千田謙蔵さんの『ポポロ事件全史』はとてもおもしろい本でした。
東大ポポロ事件についての記述がメインの本ですが、それ以外のところも戦後史をみていくうえで、興味深かったです。
千田さんが東京大学に入ってすぐの頃、大内兵衛先生が授業で「みなさんの将来の夢は何ですか?」と聞いたときの話。
千田さん以外の学生は「総理大臣」とか「共産党の委員長」(戦後しばらくは、「間違った戦争に荷担しなかった」共産党に勢いがあって、多くのエリート大学生が共産党に入っていた)などと鼻息荒く答えていた。
千田さんが「地元の市長」と答えたら、多くの学生から笑いが起こった。しかし、大内先生はとても大事なことだとほめてくださった、という。
その言葉どおり、ポポロ事件後、千田さんは大学を卒業し、横手市の市議や市長などを長年なさり、地元で地方自治のために力をつくされました。
政治家を引退した後も、周囲の市町村の首長経験者らとともに九条擁護の活動などをされていたようです。
「戦後民主主義を生ききった」、千田謙蔵さんのご冥福をお祈りします。
QT: https://mastodon.social/@newsselection/113695083967817000 [参照]
サルトルの「後継者 ディアドコイ」、フーコー、デリダ、ブルデューと書いたが、これは日本の読者には補足が必要だろう。(おそらく英・独・伊の読者にも)。
というのも、「フランス現代思想」のスター、仏以外では通常「フーコー、ドゥルーズ、デリダ」となるからだ。
これには理由がある。仏では1930年生のデリダとブルデューくらいまでは、ENS(高等師範学校、ベルクソン、デュルケーム、ジョレス、近年ではピケティ)卒業生、しかも哲学の大学教授資格合格者が知的世界で圧倒的な権威をもっていたからだ。デリダ世代までの哲学専攻の「ノルマリアン」の知的権威は日本だけでなく、仏以外の欧米でもちょっと想像できない。ちなみにブルデューもアグレガシオン(大学教授資格)は哲学である。
ドゥルーズはノルマルアンではなく、大学の哲学科に進んで、
リセで教えながら、地道に論文を積み重ね、博士論文(『差異と反復』)を書いた。逆に、デリダとブルデューは博論を書いていない。またフーコーは地方のリセで教えるのを嫌い、またアルジェリア戦争に巻き込まれるのを避けてスウェーデンでジャガーを乗り回していた。
従ってドゥルーズは「王位継承 ディアドコイ」戦争に参加する立場になく、その分サルトルからの影響を隠してはいない。
『消え去る立法者』、遂に自腹で買ったが、税込み7000円とはえらく高い。
この値段で買ったからには読むけれども、内容が値段に値することをまずは期待する。
「あとがき」だけとりあえず読んだが、謝辞の頭に、いきなり柄谷行人が出てきたのには驚いた。やはり、この人にとって柄谷さんは「特別な人」だったのだろう。
私は柄谷さんに初めて会ったのは、もう25歳を過ぎ、自分の「思想」は出来上がっていて、しかも所謂「現代思想」には批判的だったので、感覚が全く違う。
5年間位時々会ったが、はっきり言って柄谷さんから「影響を受けた」ことはない。逆に私が喋ったり、書いたりしたことから、柄谷さんが「影響を受けた」らしい事柄はいくつもある。
一番わかりやすい例はサルトルに対する言及の仕方。ただし、柄谷さんは最後までサルトルのテクストを理解はしなかった。とは言えこれは仕方のないこと。
というのは、サルトルのテクストは『存在と無』と『聖ジュネ』を筆頭に非常に難解な上、「後継者達 ディアドコイ」のフーコー、デリダ、ブルデューが「煙幕を張った」ので、現在に至るまで仏・英・独そして勿論日本でも私以外に「読む」ことができた人間はいないからだ。
ま、いずれにせよ『消え去る立法者』、期待外れでないことを望む。
哲学・思想史・批判理論/国際関係史
著書
『世界史の中の戦後思想ー自由主義・民主主義・社会主義』(地平社)2024年
『ファシズムと冷戦のはざまで 戦後思想の胎動と形成 1930-1960』(東京大学出版会)2019年
『知識人と社会 J=P.サルトルの政治と実存』岩波書店(2000年)
編著『近代世界システムと新自由主義グローバリズム 資本主義は持続可能か?』(作品社)2014年
編著『移動と革命 ディアスポラたちの世界史』(論創社)2012年
論文「戦争と奴隷制のサピエンス史」(2022年)『世界』10月号
「戦後思想の胎動と誕生1930-1948」(2022年)『世界』11月号
翻訳F.ジェイムソン『サルトルー回帰する唯物論』(論創社)1999年