅すから、家長に「おまえがマイナカード作らないせいでうちは損するんだぞ」と、「家」の構成員が脅されるわけよね。つつきの順位。ほんとしみじみサイテーだな…

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結局、「不適切な書き込みの削除」のような「穢れ仕事」は「人間のほうが安上がり」な事を端的に示している。
「ChatGPTを改善するためにOpenAIが時給300円以下でケニア人を雇った」と問題視する報道 - GIGAZINE
gigazine.net/news/20230119-ope

NHK BS「BS世界のドキュメンタリー」でもこの問題を取り上げたドキュメントがある。再放送があれば是非チェックを。

ソーシャルメディアの“掃除屋”たち 前編|BS世界のドキュメンタリー|NHK BS1 フェイスブック社のコンテンツから“社会的に不適切”なものを排除する“掃除屋=クリーナーズ”。検閲作業の実態をスクープ取材、ソーシャルメディアが抱えるリスクを探る。
www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber
ソーシャルメディアの“掃除屋”たち 後編|BS世界のドキュメンタリー|NHK BS1 ソーシャルメディアの検閲作業の実態に初めて迫ったスクープ番組。後編は、精神を病んでいく“クリーナーズ”の横顔や、“表現”をめぐって世界各国で高まる論争にフォーカス。
www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber

今日(1/19)森鴎外の誕生日なのかー

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どのパターンのストーカーにも必ず通用するというわけではないのは承知の上なんですけど、これが通用するタイプのストーカーというのはそれなりの割合を占めているのではないかと思って最初に見つけてから不定期にリンクを貼っています。

nda.co.jp/memo/stalker/column1

ここにある(明かされてはいない)マジックワードのことをずっと考えていて、文中で提示されている状況で機能する台詞として当てはまるものでわたしが思いつくのは一個しかないんですよね 正解はわからないのでこれからもずっと考えることになると思うもののひとつ。

ストーカー問題に限らず、告白してきた相手の態度がちょっとおかしく感じるとか、こじれてしまった恋愛関係で相手との距離を穏便に取るときにも当てはまると思う 

ほんとに、本当にすごい漫画だったとしか言えんわ、こんなん

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複数の問題を扱ってるから、どこが刺さるかは読む人によると思う(全部刺さる人も当然いるだろう)けど、この主人公のようにまったくの他人事として読める人もいるだろうし、それはある意味幸せな人生だよなあとは思う…。
twitter.com/pandapantade/statu

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本当にすごい漫画だった…
固唾をのみ拳を握りながら一時間半かけて読んだ
本当にすごい(←語彙力)
BT

『森鷗外、自分を探す』 

これまで「舞姫」に思い入れが強すぎて森鴎外本人について知ることを拒否する人生だったんだけど、岩波ジュニアでこのタイトルで、今なら、と思ったらまさに当たりだった。

『森鷗外、自分を探す』
iwanami.co.jp/book/b616728.htm

現国で舞姫を読んだ悩める受験生だったころ、わたしは引き裂かれる豊太郎ぬしにやたら共鳴してしまった。周りの女子はみんな豊太郎が嫌いだったけど、わたしはその不信感を著者本人に向けたんだろう。こんな物語を書く一方で、出世の道を上り詰めたことに、打算や迎合の匂いを感じ取りたくなかった。思春期の潔癖さで。
いまさらながら、エリーゼを思わせる「扣鈕(ぼたん)」に胸が熱くなったり、青空文庫で「鼠坂」を読んで、ああ、と思ったりしている。
わたしのなかにいる「高校生のわたし」が読んだような感覚がある。ほかのどんな本でもこうすんなりとは受け止められなかっただろうな。あらためて、岩波ジュニア文庫のスタンスは好きだなあと思う。中高生にやさしく寄り添ってくれる。

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結婚はいつしてもいいし、もちろんしなくてもいい。結婚しても子供を産まなくてもいい。養子で迎えてもいい。婚姻状態でなくても子供をひとりで育てられる社会がいい。異性間でなくても子供を産む、また育てる支援があるべき。ていうか誰もが結婚できる制度にしろ。(私は結婚制度やめようよって思ってるけど、それは差別を撤廃して権利を保障して、国が殴り続けた人たちに謝ってからだろと思ってる)
教育を受けさせられるくらいの金銭的余裕がある状態で結婚して、結婚した状態で子供を産んで、結婚した状態のまま育てる、以外の枠にいる人たちは、今現在確実に社会から何らかの圧を受けていると思う。そして枠に当てはまる人たちも、全くもって優遇なんざされていない。全員がつらいのに分断は頻繁に煽られる。こんな地獄で「少子化」の原因はこっちにあるという。ふざけないで。

