マストドンに来た理由を書いておく
きっかけは、Twitter で親しくさせていただいていた方が突然ロックされたこと。こっちのアカウントを知っていたから事情が分かり、断定はできないものの、イーロン・マスクがジャーナリストのアカウントをロックしたのに巻き込まれたらしかった。
まるで「隣人が特高に連れていかれるのを見てしまったのに、カーテンの隙間で息をひそめて見てただけの人」の役をふられたみたいで。
国内の報道も言論界も事の重大性は分かっていないように見え、人知れず消されちゃった感が恐ろしいし、これがあからさまに行われるようになったらなったで、きっと口をつぐむであろう自分の弱さと無力さを思い知らされて、ぺしゃんこになった。ほんの少しの実力行使で、簡単に口はふさがれる。
かの人の庭で何を言っても空々しいとTwitterから逃げ出してみたら、組み込まれていた世界の異常さは明らかだった。あれはパチンコと同種のものだ。人をくるわす。
くるいはじめたこの国がこれからどこまで落ちていこうと、きっとわたしは逃げ出せない。二度とこんな思いをしないために、抵抗できる限り抵抗するし、その手段を(誰かと)模索し続けたいと思う。
日本は低欲望社会だと言われるけど、大前研一の言い出したことなので、それはあくまでも資本主義的、マテリアリスティックな欲望の話であって、「集団に同化しない他人をコントロールしたい」という欲望、もっと正確に言えば、「思考パターンが横並びで均質な社会を構築することで偽りの安心を得たい」という前時代的な欲望に関しては、稀に見る強欲社会なんじゃないだろうか。
まあ、大量生産される規格品的な構成員ばかりなら楽だよね。軋轢もなくなるし、個人単位で思考する労力はほぼ不要になるし。政府がやらなくても、市民が自主的に「調和を乱す不届者」を粛清し、自由意志で全体主義を選んでくれる。
その社会では、価値判断基準が「和が乱れるかどうか」だけなので、「何を言ったか」とか、「人権」とか「正義」とかですらなく、あくまでも「そいつは集団側か、それとも出る杭か」で判断される。
「無自覚なマジョリティ」ではなくて、「無自覚な全体主義」。たとえマジョリティであっても、個人はどこまでも疎かにされる。
小学校1年生までスカートめくりされていた。映像が浮かぶ。たぶんそのあと学校で強く禁止されたんだろう。永井先生発祥だったのか。
しお(汐街コナ)
@sodium
「スカートめくりを、たいして悪くない子供の悪戯として描くことが許される社会」は「スカートめくりなんてたいした悪いことではない社会」であり、「たいして悪いことじゃないんだから、被害者が我慢するのが当たり前の社会」なんですよ。
表現と社会の価値観は連動しています。
https://twitter.com/sodium/status/1613035964515123200
歪みとつきあう
あるトゥートが複数回BTされてきた。きっと多くの人が賛同する意見なんだろう。
たしかに大意に異論はないのだけど、[バカ] とか [頭悪い] とかのフレーズがあると、この人が [バカ] と括っているほうに自分が含まれるのではないかという不安にかられて、とたんに主旨が見えなくなる。
その話題については、おそらくわたしの鏡が歪んでいて、言葉や事象をあるがままに映さないのだろうという自覚はあるけど、どうしようもなく感情は振り回されて、この人はきっとわたしのようには歪んでいないんだろうなとうらやむしかない。
歪んでいない人がまぶしく見えたり、恨めしいと思ったりする感情を、他者にいいように操られてしまうのを、[頭が悪い] からだと言ってしまいたくなる気持ちは分からないでもない。わたしの中にもたしかにある。だけどそれを口に出しても、いいように操っている側に手を貸す行為でしかないように思う。頭が悪い側の甘えだろうか。
と、ここまで言語化してもう一度初めのトゥートを読むと、やっと抵抗感が薄れているのを感じる。この繰り返し。もはや修行じみている。
» ノーベル平和賞のマリア・レッサの警告「偽情報と戦わなければ、民主主義はまもなく敗北する」 | クーリエ・ジャポン
https://courrier.jp/news/archives/312341/
"根底にあるのは、「事実よりも嘘のほうがおもしろい」という本質的な真理なのだとレッサは論じている。
理解不能な選挙結果が現実になり、有権者は明らかにめちゃくちゃな候補者になびき、その結果が未来の出来事へと影響する。具体的には、トランプの勝利がロー対ウェイド判決の転覆につながり、ブレクジットがリズ・トラスにつながるように、それまでまともだった国がたちまち機能不全に陥ってしまう──。
そのような事態を私たちがいま、目の当たりにしているのは、「オンラインで起こることは現実世界で起こるから」であるとレッサは考える。「オンラインでまかり通ってしまうことは、オフラインでもまかり通ってしまう」のだと。"
みつを_Mitsuwo
@ura5ch3wo
若く困難な状況にある女性を助ける小さな団体の話じゃないかと思うかもしれないが、このマスメディアの沈黙は、確実にファシズムとの一体化と考えるべきだ。
あなたが明日、暇アノンのような極右のナチスみたいなトロールにターゲットにされた時、社会の有力者は助けてくれない。報道も無視する。
https://twitter.com/ura5ch3wo/status/1610799325797580800?t=0musbnqafz31BbVN2S2s1A&s=19
「電子書籍で失敗しAmazonに惨敗した老舗書店チェーンがリアル書店で売上を好転させた方法」
米書店チェーンのバーンズ&ノーブルを、書店再生の実績あるやり手CEOがてこ入れしている話。各店舗に選書の裁量を与えたり、雑貨やおもちゃではなく本の販売に注力したりとか。
GIGAZINEによるWhat Can We Learn from Barnes & Noble's Surprising Turnaround? by Ted Gioiaの抄訳でした。前段がごっそり無かったりするので、原文と併せて読むべきだと思います。
https://gigazine.net/news/20230105-barnes-and-nobles-turnaround/
原文
https://www.honest-broker.com/p/what-can-we-learn-from-barnes-and
@pica_pica
「オーストラリアにアボリジニ問題など存在しない。あるのは白人問題だ」と昔のオーストラリア首相ゴフ・ホイットラムは言いましたが、結局はマジョリティ「が」問題なんですよね。
「○○問題」という言い回しに感じる違和感。「徴用工問題」「従軍慰安婦問題」「LGBTQ問題」とか言われる、確かにテーマはそれぞれ徴用工であったり従軍慰安婦だったりLGBTQだと思うけど、問題の主体は日本社会がそれをきちんと認めてこなかったことにあるので、全部「日本社会の不寛容・不正義問題」なんだけど、「○○問題」という言い回しになると、まるで○○に該当する人々そのものが問題=好ましからざる存在の様に聞こえて大変よくないと日頃思っている。