前に再雇用の70過ぎた男性と組んで経理をやってたことあるんだけど、本人はずっとやってきた自負と知識と自分より下の女に負けるかという謎の敵対心があるんだけど、もう伝票の整理一つ、仕訳一つ追いつかないのよ、溜め込む一方で。
知識はあるんだから、私が処理して(手を動かす)、その男性はチェックして(頭を動かす)みたいにしたかったんだけど、もうそういう話もできないくらい抱えた業務の整理がおいつかなくて、何なら全部投げてくれてもいいのにプライドからなのか、それも出来ず。その人のパーソナリティもあるんだろうけど、今までできたことが出来なくなるし、感情が勝って合理的な判断がつかなくなるのが加齢であり老化、って知ったのよね、その時。
で、その後、70まで、80まで働けってなって、あの時のようなことがあちこちであったら仕事も回らねえなと。自分でも自覚してるけど、もうどうしようもなく年齢に応じてできないことって増えていくんだよ。現役世代と同じを自分に課したり、課されたら、本人は苦しいし、まわりも辛い。不要な諍いも生む。政治家が高齢者ばかりだから、自分が働けるから出来んだろって思ってるのかも知れないけど、あの人達は実際に自分が手や頭を動かす仕事をしていないからわからないんだよね。
あと、年金制度や高齢化で何が起きるか、という説明にこの手のイラストが昔から使われがちだったけど、これも「我々の中で支えて回していかなきゃいけない」というイメージを深く根付かせるものだったなと。政治の存在はどこよ?って思うよね。
だから、「高齢者に死ねというのか!」という意見に対して庶民の側から、「そうではなく現役世代が生きていくためにもうあなた達にお金をかけられません」なんて言葉が出ちゃう。リアリストぶってる体でいて「我々の中で支えて回していかなきゃいけない」と思い込まされているから出てきた発言だろうなという。
今朝、平野啓一郎さんのツイートに付いてる引用を見て思った。自ら思い込まされた檻に入ってリアリストぶる悲しさ。
https://twitter.com/hiranok/status/1615510600729362432?s=20&t=J5ir1_d_rlxs6WyzXP7dlQ