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:hyuki: 「本当」とはどういうことか

村上春樹の小説『1Q84』の中で、ふかえりという少女が「ほんとうというのはどういうこと」といいます。今は記憶で話しているので正確ではありません。

このセリフは時々思い出して、なかなか深いことを語っているなと思います。

マジックリアリズムの手法で、普通の日常のように見えているのに、次第にそうではない現象が起きてくる様子が描かれています。それを読んでいると確かに「本当」とはどういうことだろうと思わざるをえません。

常識を疑うとか、自分の目を疑うというのはしばしば語られますけれど、それを厳密に実行するというのは難しいことだと思います。ちょっとした発想の転換ぐらいならば、そんなに難しい話ではありませんけれど、厳密に深く様々なことを疑い出すと、自分自身の足元が揺らいでくる危険性があるからです。

しっかりと歩んでいくためには、自分の足元が揺らいでいるときであっても、しっかり判断を行って進む必要があるでしょう。それと同時に、足元が危ういのであればもっとしっかりした足場を築くことも必要でしょう。

そこにもやはり必ずバランスというものが必要になってくると思います。

つまりそれは、小さいことに目を止めるのか、大きいことに目を止めるか、そのバランスでもありますし、足を踏みしめて同じところに留まり続けるのか、それとも思い切って足を踏み出すのかというバランスでもあります。

「いつもこうやっているから、次も同じようにする」というのは1つの見識ではありますが、それでいいのか。「いつも同じようにやっているから、次は違うようにすべきだ」というのも1つの見識ではありますが、それでいいのか。

どちらの考え方も、「いつもと同じか違うか」を大きな判断基準としているという意味で、とても偏った考え方だと言えるでしょう。

2つの間のバランスを取ろうとすることは悪くはありませんけれど、その2つのものの選択がそもそも偏っている可能性があるという意味です。

厳密に、しっかりと、真面目に、きちんと…のような表現で、私たちは自分の行動を的確にコントロールしようとしますけれど、しょせん限界のある人間が考えることですから「本当に」何が正しいことなのかはなかなかわからないものです。

ある人はよく考えろと言い、別の人は考えるな感じろという。しかし、そのどちらも自分を基準にしているという意味では、同じ穴のムジナです。

かといって、無数にある選択肢と無数にある判断基準を全て考慮することは、なおさら人間には不可能です。

ですから、ときには思い切った省略を行って「今のところはこの2つの選択肢で考える」とするのが妥当なところなのでしょう。

しかしその場合であっても、あくまでその目の前にある選択肢は、限りのある人間、限りのある自分がたまたま目の前に置いた2つであるということは、心の隅に留めておく必要がありそうです。

C.S.ルイスが小説のどこかで書いていた「意味はいつでも無数にある」という言葉を思い出します。これもまた、記憶で話しているので間違っているかもしれませんけれど。

朝の散歩をしながら、そんなことを考えていました。

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女子の集団的主体性、基本が「抵抗」になっちゃいがちなのはそこにあらかじめ「攻撃」があるからなんですけど抵抗を先制攻撃と呼ぶロジックで自分を無色透明無辜純粋化してくるあらかじめの攻撃者とその傘下、「自分より下の人間が立ち上がるなんて許せん思考」なので明確に「足をどけろ問題」である。

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あとがき 

ほぼ同じことをTwitter に書いたのに、最後の一文が前向きに出てくるまでにそこからひと月近くかかってしまった。
大事なことはこのあとに続くパラグラフのはずだけど、それはまだ闇の中だ。ずっとじたばたしている。

Twitter は投稿も滞在時間も激減したけど今も見てる。あの場にしかない声があるから。
マストドンの「議論」は澄んでいて、みんな健やか(そう)に見え、強えぇ~って思ってしまう。わたしのTwitter のTLみたいに深夜にサバイバーの声とか流れてこない。
引き裂かれる。
マストドンに来られない人だっているんだよ。

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